また会う人
夏の特別編というやつ
「ん……んん…!」
布団の中で、俺は思い切り伸びをする。枕元に置いてあるスマホで日付と時間を確認する。
8月13日土曜日 午前8時26分
休みの日と確認すると同時に大きな欠伸が出た。コンビニに朝飯でも買いに行こう。
「おはようございます! 今日も暑いですねぇ!」
玄関を出ると同時に出会したのは、俺の隣の部屋に住んでいるおっさんだった。小太りで眼鏡をかけており、実に愛嬌溢れるといったところだろうか。一回りくらい年上と思われる彼は俺と同じく地元ではない所から引っ越してきたようで、会えば挨拶を交わす程度の仲であった。
「どうも! お出かけだったんですか?」
「いや、ちょっとコンビニまで」
そう言うとおっさんは手提げにしたビニール袋を見せる。それはなんてことは無い普通の土曜日の光景と言えた。
「俺も行ってきます。昼まではどうせ暑いでしょうから昼飯も買おうと思ってるんですけど、なんかオススメあります?」
「そうですねぇ。冷やしラーメンなんか良いですよ。最近蕎麦やら素麺は飽きちゃって」
「良いですね! それ買ってきます。ありがとうございます」
そう言うと俺はおっさんと別れ、エレベーターで1階まで降りると徒歩5分ほど離れているコンビニまで歩き出した。
外は蝉が鳴く音で賑やかだ。その声が更にこの暑さをかき立てるようで苛々することもよくあるが、今日は何といっても土曜日だ。普段は腹が立つその鳴き声すら許容できる。いや、味わう余裕すら俺にはあった。朝一で誰かと会話するのも良いものだ。
そうして歩いていた時。その瞬間は不意に訪れた。
「おはようございます! 今日も暑いですねぇ!」
道中見たことのあるシルエットが歩いてくると思ったら、近くまで来ると挨拶したその存在は、先ほど会話したばかりのおっさんだった。
「あ、えぇ。ああ、どうも!」
俺も脊髄反射的に挨拶を返すが、何とも奇妙な感覚に陥る。当然であった。さっき帰ってきたところに挨拶をした人間が、自分より先の道から帰ってきているのだから。
「あの……お出かけだったんですか?」
「いや、ちょっとコンビニまで」
そう言うとおっさんは手提げにしたビニール袋を見せる。それはなんてことは無い普通の土曜日の光景と言えた。
「さっき……そこで会いませんでしたっけ?」
「はい? いや、会ってないですよ! ぼくはさっきまでコンビニにいましたんでね! それでは」
挨拶もそこそこにマンションの方へと歩き出すおっさんの背後を見届けてから、腕を組みながら俺は歩き出した。
――さっき会ったのって、夢だったのか――?
どうにもよく分からない。しかも今会ったって感じの挨拶だったし。
蝉の音がどこか遠くに聞こえる。自分の中で渦巻く疑問を抱えながら歩いていたら、いつの間にかゴールのコンビニまで辿り着いていた。
気付かない内に額には汗がにじんでいる。今日もとても暑い。先ほどの全ては夏の暑さが見せた幻だろう。そう思い込むことにして店内に入ると、俺はずっこけそうになった。
「ありがとうございましたー」
「どうもー!」
嬉しそうにビニール袋を受け取るのは、件のおっさんである。そしてそれを手に掛けたかと思うと俺に気が付いたようで挨拶をしてきた。
「あ、おはようございます! 今日も暑いですねぇ!」
「なんで……ここに居るんすか?」
「え、なんでって……。居ちゃ……駄目ですか?」
不思議そうなおっさんの表情に若干ではあるが苛つきすら覚える。その表情をしたいのは俺の方だっての。
「あ、いえすみません。……さっきからよく似た人と出会うもんですから」
「それは奇遇ですねぇ! ぼくと似た人なんか……まぁよくある顔してますからね! ハハハ!」
「はは……。えっと、それじゃ」
「はーい!」
「あ、ちょっと!」
そのままコンビニを出ようとしていたおっさんを俺は引き留める。
「どうしました?」
