合流
異国の空気感を満喫していると、カタリナの携帯電話が一度だけ鳴った。メールのようだ。
失礼、と言って画面を確認した彼女は、それをユリウスにも見せた。
ふたりで何やら打ち合わせている。アッシュデール語を使っているということは、清乃たちに聞かれたくない話なのだ。
「……なあ姉ちゃん。訊きたくない、本当は聞きたくないんだけど、一応訊いていい?」
密談中のふたりから離れて、誠吾も姉弟ミーティングを始めようとする。
「何よ。なんかやだ。聞きたくない」
「姉ちゃんはユリウスと付き合ってないし、付き合う気もない、で合ってる?」
「無視するな」
清乃は嫌そうに舌打ちして睨みつけるが、弟にそんなものは効かない。
「俺今すっげえ居心地悪いんだからな! 部屋替えてもらったのだって、俺をダシにしてユリウスを牽制したかっただけだろ」
気づいてたのか。アホのくせに。
ユリウスは以前のように気安く清乃に接してくれている。自国に帰ってきた王子だけど、でも清乃の知っているユリウスのままだよ、と言ってくれているようだった。
それはすごく嬉しいことではあるけれど、懸念事項にもなった。
彼が気軽に清乃の部屋に出入りする様子を見た大人がどう思うか、そういうことはどこの国でも変わらないだろう。
彼の友人は誠吾。部屋に出入りするのは、同性の友人がいるから。
清乃を訪ねて来ても、そこには必ず弟も同席する。それを忘れるなと、釘を刺したつもりだ。
「……あの子距離感おかしいでしょ。あたしも日本人だからちょっとキツイだけだよ」
「そんなことないだろ。あいつすげえ気ぃ遣ってんじゃん。あのカオに好かれてなんともないって、姉ちゃんどうかしてるぞ」
「やめろ。うるさい。黙れ」
「…………じゃあ今後も俺の立ち位置は? 今のまま無自覚にユリウスの邪魔をする、空気読めないウザい奴?」
そこを確認したかったのか。姉の気持ちによっては気を利かせるつもりだったのか。母から姉の貞操を守れと厳命されたんじゃないのか。
清乃は誠吾の頭を雑に撫でてやった。
「ユリウスとあたしはただの友達だよ。あんたもそうでしょ。誠吾のくせにいらん気を回すな」
「ユリウスがかわいそう。こんなヤツ相手に」
「キヨ、セイ、ごめん待たせて。ふたりで遊んでたの?」
無言で頬や脇腹をつねり合っていたところを戻ってきたユリウスに目撃されてしまった。
「遊んでないよ」
【すみません、今からわたしの上司が合流すると言っていまして】
カタリナのbossというのは、城で働く偉い人だろうか。組織図が分からないからなんとも言えない。
「中年男性がひとりこっちに向かってる。保護者がカタリナだけだと足りないと言われたんだ。ごめん」
「いやいやこちらこそ。お手数おかけしまして。忙しいんでしょ。もう帰る?」
「ううん。少し観光時間延長していいって。車で行くから、郊外の葡萄畑でワインの試飲をするかと言ってる。ジュースもあるよ」
「試飲くらいなら大丈夫だよ。誠吾はジュースね」
「分かってるよ」
カタリナの上司とやらはすぐに現れた。
ユリウス曰く中年男性の上司は黒光りする高級車でなく、スカイブルーのコンパクトカーを運転してきた。カタリナが目立たない車をと依頼してくれたのだろうか。
パッと短くクラクションが鳴り、運転席から手を振る男性の姿が見えた。
後部座席の右側のドアを開けてくれた男性に、覚えたてのアッシュデール語でありがとうございます、と姉弟揃って頭を下げた。先に誠吾を中に押し込み、清乃はその隣に乗り込む。ユリウスは自分で車道側から後部座席に乗り込んだ。
車はすぐに発進した。スムーズなスタートは、清乃の運転技術とはだいぶ違った。
ユリウスが運転席に胡乱な眼を向ける。
【……ガラが悪くない?】
男性の服装についての文句のようだ。
黒い小さめニット帽、サングラス、白いTシャツに黒いジャケットは確かに中年男性が着たらいかつく見える。昔観た映画の殺し屋みたいなスタイルだ。
【ちょい悪オヤジが流行っていると聞いて。この服、女性から見てどうですか?】
うわ。choiwaruoyajiって言った、と思っているところに問いかけられて、清乃は焦った。
これは清乃が答えないといけないのか。誠吾越しにユリウスを見るが、言ってやって、との視線が返ってきた。
【とってもお似合いだと思います。素敵です】
褒める以外の選択肢はない。実際、年齢の割に顎のラインが崩れておらず、鍛えた身体をしている彼にはよく似合っていた。殺し屋スタイル。
【わたしはユリウス様と同意見です】
カタリナの答えは結構冷たい。普段からこんな感じなのだろうか。
誠吾がみなから見ない位置で清乃のパーカーの裾を握り締める。
大丈夫。多分見た目ほど怖いひとじゃない。多分。
清乃は同じくバレないようにこっそり弟の脚を膝で押した。
【わたしのことはデイヴとお呼びください】
【……杉田清乃と申します。清乃が名前です。こっちは弟の誠吾です。よろしくお願いします】
