話
空いたグラスを返すと、ユリウスが清乃を外に連れ出した。
誠吾がついて来たそうにするのが視界の端に映ったが、彼はデイヴとカタリナにワイナリーの奥に連れて行かれてしまった。
屋外に出ると、まだ少し冷たい風が火照った顔を冷やしてくれた。
「……ごめん。この顔は恥ずかしいか」
「正直ね」
言い返す余地はない。清乃はユリウスに促されるままその場にしゃがみこんだ。
「寒くない?」
「酔い醒ましにはちょうどいい」
小さく笑ったユリウスが清乃の頬の熱さを確かめようと手を伸ばす。彼女はそれをひょいとかわした。
「何故よける」
「普通に避けるわ。気軽に触るな」
む、としたユリウスの手が素早く動き、清乃の熱くなった頬をつまんで引っ張った。
「何すんのよ!」
「セイがやってたからいいのかと」
「いいわけあるか!」
お返しに耳を引っ張ってやると、間髪入れず脇腹をつままれた。
「…………あれ。意外と」
「悪かったな! 脇腹なんて脂肪しかないよ。あんたたちと一緒にしないでよ」
信じられない。なんて失礼な子どもだ。
清乃がユリウスから距離を取って座り直すも、同じだけ距離を詰められた。
「キヨ」
「なに」
警戒する清乃に、ユリウスは綺麗な柔らかい微笑を見せた。
「来てくれてありがとう」
「それもう聞いたよ。こちらこそお招きありがとう。楽しませてもらってます」
「うん。なんかキヨ、オレに悪いと思ってるみたいだなと思って」
その話か。やっぱり気づいていたのか。
「別にそんなこと」
到着してからずっと、清乃はユリウスから距離を取っていた。誠吾の言ったとおりだ。
好きだと言ってくれた相手に対して、不用意な言動をとるべきではないと思ったからだ。本当はこんなところまで来るべきじゃなかった。いくらユリウスがそう望んでくれたとしても、清乃は遠慮すべきだったのだ。
恋愛初心者でもそのくらいは分かる。清乃は無神経なことをしている。
彼の気持ちに応えるつもりがないのなら、来てはいけなかった。
「オレこの間、アリシアと話をしたんだ」
「アリシア」
誰だっけ。
「婚約者」
「ああ。思春期の超能力少年暴走の引き金になった美少女」
「それはもう忘れてくれ。男子校育ちで久しぶりに同年代の女の子を見てびっくりしただけだ」
キラキラ美形王子が普通の男の子みたいなことを言わないで欲しい。
それでは誠吾レベルではないか。だから彼らは一度しか会ったことがないのに、電話とメールだけの交流で意気投合したのか。
「へえ」
「彼女、好きなひとがいるんだって」
「……待て。それあたしが聞いていい話?」
王子の婚約者のスキャンダルじゃないか。お城の広報官が火消しに走り回らないといけないやつ。
「彼女にそのひとと付き合ってもいいかと訊かれて、オレはいいよと答えた」
ユリウスが構わず続けた話は、耳を塞ぎたくなるようなものだった。
「えっと、なんていうか……」
困った清乃は白金髪の頭を撫でた。その手を掴んで、ユリウスは真面目な顔でこう言った。
「それで、オレも好きなひとのことをもう少しだけ好きでいるよ、と言っておいたんだ」
「…………おねえさんには若い子の考えてることが分からないよ」
ユリウスが元気ならとりあえずそれでいいが。
清乃は取り返した手で顎を支え、膝に肘をついた。
向かい合って聴きたい話ではなさそうだから、視線は葡萄畑に向ける。
「キヨの気持ちは分かってる。だからもう、恋人になってくれとは言わないよ。でもオレ、日本から帰って考えてみたんだ。キヨは恋愛感情じゃないって言ったけど、オレにはそうとしか思えない」
「………………」
駄目だ。こいつは自分の顔の威力を分かってないのか。分かっていてこんな近くでこちらを真っ直ぐ向いて喋っているのか。
見たら負ける。流される。
確信があったから、清乃は眉根に力を入れて意地でも視線を動かさなかった。
「分かってるよ。婚約者と結婚するまでの遊び相手になってくれなんて言う男は最低だって。キヨにそんな奴に引っかかって欲しくない」
十七歳がすごいこと言うな。あ、明日で十八か。それでもまだ十代だ。
「…………あたしこの間、初めて合コン行ってきたの」
「ゴウコン?」
「合同コンパ。出逢いを求めて行く場だよ。英語で言うとなんだろ。マッチングパーティー?」
「ああ。って意外だな。馴染めたのか」
清乃の話をユリウスは冷静に聞いてくれた。
