30 魔王復活
大魔王ハニャが封印されてから五十年が経った。
魔王の恐怖は過去のもの。今では老人の昔話に登場するだけの存在だ。
俺はハニャがどこに封印されているか知らない。どうやって封印されているかも知らない。知っているのは勇者だけだ。
だから俺は封印場所を教えてもらいに勇者を訪ねた。
魔王を倒した伝説的英雄、勇者ストロンガーは現在隠居生活をしている。
戦後魔王復活を企む不穏分子の殲滅や強大な魔物の対処、後進育成・勧誘などで獅子奮迅の活躍をしていた勇者も丸くなり、妻を娶りフィクサー的な立ち位置となって落ち着いた暮らしをしているとか。
勇者は世界的な有名人にして超重要人物であり、その威光にあやかろうと近づく者が後を絶たない。身辺警護というよりも煩わしい人付き合いを避けるための護衛がいて、勇者に会うのは難しい。
のだが、俺には関係ない。幽霊のいいところはどこにでも行けるところだ。護衛は俺を視れないし、視れたところで止められない。
俺が護衛も壁も結界も全てすり抜けて勇者の私室に顔を出すと、暖炉の前の肘掛け椅子で本を読んでいたストロンガーが目を丸くした。
「先生!?」
「久しぶりだな、ストロンガー」
ストロンガーは立ち上がり、椅子を勧めようとして俺が幽霊で座れない事を思い出したようだった。
「びっくりした、急に出てくるから……先生は今までどこで何やってたんだ? 森に行ってヨーウィに聞いても行方が分からなくて困ってたんだ。まあとにかく元気そうで、死んでるのに元気ってのもおかしいけど、元気そうで良かった」
「お前も鈍ってないみたいだな。聞いたぞ、最近やっと結婚したんだって?」
「いやあ……」
ストロンガーは頭の後ろを掻いて照れた。
七十歳近いストロンガーにとっては三十代の女性でもとんだ若妻だ。歳の差なんてもんじゃねぇぞ。外見年齢が近いから違和感はないが。
俺とストロンガーは久々の近況報告や雑談にしばらく花を咲かせ、やがて本題に入った。
「――――それで、モノリス加工のためにとにかく力が必要でな」
「それで俺に? 神々の遺産かあ、自信はないな」
「いや、お前にやって貰いたいわけじゃないんだ」
俺が否定すると、ストロンガーは首を傾げた。
「じゃあ誰に?」
「一人しかいないだろ。魔王はどこに封印されてる?」
聞いた途端に表情を変えたストロンガーを見て、俺はこれは絶対に聞き出せないと悟った。恐ろしい真顔だ。木石の方が表情豊かだろう。
「教えない」
「前もそういっていたけどな、」
「先生」
「こっちも復活がかかってるからそう簡単に、」
「先生」
「……なんだ」
俺の言葉を遮り、ストロンガーは抑揚を抑えつけ底知れない激情を秘めた声で言う。
「魔王の剣技には見覚えがあった。魔王がどうやってあれだけの強さを身に着けたのか、あの邪悪な怪物を育てたのは誰なのか、色々……想像してる。でも聞かない事にした。俺は先生を嫌いになりたくないんだ」
「……その気持ちは嬉しい。だが封印場所にもう目星はついてるんだ。悪いがお前が教えなくても見つけるぞ? 遅いか早いかの違いなんだ」
「教えない。魔王を殺さないだけで譲歩してるんだ。自由にはさせない」
「そうか、分かった。邪魔したな」
俺が頷くと、ストロンガーは拍子抜けしたようだった。
「分かってくれたならいいんだ。先生、また来てくれよ。歓迎する」
「ああ、またな」
手を振って別れた俺はすぐに郊外の宿屋で待機していたイースの元に急行した。
窓際に立ち外に手を伸ばした腕に小鳥をとまらせていたイースは難しい顔をしている。
「教授、勇者は教授が別れてからすぐに家を出たようです。追跡していますが恐ろしく速い。見失うかもしれません」
「追えるところまで追ってくれ。方向だけでも分かればもうけもんだ」
「分かりました。お前も行きなさい」
『リョウカイ』
合成音で答えた小鳥型ゴーレムがイースの手から飛び立ち、勇者を追って空の彼方へ消えた。
「イースは勇者に会わなくて良かったのか?」
「え、どうしてですか?」
「あいつの事が好きなんじゃないのか」
俺の確認をイースは鼻で笑った。
「興味ないです。ゴーレム操作に集中するので静かにしていてくれませんか」
「あっはい」
勇者が簡単に魔王封印の地を教えないと予測した俺達は作戦を立てた。
まずは率直に封印の地がどこか尋ねる。なんとか言いくるめて聞き出せればそれでよし。
