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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

変わらない世界

作者: aciaクキ

少し長めの物語ですが、是非読んでみてくださいね♪


 男の生まれは昭和だった。あるひとつのことを除けば普通よりも裕福な生活を送っていると言えた。そう、たったひとつのことだけを除けば。

 家柄が勉強熱心だったため、本当に幼い頃から英才教育を受けてきた。それだけではなく、彼は元々天才と呼ばれる部類の人間だった。同い年の人は言うまでもないが、驚くべきはそこらの大人にも負けないほど学があったことだ。


 男のいる家系、岩波家には秘密があった。一冊の本とある実験、その2つは決して公にはできないものであり、この時代では本来ならば成せることのできないものだった。


 一冊の本、それは歴史を"視る"本である。指定した年が書かれたページを開き触れながら月日を言うとその日に行き、干渉できる……と言われている。

 バタフライ効果という言葉を知っているだろうか。ほんの些細な出来事が様々な要因を引き起こすことをそういう。過去に干渉すればそれだけ現実に影響を及ぼす。しかし、人々はそれを認識することはできない。世界が変わっているのがわかるのは当事者ただ一人だけだ。


サーっと障子を開く音がなる。昭和の時代にしては珍しい和風建築の建物。大きめの家屋が人目につかない場所で堂々と建っていた。


透弥(とうや)様。お時間です。どうぞ継式の間へ」


緑色の着物を着た女性が弱く、それでいてはっきりと聞こえる声で時間であると知らせる。


「ありがとう。今行くよ」


 紺色の着物を着て座っていた私は重くなりかけた腰を上げて、軽快でない足取りで継式の間に向かう。


 間はがらんとしていて、突如変わった空気に息が詰まるのを感じた。少し肌寒く、体の内部のあちこちを締め付けるような感覚に不快感を覚える。

 私の睨む視線の先には私の父上一人と、脚のついたお膳の上には一冊の本が堂々とした様子で置いてあった。


「そこの座布団に座りなさい」


 地蔵の如くピクリとも動かなかった父が口を開く。その声は重々しく、従うことを強制させるようなものだった。

 私は黙って音を立てずに近づき、座布団の上に正座をする。ピンと背筋を立たせ、視線を送るのは父でも本でもなく、正面、場に馴染みすぎて気が付かなかったのか、はたまた畏れ多く存在感が強かったために認識を自らの無意識で遮断していたのかは定かではないが、2メートルほどの銅像だった。その姿に目を奪われる。


「その本を手に取りなさい」


 その声に意識が回帰する。言われた通りに本を持ち、手触り、匂い、重み、暖かさを感じる。そしてどこからか木魚の音が聞こえる。目をつぶり、意識を手と耳に集中させる。声は聞こえない。岩波家の信仰する宗教にはお経に歌はない。

 シャランと複数の鈴が鳴る。

 特に大きなことも起こらず儀式は淡々と進み、終わりを迎える。


「今からその本はお前のものである。それと同時に今からお前が岩波家の当主となる。精進しなさい」


過去にいけると言われる本は透弥を認め、透弥のものとなった。


 岩波家は代々この本を受け継ぎ、バタフライ効果を利用してより良い未来をつくっていく家系だ。良い未来をつくるために岩波家という一族は必要不可欠だった。だから、これからは自分がその使命を担うのだと思うと、不安で押しつぶされそうだった。しかしながら、多少なりとも頑張ろうという気概も芽生えた──────



ピピピピッピピピピッピピピピッピッ


 甲高い音が部屋中に広がる。リズムを刻んで鼓膜を不快に揺らしてくる元凶を止める。

 もぞもぞと布団の中を動きながらベッドの横に置いてあるスマホを手に取る。

 昨日の夜に一通のメールが送られてきていた。


『例のものを入手しました。取りに来て下さい』


 その後には集合場所と時間も一緒に書かれていた。

 長年探し続けていた物がようやく手に入ると逸る気持ちを抑える。入手方法は聞かぬが吉だろう。

 寝間着から私服に着替えて、身だしなみを整える。外は少し肌寒い。生地の薄い上着を着て玄関を開けて現代を生きる俺─岩波透弥は2100年を踏みしめる。


 駅近くの喫茶店、二人の男がコーヒーを飲みながら一冊の本をテーブルの中心に置いて会話をしていた。


「探してたのはこれで合ってますね?」

 

