07 魔剣の頂は果てしなく
後の世の歴史家は言う。魔王ハニャの功罪は大きいが、代表的な功績として魔剣技……魔剣の普及は外せない。
魔王の斬撃は鋼鉄を紙のように裂くのみならず、魔法を斬ってのけ、更に裂傷を回復不能のものとする。魔法ですら難しい業を純粋な剣技のみで成すのだ。魔王が世界を支配した時代、魔法よりも剣技のほうが格式高く優れたものとされた。魔王が魔法を好み保護していなければ魔法は完全に廃れていてもおかしくなかった。
魔王の魔剣は従来の剣術と異なり、不断の鍛錬とある程度の素質は要求されるものの分かりやすく洗練された技術体系が確立されており、広く市井に普及した。
魔王その人に魔剣の技の数々を教え授かった直弟子。直弟子の更に弟子となる孫弟子。魔剣使いを見様見真似で真似た者達。とにかく魔剣使いやその模倣、傍流の使い手は従来の剣術のほとんどを駆逐し剣術界隈を席捲した。剣士といえば魔剣使いという常識は魔王の世にできあがったのだ。
魔剣の特徴として、抜剣時の独特の音色がある。
魔剣を学び鍛錬を積み上げ、斬鉄を習得し一人前とされた魔剣士は剣を抜く時に鈴に似た「リン」という音が鳴る。これは魄と肉体と剣の同調を示す響きで、どんな騒音の中でも不思議と耳に届くこの音は「魄が鳴らす音」、つまり魄鳴りと呼ばれる。
魄鳴りを起こす剣士と起こせない剣士の間には隔絶した実力差がある。実力差が魄鳴りとして現れると表現する事もできるだろう。
魔剣が普及した背景にはこの魄鳴り現象も関わっている。剣を抜けば音が鳴り、音を聞けば素人でも相手の実力が分かる。非常に分かりやすく強さを誇示・比較できるのだ。
そして魄鳴りにも階級がある。
抜剣時にリンと鳴る「立魄」。
魔剣の使い手として独り立ちする一人前の腕前を示すもので、鉄を切り裂く事ができる。
抜剣時にリリンと続けて二音が鳴る「双魄」。
魔剣の使い手として熟達した者のみが鳴らす音で、魔法を切り裂く事ができる。
抜剣時にリリリンと続けて三音が鳴る「連魄」。
魔剣の使い手にとって目指すべき到達点はおよそこの階級であり、その斬撃による傷は自然治癒・魔法回復によって癒えない。
そしてリリリリンと四音が鳴れば「廻魄」と呼ばれる。
魔王が鳴らす恐怖の象徴、死の音であり、神代の遺跡に祀られる戦の神の石像が腰に四つの鈴をつけている事から、戦神もまた廻魄であったのではという説も提唱されている。
一般に魄鳴りが一階級あがれば三人力とされる。一階級下の剣士三人に包囲されてやっと互角というわけだ。
剣士が三人に包囲された場合、正面の敵を相手にしながら横に張り付いた敵を警戒し背後に回った敵も捌かなければならない。一階級差、魄鳴り一つの差というものはそこまでしなければ埋まらない。鈴の音が二つ違えばどうあがいても敵わない隔絶した差があると言えよう。
事実、とある戦場で連魄(三音)の魔剣士が立魄(一音)の魔剣士100人をたった一人で斬り殺したという話もあるほどだ。
立魄の魔剣士もまた一般的な成人男性100人を一人で斬り殺せるから、単純に考えて連魄の魔剣士は単独で一万人分に相当すると考えてよい。悪夢の如き存在だ。
連魄ですらそれほどまでのチカラを持つのだから、廻魄の位にある魔王や戦神といった剣神達が遺した荒唐無稽な伝説の数々もあながち嘘ではないと考えられる。
だが、不確かな情報によれば廻魄の更に上があるという。
その剣士がひとたび抜剣すれば、剣を鞘に納めるまで鈴の音が無制限に鳴り続けたとされる。
ほんの僅かなズレもない完璧な心技体魄剣の合一を成せば理論上は可能であるが、それは理論上の話であって、実現できる者がいたとしたらそれはもはや人ではなく、神でもなく、この世のモノではない超越存在だろう。ありえないゆえ、論ずるに値しない。
とにかく、魔剣について詳しく知らない一般人には剣を抜いて鈴の音が鳴れば絶対に敵わない達人と認識される。一般人にとっては立魄だろうが双魄だろうがどちらにせよ勝てない相手であるから、その認識は正しい。
一部の魔剣使いはこの一般人の恐怖につけ上がった。剣を抜くだけで誰もが恐れ戦きへりくだるのだから実力以上に威勢がよくなるのも無理はない。優れた魔剣使いほど上には上がいると知るため、実力を誇示はしても虚勢は張らないのだが……
つまり、立魄の魔剣使いイキリータ・ロウはそうしたよくいる勘違いイキリ剣士だったのだ。
イキリータ・ロウは長く燻っていた魔剣使いだった。
十五にして師に弟子入りし稽古をつけてもらうも中々成長せず、後から弟子入りした弟妹弟子たちがあっという間に自分を追い抜いていくのを嫉妬と歯がゆさの入り混じった目で見送ってきた。