「今、何買いました?」
「えぇ!? ぼくの買い物なんか気にしてどうするんです?」
「良いんで! えっと、昼飯とかだったら何が良いですかね?」
「ああ、お昼ごはんなら冷やしラーメンなんか良いですよ。最近蕎麦やら素麺は飽きちゃって」
「ですよね! ありがとうございます」
「……? ええ。では、また」
そう言うと今度こそおっさんはコンビニを出て行った。
……何かがおかしい。
俺は自分の感覚がバグってしまったのか。或いはこの猛暑で知らない間に熱中症にかかり、脳が変な勘違いを起こしているのでは無いかと勘ぐり始めた。もしかしたら目に映る人間がおっさんに映っているのかもしれない。
「……はぁ。すみません。スイートチキンと213番お願いします」
しかし目に映るコンビニ店員はまごう事なきコンビニ店員であった。間違ってもあのおっさんの姿ではない。胸元にある若葉マークから漂ってくる雰囲気はどうやら新人のようで、チキンとタバコの準備もどこかたどたどしい。
「お待たせいたしました。1,205円です」
「カードで」
「ありがとうございましたー」
せっかくなのでおっさんに勧められた冷やしラーメンとチキンとタバコ、それから缶ビールを買って外に出た。なんせ冷やしラーメンに関しては本日2回も勧められているのだ。買わざるを得ない。
今すぐ缶ビールを開けたいという衝動に駆られる程の熱気に多少辟易としつつも、元いたマンションへと歩を進める。
そこでまた、彼は現われた。
「おはようございます! 今日も暑いですねぇ!」
「一体、何がどうなってんすか?」
「何がです?」
「あなた今日何回会うんですか!?」
「えっと……ぼくは会うの今日初めてですけど」
「いやいやいやいや俺4回目位なんですけど!」
「おっかしいですねぇ……まぁ、よくお会いしますけどね」
「失礼ですが、今更ながらお名前教えてもらえます?」
「横山です! そういえば自己紹介もしてませんでしたねぇ。お宅は?」
「田端です。横山さん、覚えましたよ」
「やだなぁそんな怖い顔しないでくださいよ! ぼくなんか悪いことでもしましたか?」
「え。いや……すみません。そんなことないです」
「そうでしょう? ぼくこれからコンビニ行くだけなんですから勘弁してください。それじゃ」
「冷やしラーメン……買いに行くんですか?」
「……田端さん凄いですねぇ! なんで分かったんです?」
既に買った後のあんたと何回も会ってるなど言っても、到底信じてはもらえないだろう。
「今日お会いした横山さんに教えてもらいましたよ」
「ハハハ! 面白い人もいたもんですね! ま、ぼくじゃないと思いますけど」
そうしてまた去って行ってしまう。
そうだ。付ければ良いじゃないか。このおっさんがどこでこんな悪戯をしているのか。いやでもこんないい歳こいたおっさんが悪戯なんかするか?
そう思って先ほどコンビニへ向かったおっさんを付けるべく振り返った時には、そこに誰も居なかった。今の間に、それほど時間は無かったはずだった。
――――――――
合計4回の邂逅を果たした後、俺はマンションの自分の部屋に入る前に隣部屋の玄関を見てしまった。
これは現実なのだろうか。それともまだ起きていなくて夢の続きを見ているだけなのだろうか。
しばらくボーッと考えていると、そのドアがガチャリと開き。おっさんもとい横山さんが出てきた。
「えっ?」
「あ、おはようございます! 今日も暑いですねぇ!」
「うわあああああ!!」
思わず叫び、自分の部屋に飛び込むと速攻で鍵を閉める。夢なら醒めてくれ。どうでも良いけどあまりにも気味が悪すぎる。
なんで毎回同じ挨拶で始まるんだ? なんでコンビニへの行き帰りで会うんだ? なんで絶対冷やしラーメンを買ってるんだ?
ここから導かれるSF的結論は至って単純だった。おっさんいや横山さんは――――
無限ループに陥っている!