 そう言ってコーヒーの入ったコップに口をつけて、メガネ越しに岩波を見つめる。


「これで合っている。感謝する。報酬だ、受け取ってくれ」


 小さめの箱を取り出し、中身を確認してもらうと、本と交換をする。

これを機に緊迫した空気が和らぐ。お互いに微笑みを浮かべ、他愛のない話で盛り上がる。依頼については一切触れずに。



「ついに…ついにこの日が来た。ようやく行ける」


 リビングにある小さなテーブルに本を置き、ポツリとつぶやいてみる。古くなって多少色褪せているものの、装飾や色は取れておらず、手触りも新品の本と大差なかった。裏向けるとスマホ程の大きさの栞がセットされていた。これだけはなぜかきれいな金色の光が放たれていた。華美な栞には兎と上部に時計が彫り込まれていた。

本を開き、目的のページを探す。


『1879』


 そう書かれたページを開いて心の準備を整えさせる。手元にはハンドガンが3丁、補給用の玉が沢山入った袋、そしてコートの裏のポケットには鞘に入った短剣などの凶器があった。


「1879年岩波家」


 加えて心の中で『本を手に入れた日』と念じて目を閉じるとフワリと身体の感覚がなくなるのを感じる。手にだけは本を掴んでいる感触だけが残っていた。


 足が地面につく感覚、風が顔を撫でる感覚、微かに聞こえる木々が揺れる音、まぶた越しに感じる光。先程家にいたものとは違った感覚になり、場所が移動したのだと思い、ゆっくりと目を開ける。目の前には木々だった。

俺は今、森の中にいる。


「お前さんの家族は大丈夫なのか?」


 突然聞こえてきた声に驚き、すぐさま近くの茂みに隠れて聞き耳をたてる。


「今のところは。だが、ここいらにいつ悪魔が来るかわかったもんじゃない。身の回りはなるべくキレイにしているさ。そういうそちらさんはどうなんだい?」


 羽織姿の男が二人歩いてくる。一人は荷物を持ち、一人は手ぶらだった。


「こっちもまだ大丈夫だ。この運がいつまで続くやら。新聞を見たら、今度は愛媛の方に悪魔が出たそうだ」


「そら気の毒だな」


「まったくだ」


 何か情報を得られると思ったが、なんの話をしているのかさっぱりだ。悪魔がどうとか言っていたがなんのことだろうか。

 そうこう考えるうちにも二人の会話は進んでいく。距離が開いてもいけないので音を立てないように慎重に移動しながら聞き耳を立てる。


「それにしてもこの箱は何なんだ?」


 男はタンタンと箱を叩きながら疑問を口にする。振っても何も音がしない。開けようとしても開け口が見当たらない。壊してまで中を見たいとは思わないのか観念して持ち直す。


「確かに気になるな。だってこれ、郵便に任せずに別の仕事の俺たちに頼んだんだ。秘密裏に渡したかったってことだろ?」


 あの箱にこの本が入っているならば、ついていくしかない。だが、もし違ったら大幅なタイムロスになる。


「そういえば、この箱を誰に渡すって聞いたか?」


「一応聞いた。確か─」


確信に迫る会話を聞きたいという気持ちが行動に移り、


ガサリ


と静かな森には大きく響く音を出してしまった。


「何者!」


 二人の男は音を聞いた瞬間立ち止まり、こちらに視線を向ける。幸い身体は隠れていたためにバレはしていないものの不審に思われてしまった。姿を見せるわけにもいかずどうしようかと悩んでいると、目の端に黒い物体が草むらの影から飛び出てきた。


「鳥…?」


 小さな鳥だった。鳥は何事もなかったかのように何処かへ飛び去ってしまった。二人の男は、音を出した正体が鳥であったことに、俺は二人に気づかれなかったことに安堵し、胸をなでおろした。


「はぁ、それでこれは誰に?」


もう一度話を戻す。その言葉に集中する。


「岩波家と言うそうだ」


 そう聞いて飛び出す決心を固める。あの箱の中は十中八九本だ。内ポケットに忍ばせた拳銃を2丁手に持ち、タイミングを伺う。


「ありゃ、履物の靴の紐が千切れてしもうたわ。少し待っとくれ」


 一人の男の履物の紐が切れ、その場にうずくまる。絶好のチャンス。そう思い足に力を入れて飛び出す瞬間、ガサリとまた、草の音がする。膝から体が崩れ落ちたのだ。直後からくる膝からの激痛はパニックを起こすのには十分すぎる材料だった。