イキリータは二十年もの間屈辱を味わい続け、心にドロドロとしたものを溜めに貯めていた。剣士ではなく道場の下働きのおじさんとして馴染んでしまっていたのがなおさら受け入れがたかった。
そして苦節二十年、ようやく抜剣して音が鳴り、立魄となったイキリータは舞い上がった。
これで若さと才能だけの剣士達にデカい面をされずに済む。やっと同じ立場になった、いや自分の方が上に違いない。二十年も修行したのだ。八年だの十年だので立魄になった剣士とは積み上げたモノが違う――――
実際はそんな事は全くなく、立魄の魔剣士の中でもイキリータは一番弱かったのだが、長く苦しい鍛錬を耐え抜いたという自負が事実を誤認させた。あれほど苦労したのだから強くて当然だという思い込みがあった。才能がないという事実に耐えられず、目を背けた。
イキリータは早速町の酒場に繰り出し、剣を抜いて店主を脅し、看板娘を威圧し従わせ、気分よく楽しい一夜を過ごした。数日前まで肩身が狭く店の隅で酒を舐めていたのがどうだ。王にでもなったようだった。
看板娘はイキリータを褒めそやした。こんなに立派な剣士様には会った事がない。ぜひ私と結婚して欲しい……
若く美しい乙女に求婚されたイキリータは喜んだ。強くなって良かった、としみじみ思った。これが強さなのだと。
看板娘はイキリータにしなだれかかり、結婚指輪が欲しいと言った。昏き森で採れる宝石を使えば誰もが羨む素晴らしい指輪を作れるだろう、と。
だから昏き森へ行って宝石を採ってきて欲しいとねだられ、流石に躊躇した。
昏き森は有名な死地だ。入って生きて戻った者は滅多にいない。立魄の上位、双魄の魔剣士ですらまず間違いなく帰らぬ人となる。
しかしあなたはいずれ世界一の魔剣士になるお方です、私は信じています、英雄譚の最初の一歩として丁度いいでしょう、とおだてられイキリータはその気になった。
イキリータは必ず戻ると約束し、看板娘にキスをして、剣を担ぎ肩で風を切り颯爽と店を出て森へ向かった。
店の扉が閉まると、看板娘は笑顔を止めため息を吐いた。
面倒な客を追い払った看板娘は店主に肩をすくめてみせ、スリとった財布を投げて渡した。店主も慣れたもので、財布を受け取り懐にしまい、すぐにイキリータの事を忘れた。
イキリータは確かにそれなりに強かったが、別種の強さ――――女のしたたかさを見くびったのが敗因だった。
馬車を乗り継ぎ昏き森にやってきたイキリータは、見た事のないねじくれた不気味な植物と立ち込める霧、息が詰まる威圧感に本能的恐怖を感じ帰りたくなったが、自分の強さを信じて足を踏み入れた。
幸運にも、あるいは不幸にも、イキリータは森の魔物と遭遇せずどんどん奥へ分け入っていった。途中、魔物に襲われた犠牲者のものと思しき道具袋や白骨死体、朽ちかけた武具を見つけ、自分の持っているものより上等なものがあれば取り換えた。優れた道具は優れた使い手あってこそ。
数回の野営を挟み、やがて帰り道も分からないほど奥へ入ったイキリータは人の話し声を聞いた。
人語を話す魔物か? あるいは自分と同じように昏き森に何かを探しに来た剣士か? どちらにせよ戦いになる可能性は高い。
心地よい緊張感と僅かな不安を胸に木の陰から話し声がする方を伺ったイキリータは絶句した。
一目で分かった。紅蓮の拳、銀髪、星空の剣、そして見ただけで死を錯覚するほどの重圧。どういうワケなのか魔王その人がそこにいた。半透明のよく分からない何かと楽しそうに話している。
恐ろしい。絶対に勝てない!
逃げようとしたイキリータだったが、待てよ、と思いとどまった。
魔王を殺せばそれはつまり世界最強という事だ。絶体絶命の危機であると同時に絶好の機会でもある。
自分は強い。イキリータはそう信じていて、自分に言い聞かせてもいた。
イキリータは剣の柄に手をかけ、ゴクリと息を呑んだ。腰を落とし、距離を測る。額に汗が滲み、喉が渇いた。人生でこれほど緊張した事はなかった。
そしてイキリータは栄光への一歩目を踏み出し、音もなく背後を取っていたヨーウィに首を落とされ死んだ。
道を塞いで固まっていた弱そうな人間を通りがかりに斬り捨てた若いヨーウィは、特に何の感慨もなくのそのそと師の元に歩いていった。
「お、ヨーウィ。どうした?」
「師、我、鍛錬を望む」
「ししょー、私も」
「よしよし。まとめて見てやろう。まずは基本の型のおさらいから――――」
昏き森の住人達は、この日も何事も無い平和な一日を過ごした。