観光
子どもの言うことを真に受けて、異国の王城でこんな格好をしてしまっていいのだろうか。白い眼で見られないだろうか。
清乃は悩みながらもブラウスはそのまま、ジーンズに穿き替えて、ストッキングでなく靴下にスニーカーを履いた。
ノック音に応えて続き扉を開けると、ユリウスに黒いパーカーを渡された。促されてブラウスの上に羽織り、前を閉めて袖を少しまくると頭にキャップを被された。
同じような格好になった少年ふたりも、それぞれ帽子を被っている。
「三人みんな帽子だったら変かな。セイは無しにするか」
「何これ。変装? 行事前にこんなことして大丈夫なの?」
ユリウスはいわゆるお忍びで外出しようとしているのだ。三人とも髪の色が目立つから、隠そうとしている。
「ユリウス、明日の主役の王子なんだろ。怪我でもしたらどうすんだよ。俺らに気を遣ってる場合じゃないだろ」
アホな高校生もビビっている。
「大丈夫だよ。慣れてるから。王子様に需要は無いってハッキリしたから、こっちのほうがいいだろ」
「なんだよ需要って」
「言わせるな。気を遣え」
「おまえが気を遣え。弟の前でそういうのヤメロよ。きめえ」
清乃は無表情で横髪を帽子の中に押し込んだ。
出発前に少しだけ髪型を変えたのだ。コケシと言われるボブを、前下がりのショートボブにした。美容院で大人びるから、と言われたが、効果のほどは実感できていない。
後ろ髪が短いから、横髪を隠してしまえば歳上の少年に連れられた男の子に見えるということなのだろう。
確かに運転手付きの高級車に乗せられて上品に観光地を見学するよりも楽しめそうだ。
「まあいっか。ちゃんと行ってきますって大人のひとに声掛けてから行くんだよ」
「分かってるよ。カタリナに言ってこよう。後ろからついて来るだろうけどな。キヨとセイの身の安全を確保するのが彼女の仕事だから」
有能美女が見ていると思うとあまりアホなことはできないな。しないけど。
彼女はすでに清乃がユリウスをぞんざいに扱うところを目撃しているから、気が楽と言えば楽な相手だ。
カタリナはユリウスのお忍びには慣れっこなのか、ハイハイ、くらいの態度だった。
彼女は途中で一度姿を消したが、地下に降りて通路を歩いているときは戻ってきた。カッチリしたスーツから、大人女子の休日スタイルになっている。
なんていう名前だ、あの緩いロンT。ぴったりした黒パンツの脚が長い。美脚だ。素敵。
「……キヨはもしかして女性が好きなのか」
見惚れていたのがバレたか。ユリウスが呆れた顔でプライベートな質問を投げてくる。
「綺麗なおねえさんを好きなのは男だけじゃないとだけ言っとくよ」
二日続けて同じ台詞を言わせるな。
「姉ちゃんは男嫌いなだけだよ。昔っからだけど、彼女を連れて来たことはないから安心しろ」
「他人の性的嗜好を本人の目の前で話題にするものじゃないよ。無礼な子どもめ」
地下通路は建築当時からあるものらしい。城が建つ丘の中腹に出るまで続いているため、結構な長さがある。昔は使用人が出入りするのに使っていたが、現在では食料品などを運び込む程度にしか使われていないという。
通路は四角く切り出された石を組み合わせて造られていて、低い天井部には電球がポツポツと点いていた。今まで見てきた明るく開放感のある居住区域と違い、ヨーロッパの古城の趣きがある。
「……怪談向けの場所だな」
「さすが姉弟、考えることが同じ。ユリウス、このお城怖い話とかないの?」
「姉ちゃん、その質問失礼な気がする」
「失礼とは思わないけど、怖がりのくせに。聴いたら夜眠れなくなるぞ」
ユリウスが日本にいるときに、ホラー小説を読み終わるまで起きてて、まだ寝ないで、と懇願した夜の話をしているのか。怖いから面白いんじゃないか。
「あるんだ」
「あるよ。今日明日は難しいかな。明後日の夜ここで話してあげようか」
「「聴く」」
姉弟で仲良くハモってしまった。
「よし覚悟して来い」
「誠吾ちゃん、明後日の夜はお姉ちゃんが一緒に寝てあげようか」
「聴く前からビビんな」
どこまで日本語を理解しているのか、カタリナが後ろで吹き出した。
地下通路の出入り口から城下街までは徒歩十分ほどだった。車は通れない狭い坂道を下ると、人家が立ち並ぶ裏道に出た。