「もちろん無理だったよ。早く帰りたくて仕方なかった」
「だろうな。良さそうな男はいたのか」
「それが全然分からなかったの。あたしがここ最近で一番ときめいたのは、エルヴィラ様とのぎゅう、だったわ」
美女との抱擁にはうっとりした。柔らかくて温かかった。
思い出しうっとりする清乃に、ユリウスが考える顔になる。
「……キヨは本当に」
「いや、多分それはないんだけど。さっきデイヴさんのウインクにもグラッとしちゃったし」
思い返してみれば、ときめきはそこらへんに転がってはいるのだ。相手が恋愛対象にしてもいい人物ではないというだけで。
「したのか! グラッと! あれは別にちょい悪オヤジなんかじゃないぞ」
「そうなんだろうけど。免疫ないからつい」
「ウインクくらいオレもできる」
「でしょうね。あんたがやったらただのアイドルじゃん。ナイスミドルじゃないと意味ないんだよ」
ナイスミドルはもう古いか。外国人には分からないだろうから別にいいか。
「年齢か」
「そうかも。あたし多分若者のテンションについていけないんだ。本ばっか読んできたから」
普通にワカモノとか言ってるし。咄嗟にナイスミドルとか言っちゃうし。
「セイもそんなこと言ってたな。姉ちゃんの精神年齢は見た目の三倍だって」
「あいつは三分の一だよ」
「つまりキヨは歳上がいいということか。他には?」
「一緒にいて安心できるひと。優しくて、あたしの趣味に文句言わない武士」
「最後おかしいの入ったぞ」
「いいでしょ。あんただって騎士がどうとか言ってたじゃない」
「うちの騎士は称号だ。オレも明日授与されることになってる」
子どもっぽい憧れの話をしているのだと思っていた。そうか。さすが騎士の国。明日は叙任式的なこともするのだろうか。
「そうなの? 明日からサーって呼びかけたほうがいい?」
「呼びたいのか。ちなみにフェリクスも持ってる」
「……チャラ男ナイトか」
「今のナイト、頭にK付いてた?」
すごいな。knightか。
十八歳の美形騎士。字面だけでモテそうだ。ユリウスは今までもモテてきたんだろうけど。
彼は最初、ただの不審人物だった。
不審者の割りに優しい少年だと思った。超能力者だと知って、王子だと知って。
今度は国から認められて騎士になるのか。
ユリウスのことを知るたび、彼が遠いひとになっていく。
遠い場所で輝いている少年に求められても、清乃には女として彼の気持ちに応えることは難しい。頭が拒否するのだ。
だけど清乃はユリウスのことが好きだ。
彼の望む関係にはなれないけれど、他の望みならなんでも叶えてあげたいと思っている。彼と人生の小さな一部を共有し、たまにでいいから一緒に笑いたい。
「考えたの。今のあたしが大人の彼氏をつくるのは無理なんだよ。万一できても、そのひとロリコン扱いされちゃうじゃない」
「……肯定したら怒りそうだな」
「それもう肯定してるのと一緒だよ。だからね、あたし恋人はもっと大人になってからでいいや。理想の大人な男の人に釣り合うくらい、あたしが大人になってからにする」
「自分に厳しいな。キヨはそれでいいのか。だいぶ時間がかかりそうだぞ」
「失礼な。もうすぐだよ。あたし二年後には社会人だからね」
これ以上単位を落とすことなく、無事に大学を卒業できたらの話だが。
「二年か。オレは二十歳だ。日本でも成人年齢だぞ」
「ハタチなんてまだ子どもみたいなものだよ」
「キヨはね。オレはちゃんと大人になるぞ」
今度は清乃がユリウスの頬をつねる番だ。もちろん明日の行事に響かないように、加減はした。
低い鼻をつままれた。腕を伸ばしたら勝てると思ったら大間違いだ。
腕を掴んで関節を逆向きに捻ってやると、ユリウスがバランスを崩した。
「うわっなんだ今の!」
「ふはは参ったか。knightより武士のほうが強いんだよ」
適当に言った。今のは人体の急所大全に小さく書いてあった技だ。柔道とか合気道とか、そういう類いのものだと思う。弟に身長を抜かれた頃に覚えたのだ。今でもたまにやる。
「そんなわけあるか! これのどこが精神年齢四十五歳だ!」
「計算がおかしいな」
「……よしもう一度やろう。次は勝つ」
「こら騎士道精神どこに捨ててきた。明日叙任されるんでしょ」
ユリウスは楽しそうに、清乃は嫌がって間合いを測っているところに三人が帰ってきた。