「なんて、あるわけ無いだろ」
俺はベッドで仰向けになりながらタバコを吸う。口元から立ち上る煙を眺め、先ほどのパニック状態から復帰したことを自覚する。
ま、俺がおかしいって考える方が自然だよな。だからタバコを吸い終わってから潔く寝ることにした。時間が経てばこのヘンテコな状態からも脱するだろうということを期待しながら。
――――――――
目が覚めたのは、既に陽がだいぶ傾いた夕暮れ時であった。
「めちゃくちゃ寝ちゃったなぁ……変な夢見たな」
平日の疲れが溜まっていたのだろう。朝に寝たとしてもかなりの時間が経っていた。それでも、隣人のおっさんの名前が横山ということは頭に残ったままであった。これが夢では無いという地味に嫌な現実を突きつけられつつも、俺はもう気にしないことにした。
「今日あったことは全部夢! いいな俺!」
自分の頬をぴしゃりと叩くと、起き抜けに散歩でもしようと鞄を持ち、外へと出た。
午後6時21分
「こんばんは!」
エレベーターから出てきたのは、やはり横山さんであった。
「あぁ、こんばんは……ランニングですか?」
「そうなんですよ最近始めたんですけど! なっかなか痩せなくてねぇ! ハハハ!」
「良いと思いますよ」
朝の出来事など無かったかのように、今日初めて会うかのようなリアクションを見せる彼に、逆に俺は救われた。これでまた朝の挨拶だったら今度こそ発狂していたかもしれない。
「ところで……田端さん、あなた大丈夫ですか?」
「えっ!?」
「なんかここのところずっとしんどそうで、勝手ですけど心配してたんですよ」
「何がですか……大丈夫ですよ。横山さんこそ大丈夫なんですか? 今日何回もコンビニ行ってますけど」
「そう……ですか。いえ、ぼくは大丈夫なんで。ありがとうございます」
不可思議な言葉を言い残すと、横山さんは隣の部屋へと戻っていった。
俺はさっきの会話を思い起こしながら嫌な予感を感じつつも、俺はエレベーターで下へ降りる。
エレベーターの扉が開いた先には、ランニング帰りと思われる小太りで眼鏡を掛けたおっさんがいた。
「あ、どうもこんばんは!」
それを聞いた俺はもう我慢の限界だった。おっさんの両肩を持つと、感情のままをぶつける。
「横山さん! あんたループしてるよ!!」
「え! ……はい?」
「頼むから気付いてくれよ! ずっと同じこと繰り返してるんだって!!」
「あの、何を……言ってるんですか?」
怪訝を超えてやや怯える表情を見せるおっさんを見て、俺は冷静になる。
これは俺にしか分かっていないのかもしれない。本人が苦しんでいないのならば、そのままにしておいた方が良いのかもしれなかった。
「いや、あの……すみません。俺の勘違いでした」
「いえ……」
俺は彼の肩を離すと、フラフラとエントランスから外へ出た。
この不可思議な現象の理論から言って正しいのかどうか不明だったが、コンビニへの道を歩かなければ横山さんと会うことは無かった。やはり彼はあのルートで延々とループしているのだ。
「俺に出来ることなんか……無いか」
「あの、すみません」
適当な公園でベンチに座り、半分夢を見ているような感覚になりながらふと呟くと、見知らぬ女性が俺に声を掛けてきた。
「何です?」
「あなた……さっき私と会いませんでしたか?」
――――――――
「ん……んん…!」
布団の中で、俺は思い切り伸びをする。枕元に置いてあるスマホで日付と時間を確認する。
8月13日土曜日 午前8時26分
休みの日と確認すると同時に大きな欠伸が出た。コンビニに朝飯でも買いに行こう。
あれ?
俺、なんか忘れてること無い? ……夢か?
「おはようございます! 今日も暑いですねぇ! ま、でも良いですよ! 今日はいつもより清々しいんでね!」
蝉の声が、やけに五月蠅かった。
完
無限ループって怖くね?
これよく聞きましたよねぇ!ループものってSF感もありつつ割と日常に近しい不思議な話が多くてワクワクします。
今回夏本番と勘違いするほどの暑さに思わず勢いそのままに書いてしまいました(おはようございます! 日本列島暑いですねぇ!)。
こういうテイストで書くのはとても楽しいです。