表の通りに出ても慣れた様子でスタスタ歩くユリウスが注目されることはなく、清乃たちも他所者丸出しのぽかんとした顔を引き締めて後に続いた。
車で通ったときにはアパルトマン、とぼんやり思っただけだったが、看板を出している店がちらほら混ざっていることに気づく。
カフェ、衣料店、雑貨屋、本屋もある。後で寄りたいと言ってみよう。
現在も王族の住まう古城があるということで、観光地になっているのだとユリウスが言っていた。
街並みも古いまま残すようにと法律で定めがあるのだ。
小さな国の主な産業は観光と農業、鉄鋼業。第一産業に就く人が多い長閑な国なのだという。その割りにはと言ったら失礼かもしれないが、人々は洗練されて清乃の眼に映った。
「朝食食べたばっかりだけど、甘い物食べる?」
「食べる!」
顔を輝かせた清乃より先に誠吾が元気良く手を挙げた。
ユリウスが店先で買った物は、パンのように見えた。
「はい。アップルシュトゥルーデル」
「アップルしゅ……?」
「シュトゥルーデル。薄い生地で林檎を巻いて焼いたもの。この辺の国ではよく見るよ。日本にはない?」
「え、分かんない。聞いたことない」
「田舎には絶対無いな」
誠吾の世界は日本の端っこの田舎町だけだ。そことせいぜい隣の市くらいですべてが完結する生活を送っている。
実家を離れた清乃だって似たようなものだ。アパートと大学とアルバイト先を往復するだけの生活。
広い世界を知らないのだ。
「シュトゥルーデル」
その存在を確かめるように覚えたての名前を呟いてかぶりつくと、焼いた林檎の甘さが口の中に広がった。
「こぼすなよ」
「もっと早く言えよ!」
誠吾が落としかけた林檎を左手で受け止めながら文句を言った。
「美味しい。これシナモンかな。アップルパイみたいだね」
「カフェに入ったら、ホイップクリームを添えて食べたりできるんだけど」
「想像だけですでに美味しい」
【アップルパイとの違いはオレにも分からない】
【生地の違いですよ。パイよりも薄いでしょう?】
キッパリ言い切ったユリウスの後ろで、久しぶりにカタリナが口を開いた。
彼女もユリウスからシュトゥルーデルを受け取ってもぐもぐしていたのだ。こうして見ると、赤褐色の髪のエルヴィラよりも金髪のカタリナのほうがユリウスの姉のように見える。
「……美味いけど。パイじゃ駄目なのか」
誠吾が難しい顔で呟く。気持ちは分かるがやめろ。
「今日はこの通りを歩いて、昼を食べたら帰ろう。オレは明日の打ち合わせがあるし、フェリクスもエルヴィラも忙しいみたいだから、帰ったら城の中で好きなことをして過ごしていてくれ。図書館に行けば英語の本もあるよ」
「……よし。せっかくだから何か読もう。城の怪談みたいな本ってある?」
「歴史書ならある。怪談の元になった実話が載ってる」
それを自力で探し出すのか。日本語なら楽しそうな作業だが、清乃の英語力では厳しい。
【カタリナさん、後で英語で書かれた子ども向けの歴史書を選ぶの手伝っていただけますか?】
【もちろん。おすすめの本を何冊かピックアップしましょう】
「俺はいいや。せっかくの春休みに勉強したくない」
「おい受験生」
「三年の始業式まだだし。部屋で筋トレでもしてる」
マジか高校生。剣道部で頑張っているとは聞いていたが、外国でまで鍛える必要があるのか。
「じゃあ走るか? ランニングコースを教えてやる」
「そうしようかな。姉ちゃんも本ばっか読んでないでたまには動けよ」
「旅先でランニングする奴と同じにはなりたくない」
清乃は冷たく言い放つが、ユリウスは誠吾派だった。
「走りたくなるよな。オレも日本に居たときには日中暇だったから、筋トレしたり外で走ったりしてた」
「え、それ知らなかったんだけど」
「言ってないかも。スニーカー買ってもらってからは毎日一時間くらいは走ってた。帰ってから風呂掃除のついでにシャワー浴びてたから、水道代は無駄にしてない」
十代男子の生態とはそんなものなのだろうか。それとも彼らだけなのか。謎だ。
あと王子様が水道代とか言わないで欲しい。節約を強要していたことを思い出して居た堪れなくなる。