 いつの間にか斬られていた喉によって声を出すのも叶わなくなる。何が起こったのかも理解できないまま命がどくどくと流れていく。成す術なく地面に倒れ込むその姿は膝から下は切断され、喉は斬られて声帯を潰されて声が出せないでいた。

 せめて姿だけでもと思い、目だけを一生懸命に動かす。目が捉えたその姿は、まるでサイボーグのようで、手には長い刀が握られていた。

 それを見ると、急に眠気が襲い、失われる生を放置して、意識は少しずつ遠のいていく。


 手に持つ刀から血を払いながら足元に倒れ込んでいる死体をじっと見下ろす。とどめをさすように心臓を一突きし、静かにその場を立ち去る。体内から出る血の量を怪しく思いながら。

 二人の男はそんなことが近くで起こっているのにも気づかずに岩波家へその箱を届けに歩き出す。



「誰だ!」

短刀を持った男はその声に驚いたように肩を弾ませてこちらと視線を交わす。こちらは刀を持っている。今家には誰もいない。今家を守れるのは自分しかいない。体に力が入りながらも男と対峙する。男は走りだし、自分との距離を瞬時に縮める。受け止めるもカウンターで弾き返され、大きく開いた脇から背骨にぶつかるまでザックリと斬られてしまった。その斬られた部分はワニの口の如くばっくり開き、出血が絶えずに血溜まりを四方に飛ばしてその場に伏してしまった。



「ん、ガハァ!うごぇ」


口内に溜まった血をぶちまけて、窒息を免れる。


「くそ、やな夢を見た。最悪だ」


 体を起こそうともがく。そこで再び足がないことに気づく。ズルズルとはいずって足を手に取る。膝から下の足をべチャリと音を立てながら傷口を塞ぐように切れ口に当てる。するとものの数秒で傷口が塞がり、ついにはその部分は不自然に服が破れ血がついているだけになってしまった。もう片方も同じ処置を施し、動作チェックをする。


「よし、動くな。時間がない。早く向かわないと」


 幸いにも首は繋がっていたために斬られた喉は気を失っている間に完治していたようだった。起きた時点で喪失感はあったものの痛みは全くなかった。全身に異常がないか確認し終わると、荷物を持ち直し、岩波家へ足を運ぶ。


 子供の頃、自分の身体は特別だと思わなかった。怪我をしても、ものの数秒で跡形もなく治った。病気には一度もかかったことがない。周りからは気味悪がられていたけど、そこまで気にしていなかった。

 年をとるにつれ、自分の身体がおかしいことを自覚していった。料理で手を切っても、高所から落ちて骨折をしても数秒で治ってしまう。

 

自分の身体が異常だと確信した出来事があった。ある日、自分の部屋に強盗が押し入ってきた。目の前にいた俺は当然強盗に襲われ、応戦したものの力及ばず、手に持っていた短刀でその身を切り裂かれた。これが人生初の死だった。

 目が覚めると、開いていたはずの傷口はきれいに塞がっていた。夢だったのかと思いたいが畳に染みきれなかった血溜まりが現実であったことを物語っていた。


 岩波家には秘密があった。一冊の本とある実験。過去に戻れる本と、不老不死の実験だった。

 その実験の唯一の成功者が俺であったと、そう父親に聞かされたときの衝撃は大きかった。

 死んでしまっては過去改変ができなくなる。下手すれば岩波家自体なくなってしまう可能性だってある。だからこそ、死なないということは重要だった。ついに当時の技術では不可能だった不老不死を可能にしてしまった。注射器に溜めた不死の薬を様々な人へ注入したが、透弥以外は身体が拒否反応を起こし、死んでしまった。不老の薬は肉体の全盛期である25歳のときに注射された。そこからは肉体は老いなくなった。