デイヴはバックミラー越しにサングラスをずらし、にこりと笑った。目尻に皺が寄って、優しそうというよりも大人の色気がダダ漏れる。
それに対して清乃は堅い表情のまま頭を下げた。
葡萄畑には十分程度で到着した。
山の斜面を利用した畑一面に葡萄の木が整然と並んでいる。ガイドブックにはもっと暖かい季節の写真が載っていたが、今は新芽が芽吹き始めたところのようだ。
遠目には寒々しく映ったが、近づいてみると枝々に新緑が小さく見える。
畑を見下ろせる位置に車を停め、清乃と誠吾がその光景を堪能するのを三人で待っていてくれた。
「こんな風景、写真でしか見たことないよ」
姉弟が感動している間、見慣れているユリウスはその様子を見てにこにこしていた。
「暖かい季節ならもっと良かったんだけどね。日本でも葡萄作ってなかったっけ?」
「作ってる所はあるけど、こことは規模が……ん? 山梨とかってこんな感じ?」
「知らねー」
情けない。帰ったら調べてみよう。
「……分かんないや。今度機会があったら見に行って写真送るよ」
「日本はうちより広いからね」
ユリウスはフォローしてくれるが、自国の説明をできない大人は情けないと清乃は思った。
明日のパーティーでも日本のことを訊かれるかな。訊かれるんだろうな。もっとちゃんと勉強してくればよかった。必殺子どもの振りで乗り切れるだろうか。
鬱々となりかけたところに、ワイナリーを見てこようとユリウスに背中を押された。
「キヨはひと口だけにしておけ」
ユリウスがワインが少しだけ入ったグラスを清乃に手渡す。
「分かってるよ」
飲んでもどうせ味なんて分からないのだ。あとでジュースを飲ませてもらおう。
デイヴが清乃に向けてグラスを掲げたから、同じように返してから口に含んでみる。
【美味しいと思ったら飲んでください。ちゃんとお部屋までお送りしますから】
おっと。彼も日本語を理解できるらしい。多言語に囲まれて育っている人々は語学力が高い。
【体質が違うんだ。キヨは少し飲んだだけで真っ赤になって倒れる】
余計なことを言うなと、清乃はユリウスを睨んでから答えた。
【倒れたことはありません! でも本当に弱いので、ひと口だけで大丈夫です】
【誠吾くんは飲んだら駄目だという話でしたか】
【彼はまだ子どもです。日本の法律で飲酒を禁じられています】
きっぱりと断る清乃の横で、誠吾が大人しく葡萄ジュースを受け取っている。ユリウスも同じものを飲むのは意外だった。
「ユリウスもジュースなの?」
国内ではオッケーというルールではなかったのか。
「セイだけジュースは可哀想だろ」
「おまえいい奴だな」
ユリウスは確かにいい奴だ。誠吾は居心地が悪い、などと言っていたが、実際のところユリウスは純粋に同年同性の友人として親しく誠吾に接している。気軽に部屋に入り浸っている分、彼らは清乃よりも長い時間を共有しているのだ。
「まあね。ワインの味はどう?」
「美味しい? のかな。昨夜も思ったけど、日本で飲んだのより飲みやすいかも」
素人の意見なんてこんなものだ。試飲させてもらうのが申し訳ないくらいだ。テイスティングなんて、清乃には五十年経ってもできそうにない。
【こっちはどうです?】
目上の人間の酒は断れない。
うっ、と思いながら、清乃は受け取ったワインを口に含んだ。
【ごめんなさい、違いが分かりません……!】
適当なことを言うわけにもいかず、清乃は正直な感想を告げた。
【そうかあ、残念。おや、本当に赤くなりましたね】
【だから言っただろ!】
大袈裟にするなユリウス。逆に恥ずかしい。
【すみません、お気遣いなく。問題ありません】
赤い顔でびしっとしたら却って酔っ払いのようだ。途中で気づいた清乃は声を尻すぼみにして弟の後ろに下がった。
すぐ赤くなる体質が恨めしい。本当に大丈夫なのに。
はっはっと笑うデイヴはグラスにたっぷり注いでもらって飲んでいる。もう試飲じゃなくなってる。帰りは呆れ顔のカタリナが運転するらしい。
となると、ワイナリーまで五人でやって来て、飲むのはひとりだけなのか。
あれ。もしかしてこのひと飲みたかっただけ?
清乃が疑いの眼でこっそり見ていると、デイヴが気づいて片目をつむった。
うわ、マジか。かっこいいな、自称ちょい悪オヤジ。
ワイナリーに入ってからデイヴがサングラスを外したら、映画俳優のような上品かつ渋い大人の顔が出てきたのだ。うっかり見惚れかけてしまったばかりなのに、また赤くなりそうだ。元から赤くてよかった。
ワイナリーの職人がまた違う試飲用のワインを持ってきた。
今飲めるのは清乃だけか。ちょうどいいからもう少し赤くなってしまおう。
【すまない。彼女はもう】
清乃は断るユリウスを制して受け取った。
【いえ、これだけいただきます】
「おい」
「自分の酒量は把握してるって言ったでしょ。せっかく勧めてもらったのに申し訳ないから」
嘘ではない。赤くなるのが恥ずかしいだけで冷静だ。