聞き出せなかった場合、場所に目星がついていると嘘をついて撤収する。
隠し場所がバレそうだと思った人間の心理は単純だ。まだ見つかっていないか、隠したモノが奪われていないか心配になり、隠し場所を確認しに行く。それを追跡してやればいい。
相手がニニンだったらこんな手には引っかからなかっただろう。奴は情報戦の大切さをよく分かっている。だが勇者にはこういう駆け引きを教えていない。俺の元を離れて五十年の間に色々学んだだろうから罠が効くか五分五分だと思っていたが、引っかかってくれたようだ。
イースの小鳥ゴーレムは渡り鳥に扮して勇者を追跡し、人里離れた荒野の渓谷に消えていき、しばらくして出てくる勇者を確認した。
それが分かればしめたもの。
俺とイースは勇者とすれ違いに急いで渓谷に向かった。
底が見えないほど深い渓谷には人避けの結界がかけられていて、誰も近づけないようになっていた。勇者は魔王を探す不届き者を予期していたらしい。
結界を破らないと渓谷に入れない。出直しか……と思ったのだが、イースは謎の耐性を発揮して人避けの結界をあっさりすり抜けた。
ワケが分からないが好都合だ。俺はフワフワただよって、イースは牛ほどの大きさの蜘蛛型ゴーレムを即席で作って搭乗し、深く暗い渓谷の底に降りていった。
渓谷の底には横穴があり、その奥にハニャがいた。
「! ししょーだ。ししょー! ……と、知らない女。誰?」
首を傾げるハニャは五十年も封印されているとは思えないほど元気だった。
死神の爆笑死因集が刻まれたモノリスに光の鎖で繋がれたハニャは最後に見た時と何も変わっていない。
ちんちくりんの小さな体、汚れて絡まりくすんだ銀髪。かつて服だった朽ちかけのボロボロの布が辛うじて体の局部を隠している。
赤黒い両拳は白い光の環でまとめて縛られモノリスに吊り上げられていた。痩せた体と目の下の酷いクマは長い封印のせいにも思えたがコイツは昔からこうだ。
「こいつはイース。ハニャの妹弟子だ」
「よ、よろしくお願いします。ハニャさん」
「弱そう。話しかけないで」
ツンとそっぽを向いたハニャだったが、傷ついた顔をしたイースとその横の蜘蛛型ゴーレムを見比べ少し考え込み、すぐに前言撤回した。
「ふぅん。そういう『強さ』なんだ。やっぱり話しかけていいよ」
「あ、ありがとうございます……?」
「仲良くなれそうで何よりだ。元気そうだな、ハニャ。もう少し弱ってると思ったんだが。飲まず食わずで五十年だろ?」
「んーん、食べてた」
「何? どうやって?」
飯を食わせ回復魔法をかけないと動けないと思っていたのだが、ハニャは元気過ぎるほどに元気そうだ。まさか勇者がせっせと飯を運んでいたわけでもあるまい。餓死するならして欲しいと思っているはずだ。
俺の疑問にハニャは行動で答えた。
ハニャが大きく息を吸い込むと、激烈な突風が起き洞窟の空気が小さな口に吸い込まれていく。
蜘蛛ゴーレムにしがみついて目を回しているイースを横目に口をもごもごさせながらハニャは言った。
「――――こうやって朝露とか虫とか吸って食べてた」
「なるほど。ハニャは賢いなあ」
「ええ……」
イースがドン引きしている。
魄が強い生き物はこういう事ができるって説明したはずだが。
「ハニャ、ちょっと手伝って欲しい事があるんだが、お願いできるか?」
「ししょーの頼みは聞きたい。でも私封印されてる」
「抜け出せないのか?」
「剣がないと力が出ない……」
ハニャがしょぼんとうなだれる。
全ての剣士は魄を力の源として超常の力を発揮する。
そして魄は金属との共鳴によって強くなる。とんでもなく強い魄を持つハニャといえど、金属の剣を持たなければ力は半減だ。
「イース」
「えっと、どうぞ」
俺が合図すると、イースは鎖に繋がれた狂暴な猛獣に近づくようなへっぴり腰で恐る恐るハニャに近づき、市場で買ってきた安物の鉄の剣を小さな手に握らせた。
「ん、ありがとう。斬るから動くな。危ない」
「え」
瞬間、柔らかな鈴の音が四度鳴り、ハニャを縛っていた光の戒めが弾け飛んだ。
背後のモノリスにも瞬きの間に無数の傷跡が生まれる。例え手を縛られていようともハニャは世界最高峰の廻魄剣士だ。剣さえ握っていれば斬撃を繰り出せる。
破壊された破片の残滓はキラキラ光りながら宙に溶け消えていき、その光の中でハニャがちょっとフラつきながら立ち上がった。
「私、復活」
こうして魔王ハニャは復活した。