これが不老不死の岩波透弥の誕生である。


「よし、ここが岩波家が住んでいる集落か」


 あの森からしばらく歩いてようやくたどり着いた。途中またサイボーグのようなあいつが殺しにかかってくるのではないかと思ったが、思ってたよりもすんなり来れた。ただ、ここからも何が起こるかわからない、慎重に行こうと、頬を固くする。

 あたりは暗くなって闇に染まっていた。街灯一つない暗闇の中当然誰も外を出歩いていない。岩波家を探すのも苦労しそうだった。

 いつでも襲撃に対応できるように、右手にナイフ、左手に拳銃を構える。足音を立てないようにゆっくりと歩き、一つずつ家を確認して岩波家を探していく。

 ペチャリと水たまりを踏む音と感覚があった。雨が降っていた痕跡もなかったがあまり気にもとめずに進んでいく。


「なっ!?」


 決して油断をしていたわけではなかった。何が起こっても良いように身構えていた。それはもう今までにないほどに。それでも、予測できない事態は必ずある。この黒い物体は。

 死体の山は予測できなかった。匂いまで焼かれているように何故か匂いが全くしなかった。足元にはおびただしい量の血が山からこぼれ落ち、手や足、頭などの体のパーツが山から飛び出していた。そこら中にもごろごろと転がっている。全てが焼け焦げ、原型をとどめていなかったものもあった。


 吐き気に襲われる。こんなにひどい光景は人生で初めてみた。気持ちを切り替え、なるべく目に入れないように山の横を通り過ぎる。少し歩くと、そこには大きな屋敷が堂々と建っていた。門の前にはサイボーグのあいつが一人、刀を構えてこちらをじっと見ていた。本当にただの機械なのか殺したはずの人間が目の前にいるのにもかかわらず、驚いた様子も見せず、目の前にいる人間を殺さんと殺気を放っている。

こちらも拳銃とナイフを構え、迎え撃つ準備を整える。


 示し合わせたわけでも、どちらかが動いたからということでもなく、同時に、ただ同時に走り出す。距離は急速に縮まり、最初の一太刀を刃と刃を交わすことで終わらせる。甲高い金属音が人気のない闇夜に響く。

 相手の武器は一つ、こちらは二つ。交わした直後距離を取り再び詰める。二度目の攻防、互いに離れず至近距離での打ち合いの中、火花を飛ばしながら鉛玉を打ち込むタイミングを見計らう。ナイフも何回か当てることができたが、傷をつけるに至らず、一方的に傷つけられている状態だった。それでもすぐに傷は治ってしまうために、互いに倒れず半永久的に攻防が続く。

 意を決し、足に力を込めて重心を安定させ、走り出す。ナイフを下から上へ脇を切り裂こうとするも案の定刀で受け止められる。


 先程から何も変わらない安易な攻撃ばかりでサイボーグはこころなしか呆れているようだった。とどめを刺そうとナイフを流し弾くと隙だらけの右の横腹を裂こうと凶器を這わし、その生命を上下に分ける───ことはなかった。その刀はサイボーグが自身を守るために近くに寄せ、体半身の左側に飛んできたナイフを弾いていた。立て続けに右側から別のナイフが飛んでくる。ふと気がつけば腹部にいくつもの穴が空いていた。


「はぁはぁ」


 一連の攻防を経て、サイボーグの反射神経とスピードの異常さを改めて自覚した。同時に弱点も見極められた。

 左手にはあのときにはすでに拳銃は持っていなかった。持っていたのはナイフだった。左のナイフを投擲し、間髪入れずに右のナイフも腕を振り下ろす勢いで投げる。

 弱点が合っていることを願いながら両手に拳銃を持ち、サイボーグの懐に入り込んで、できるだけ多くの傷を作るため、ゼロ距離で発砲した。


 覗けば向こう側を見ることができる程の穴がぽっかりと空いていた。サイボーグの弱点は思っていたよりも単純なものであった。反射神経やスピードは類を見ない速さだったが、実は大きな落とし穴がある。一方向にしか攻撃も防御もできない。一対一では最強だろう。だが、集団を相手にした戦闘には向かないだろう。もちろん相手が手練である前提の話だが。


 タイムリミットはあと少し。時間が過ぎれば強制的に戻される。だから早急にこのサイボーグを完全に破壊する必要がある。多少怯んで入るものの、大きなダメージとはならなかったようだった。


