見せ指
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
郷に入っては郷に従え。
もとは中国のことわざというけど、この心構えは万国共通のものだと思うわ。
その土地、独特のルール。知っているかどうかは問題ではなく、やったかやらないかのみで判断がされる。
言葉と同じね。一度、見せてしまったものはなくなりはしない。刻んだものはいつまでも残って、ふとした拍子にうずきや傷痕をさらけ出す。
関わりたくないと思ったら、もうシッポ巻いて逃げるしかないんじゃない? それで逃げ切れるならいいのだけどね……。
私のいとこが話していたことなんだけど、聞いてみない?
霊柩車を見たら、親指を隠せ……あなたも耳にしたことがあるんじゃない? このタブー。
教訓ものというより、ゲンをかつぐものに近いかしら。霊柩車は死を運ぶもの。親指は親を差すものだから、親を連れていかれないように隠しときなさい……とね。
指を何かに見立てることは、他にもちらほら見聞きするケースがあるんじゃない? いとこの地元の場合も、似たような言い伝えがあるそうなのよ。
いわく「凍てつくときほど、指伸ばせ」というやつかしら。
いとこの住んでいる地域は、なかなか寒いところなの。
夏があっという間に通り過ぎ、こちらでは秋を楽しんでいる時分に、もう手をすり合わせて白い息を吐き出してしまうほどの、寒気が押し寄せてくる。
そうした寒いときは、ついついズボンや上着のポケットへ手を突っ込みたくなってしまう。あなたも経験あるんじゃないかしら?
しかし、いとこのところではそれをよしとしない。それどころか手袋をはめることさえ避けるべきとされたのだとか。かじかむような寒さだとね。
私は最初聞いたとき、ケガの予防に対する訓戒だと思っていた。
いざ転びかけたとき、ポケットの中にある手はとっさに出せない。そのために顔とかをけがしてしまうかもしれない。これを予防するためだ、とね。
いとこもそう考えていたみたいだけど、その日の経験があってからは、考えを改めようかと思ったとか。
その日はいっとう寒い日で、みんなして手をすり合わせながらの登校になったわ。
使い捨てカイロを持ち歩く子も、多かったみたい。これのおかげで、くだんの言い伝えに従いやすい環境が整ったのは、ありがたいかもしれないわね。
指を出したまま、ごしごしこすり合わせていけばある程度は熱を保てる。いとこもまたカイロ使用派で、行きと帰りの分をしっかり用意していたらしいの。
けれども、その帰り道で。
カイロをこすりこすりしていた、いとこの手のあたりを、不意に突風が襲ったの。
身体にはみじんも感じなかった。あまりにピンポイントで吹く風は、おさえつけるかのような向きで、手のひらに挟まれていたカイロをたちまち地面へ叩き落したの。
拾うのに何秒もかからない。けれど今は、その何秒さえつらい。
風は勢いのみならず、寒ささえ運んできていたの。それはもう、飛び上がりそうな痛さで、早朝に素手のままでハンドルを握って、全速力で飛ばす自転車のごときだったとか。
――痛い!
いとこは反射的に、指を丸め込んで握りこぶしを作る。
手のひらの下を流れる血と、そこから来る体温。そこに触れて、包まれたらきっと暖まることができる……そんな、本能的な動きだったとか。
でも、いとこはほどなく違和感を覚える。
それが本当かどうか、より一層強く拳を握り込んだの。そして、間違いじゃないと感じる。
開いてみた。そこには自分の手のひらがある。そう、「手のひらだけ」が。
本来、そこに備えているべき指たち。それらのすべての第一関節より先が、すっかりなくなってしまっていたのだとか。
いずれの断面も血や筋肉といった、体組織をあらわにしていない。
それこそ、元から存在していないかのように、自分の肌の色が完全に覆っている。石像の指だけもぎ取ったかと思うほど。
なのに、感覚はある。
いま自分の指のうち、両手の人差し指、中指、薬指の計6本に、つよいしびれが走り続けていたの。
あたりに人通りはない。この異様な状態を、目にしている存在は誰もいない。
残っている腕の部分で、本来あるべき関節の先をなでようとする。やはり自分の指はそこになく、腕はなんの抵抗もないまま左右へ振ることができてしまう。
その動きを察せられたのか。
残りの親指、小指にも強いしびれが走る。その激しさは、手のことだというのに肩から足にまで電流が走って、つい膝を折ってしまうほど。
心なしか、重みさえ感じる。だらりと両腕を垂らしてしまういとこの耳へ、新しく飛び込んでくる音があったの。
いまいとこがいる道のすぐ脇は、未舗装で土がむき出しの駐車場になっている。
その端に立つ、一本の大きな樹の根元が急激に持ち上がったの。
土にひびを走らせ、破片に割り、そのすき間から持ち上がるのは、想像していたものよりずっと細い根っこ。
割る前の割りばしほどの太さだけど、その筋へくっつくのは無数の白い玉。いとこは虫の卵のようと思ったらしいけれど、驚きは別の方へ向く。
その根っこの一部へぴったりと寄り添い、つかみ上げているもの。
それは合計10本の指。支えるべき手のひらや腕、身体を持たない独立した10本の影だったのよ。
ぺしんと、持ち上がった根が地面に叩きつけられると、くっついていた卵たちは、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
ひとつひとつが、ピンポン玉くらいの大きさ。それらが狙いすましたかのように、ひとつも外れることなく、いま停まっている車の中へ潜り込んで、もう出てこなかったの。
あらためて走る痛みに、いとこが目を落としたときには根っこにくっついていたはずの自分の十指がすべて戻ってきていたの。
一様に泥だらけで、爪の中にはそれに加えた赤いものも、ふんだんにたたえるくらいにね。
猫の手でも借りたい、という言葉があるように、世界もまた人の手を借りたいと感じる何かがいる。
そいつらがいいことをするとも限らないから、自分の指が使われることないよう、片時も目を離すべきじゃない。
そういう戒めがあるのかもしれないわね。