「サイボーグとはいえ人間だぞ?どうなってんだ。心臓部か、頭部の破壊じゃないと無理なのか?くそ、荷が重い」


 投げたナイフはすべて破壊されていて使い物になりそうになかった。あとは拳銃ぐらいしか残ってなかった。人間相手を想定していたため毒針も持ってきたが、ほぼ機械のあいつには通用しないだろう。


「血すら出てないからな」


 自分の命を犠牲に倒すのは一時的に気を失うので一度しかできない最終手段だ。確実に切り離されるから動けなくされたらゲームオーバー。遠距離からちまちまと破壊するしかない。玉をリロードし戦闘態勢に入る。傷はもう完治している。


「名を名乗れ」


 サイボーグからの突然の言葉。それは相手を好敵手と認めた証でもあった。


「岩波透弥だ」


表情は読めないが、なんとなく驚いている様子が伺えた。


「お前がか……。この時代に来た目的は?」


名前を聞いただけで何かを察したらしい。


「話が早くて助かる。この過去へ戻れる本を破壊し、岩波家が変えた世界の辿るルートをもとに戻しに来た」


 床に置いていた本を拾い上げ見せつける。目は無いはずなのにこちらをじっと見られている気がした。


「悪いことは言わない。このまま現代に戻れ」


刀を鞘に戻しながら静かに諭すような声と言葉だった。


「理由は?」


 会話は続けながらも戦闘態勢は崩さない。力を抜き、何が来ても対処できるよう構える。


「この先に行ったとて、貴様の望む結末は迎えない」


「それは俺が決める。通してくれるか?」


睨みつけながらも拳銃を仕舞う。


「貴様の名と目的を知った以上、止める理由はない。好きにしろ。どうなっても知らん」


 先程繰り広げた死闘のときとは打って変わってあっさりと通してくれた。


 俺は言葉に甘えて、サイボーグが開けた道を通り、大きな門の目の前に立つ。門の横には『岩波』と書かれた表札があった。

 仕舞った拳銃を取り出し、ゆっくりと静かに門を通っていく。

 敷地内は驚くほど静かだった。人の気配どころか虫の鳴き声一つしない。感じるのは頬を撫でる生温い湿ったそよ風だけだった。心臓の音が響きそうなほどの静寂の中、ザリザリと音を立てる砂だけが自分が存在しないことを否定してくれる。もしかしたらこの空間しか存在しないのかもしれない。そんな突拍子のない錯覚を感じて立ち止まる。目の前には猛々しくそびえ立つ家に入るための扉があった。


 扉を開けた瞬間何かが攻撃してくる可能性もある。何が待ち構えているのか想像もつかない。

 手に汗を滲ませながら拳銃を持つ手に力を入れる。

 ピシャっと左手で勢いよく扉をスライドさせ右手の銃口を家の中に向けるも、そこにあるのは、外よりも酷い静寂だった。

 想像した展開、想像できなかった程度。一抹の不気味さを覚えながら敷居を跨ぐ。

 瞬間空気が変わる。ぞわりと何処かで味わったような空気が神経を逆なでする。


「ぐおぇ、がはぁ、ごへ」


 体内を掻き回されるような感覚に負け、胃に溜まっていたモノを足元にぶちまける。膝が小刻みに震え、うまく立てなくなりべチャリと泥水にぶち当たったような音を立てて膝をつく。視界がぐるぐると回り、倒れ込みそうになるも気合で体を支える。

 必死の思いで四つん這いのまま玄関を上がり、廊下を進んでいく。横に家が広がっていた外見から考えれば意味がわからない構造の間取り。玄関から一直線にしか伸びていない廊下の先にあるたった一つの扉まで。


「ごはぁ」


べちゃ、べちゃ、べちゃ、べちゃ、べちゃ、


 どれだけ進んだのだろうか。10分はゆうに超えているだろう。今もなお吐き続ける。回数を重ねるごとに出てくるものも少なくなり、遂には苦しそうな喘ぎ声と唾しか出なくなっていた。悪臭を漂わせながら目的の部屋の扉まで匍匐で這っていく。

 しばらくして手が何かにぶつかった。顔を上げると目的の扉が目の前にあった。力を振り絞り立ち上がろうとする。


「がぁぁ」


尚も蝕み続ける嘔吐感が襲う。


「もう…何も出ねぇって」


 かすれ声で恨み言を言いながら、扉に体重をかけて立ち上がると、ドアノブに手を掛ける。そのままの勢いで扉を開けるとそこには一人の老人が椅子に座っていた。


 震える手を抑えて咄嗟に拳銃を構える。しかし老人は肩一つ揺らさずにただじっと座っていた。その目は焦点が合っておらず、空虚を見つめていた。

 不審に思い、倒れないよう足に力を込めてゆっくりと近づく。か細く甲高い羽虫、蠅の羽音が次第に多く大きく広がっていった。眉をひそめながら老人の前に立って初めて状態を認識できるようになった。

顔は皺だらけでくしゃくしゃで、その目には何も映っていなかった。


「っ!?」


息絶えていた。

着ている袴の胸元には


岩波爻こう


と書かれた布が縫い付けられていた。


「岩波爻って初代の名前じゃ…?」


 初代の死。それは一族の消滅と同義である。

 このままでは自分も消えてしまう。更に過去に戻って、初代が殺される未来を止めないと。なら現代に戻る必要がある。でも現代に戻ればまた本を探すところから始めないと。そんな待っていられない!


「くそっ!どうすればっ!」


 体調が回復しているのにも気づかずにその場で吠える。焦りからの焦燥感に駆られ、予想外の出来事に狼狽する。


「それが正しい道だとしたらどうする」


扉の方から声がした。振り返るとそこにはサイボーグが立っていた。


「正しい道……?」


「そうだ。初代は実は死んでいた」


壁にもたれかかっていた背中を離し、ゆっくりと近づいてくる。


「そんなわけ無い。ならどうして岩波家は存在している」


「極めつけには」


こちらの話を聞かず、サイボーグは言葉を続ける。


「貴様が、岩波透弥がここに来て私と対峙し、初代の死に動揺することまで、進むべき道だとしたら。お前が干渉したと思っていたことが、本当は実際に起きていた過去だとしたら、そして」


 サイボーグはおもむろに頭部を外そうとする。しかしその首は外れることなく、顔だと思っていた部分がヘルメットのようにズルリと脱げる。その中に隠されていた素顔が姿を見せる。


「なんで…」


露わになった顔は、他の誰よりも自分が一番見てきた顔だった。


「どうして……」


サイボーグは凶悪に口を歪ませ、刀を鞘から抜き取る。


「……俺の顔をしてるんだ」


自分と瓜二つ、否、全く同じ顔をした生物が目の前にいた。


「そして、俺に殺されて現代へ戻されることが正しい過去だとしたら、どうする?」


 首を刎ねに来ると思って、咄嗟に首を守るも、激痛は脚に来た。膝を斬られていた。


「がぁぁ!」


立てなくなり血飛沫を上げながらべチャリとその場に倒れ込む。


「まだ殺さない。面白いものを見せてやる」


 そう言うと、真っ直ぐ初代の方へ行き、額に貼り付くように埋め込まれていた華美で、兎と上部に時計が彫り込まれているスマホ程の大きさをした栞のようなものを頭部もろとも突き刺した。

 するりと刀を抜くと、どういうわけか血は吹き出ず、何も無い虚無でもあるかのような真っ黒い穴があるだけだった。すると、じわじわと肌から赤いモノが浮かび上がり、やがてそれは数字へと変化していく。


『1365』『1528』『490』『1499』『134』『649』『1721』『24』…………


 不規則に出現する数字は何一つ被らずに老人な体に次々と出来上がっていく。服の内側も例外なく体の隅々まで数字が書かれる。

 やがてその反応が止まると、顔をしかめたくなるような不快な音が耳を犯していく。


バキ、ゴキ、グシャ、ブシュ、ガキ、………


 言葉にならない音が、脚が、腕が、背中が、首が折れる音、血管が、肉が、神経が、繊維が、細胞が千切れる音が絶え間なく反響する。

 みるみるうちに老人の姿は栞のようなものを中心に縮んでいく。折れて、千切れて畳まれを繰り返し繰り返し。何重にも折り重なったそれは、もはや老人の影も形もなく、ただの塊だった。それでも尚栞のようなものは埋め込まれたままだった。

 要領を得ない形をしていた塊は徐々に四角く変形し、ツーっと無数の切れ込みが入り、その姿は本に成り代わっていた。細かい装飾が出来上がり、見た目は完全に、過去に戻る本そのものだった。衝撃的な変貌に痛みも忘れ、ただただ呆然と見ていることしか出来なかった。


「すごいだろう?何度見ても惚れ惚れする変異だ」


 もうひとりの透弥は両手を大きく広げ、天井を見上げる。心から愛せる人に出会ったかのように頬を赤らめ、

目は細まっていた。


「何度も……?」


「おっと、少し話し過ぎたかな」


言葉を反芻させると、にやけている岩波は反省するように舌を出す。


「良いものを見れただろう?じゃ、もう要はないから殺してやる」


ゆっくりと刀を構えながら近づいてくる。


「クソッ」


 叫ぶと同時に両手に拳銃を構え、同時に発砲する。玉が切れてもすかさずリロードする。それでも先程の弱点が全く感じさせない動きをしていた。


「なんで!なんで当たらない!」


「俺に弱点なんて存在しない。完全な生命体だからな。生命でもないが……クク」


 飛んでくる鉛玉を全て斬り裂いていく。

 気づけば拳銃を持っていた両手が切り離されていた。痛覚はしっかりあるが、もはや声すら出ない。切っ先を目の前に突きつけ、一つ教えてやろう、と意気揚々と言った。


「初代を殺したのは俺じゃない。悪魔だ。この時代の人間には、この悪魔はどうにも出来ない。岩波初代であろうと悪魔には勝てなかったらしいな」


「そんなのうs」


 音もせず、痛みも感じず、殺されたと感じることも出来ず、うそだと言い切る前にその命は血しぶきを盛大に上げて途絶える。


「これで全部水の泡。まあ世界の役目を果たしたんだからご苦労だった、だな。お疲れさん、実験の唯一の成功者、岩波透弥」


「傷口からは生えてこないんだな」


足、手、首が切り離された岩波を見ながら率直な感想をこぼす。


「にしても悪魔か……。ははっ!ただの流行病だってのに大層な名前だな」


「これも世界の強制力。たった一人の力じゃ世界の決められたルートは変えられない。干渉していると思っていた過去が本当は実際に過去にあったことだったなんて誰も想像しねえよな」


 血払いをし、刀を鞘に戻しながら、改めて理不尽な世界のルールを思い返し、かわいそうだと思いながらため息をこぼす。


「さて、この本を東京の道端へ落としておくんだよな。そしたら、決められた人間がこの本を拾い、そいつが岩波家当主になるんだよな。んで、未来でまた岩波透弥が世界のルールを壊しにやってくるんだな。そろそろ飽きてきたぜ。何回繰り返してんだか……。しっかし、不思議な本……いや、栞だよな」


本を裏向け栞をじっと見つめる。


「さーて、役目を果たしに行きますか」


 考えるのを止め、いつの間にか消えていた岩波の亡骸が倒れていた場所を見つめ、血で赤く染まった屋敷をあとにする。



真っ先に刺激してくるのはまぶた越しに感じる光だった。


「ん」


 全身が冷たく感じ目をゆっくりと開けると、床に大の字で倒れていた。上体を起こして、状況の把握に勤しむ。

 ズタボロに切り裂かれた服を確認し、手首、足がくっついていることを確認する。そして近くに本がないことも確認する。


「クソッ!」


 目的が成功しなかったことと、何も変えられないというあのサイボーグの言葉と、あきらめモードに入ってしまっている自分に苛立ちを覚え、テーブルを力いっぱい拳で叩きつけた。何も変えられず、現代に戻ってきてしまった。何をしに過去に飛んだのかすらわからなくなってしまっていた。もう一度過去へ戻るなら、本を探すところから始めなければいけない。

 諦めるつもりはなかったが、今はただ、今だけは疲れた身体を癒やしたいと、その場に寝転び、目を閉じた。いつかまた、あのサイボーグと対峙する時を想像して。


不老不死はいつまでも死なない。


最後まで読んでくれてありがとうございます!

短編で投稿しましたが、別のタイトルでこれの続きを投稿しようと思っています。「〜世界」というタイトルにする予定なので、投稿したら読んでください!

感想とアドバイスも良ければしてください!これからの糧にしようと思います!

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