22 ニンジャは架空の存在だ。いいね?
シュセン・ド・ガメツイはガメツイ家の長男である。
ガメツイ家は魔王政権崩壊のどさくさに紛れた商取引や土地売買で財を成した富豪で、その総資産は国家予算の数割に及ぶといわれる。数年に一度利用するだけの避暑地の別荘に贅沢な噴水と薔薇園、大理石をふんだんに使った三階建ての屋敷を備えさせ十人の使用人に管理させているとなればその金満ぶりは推して知るべし。
ガメツイ家では着るもの食べるもの使うもの全てが最高級品。一族に名を連ねる者もまた最高の格式を持つのだと誇って憚らない。
シュセンはそんな成金の誹りを受ける事もあるガメツイ家の長男として生を受け、すくすく育ちぶくぶく太ってきた。順当に行けば莫大な財を相続する当主となるのだから当然持てはやされ持ち上げられる。八歳頃までシュセンは自分が世界の中心であるかのように人生の絶頂を謳歌した。
その最高の日々に影が差したのはシュセンの弟である異母弟、カネニスゴ・イ・ガメツイが生まれたのが原因だった。
シュセンは長男だが、妾の子。
カネニスゴは次男だが、正室の子。
どちらにも次期当主となるだけの正当性があり、どちらにも支持者と批判者がいる。
必然的に、兄と弟どちらがガメツイ家の当主となるのか跡目争いが始まった。
シュセンは歳の離れた弟であるカネニスゴに容赦しなかった。暴力を振るい、脅し、跡目争いの座からなんとかして蹴落とそうとした。痛い思いをして引き下がればいい、程度の攻撃はカネニスゴが年齢を重ね自分の置かれている立場を理解するようになると激化。
現当主が年老い余命いくばくもない状態になってからは表向きには取り繕いつつもどうにかして相手を始末できはしないかと暗闘している。
シュセンが弟の悪い噂を流せば、カネニスゴはパーティで兄に恥をかかせる。
シュセンが双魄の剣士を雇えば、カネニスゴは凄腕の魔法使いを雇う。
対立はとうの昔に引き返せないほど深刻化していた。お互い手段は選ばない。
そんな笑顔の後ろ手にナイフを持ち刺し殺す隙を伺うような日々の中、シュセンはついに裏社会で恐れられる伝説的暗殺組織との接触に成功した。
一般人でも少し裏社会に足を向ければ殺し屋と顔を繋ぐのは簡単だ。しかしただ殺すのではなく、依頼人に足がつかないよう、依頼人の情報が漏れないよう、殺しの犯人が分からないよう上手く殺す腕利きの暗殺者を見つけ出すとなると途端に難しくなる。暗殺者の腕前と依頼を通す難しさは比例するのだ。
仲介者を数人経由しようやく間接的接触に成功した暗殺者は『ニンジャ』という謎めいた称号で呼ばれている。
曰く、依頼達成率100%。
曰く、あの勇者さえ退けた。
曰く、殺した死体で海が埋まる。
曰く、命を狙われる恐怖だけで二回は死ぬ。
曰く、曰く、曰く――――
ニンジャの恐ろしい逸話は枚挙に暇がない。それだけの逸話を残しながら名前や容姿どころか性別も年齢も一切が不明だという。複数人の逸話が一人のものになっているか、はたまた噂に尾ひれがついているのだとシュセンは考えているが、ニンジャの正体が何であれ、最高の暗殺者ならば問題ない。所詮は下賤で薄汚れたならず者だ。金で叩いてやれば言う事を聞く。
シュセンの依頼を請けたニンジャは法外な仕事料を要求してきた。その額なんとガメツイ家の総資産の半分だ。
身の程をわきまえない度を越した要求にシュセンは不愉快になったが、渋々頷いた。弟が当主になってしまえばシュセンに金は入ってこない。弟を殺し確実にガメツイ家の財を我が物とできるのであれば資産の半分を支払うのも悪くはない……それにいざとなれば支払いを誤魔化し踏み倒してやってもよいだろう。金を支払わずとも格式高いガメツイ家から依頼を請けた名誉だけでお釣りが来るというものだ。
ニンジャへの依頼を済ませたシュセンは上機嫌で弟に誘われていたパーティに出席した。挨拶にかこつけてねちねちと嫌味を言ってくる弟派閥の者達にも、近日中に全てに決着が付くと分かっていれば耐えられる。弟が死んだ後の事を思えば笑顔すら出てきた。
それを不思議に思ったのだろう。パーティが始まる時にはニヤケ面で嘲るように兄を見ていたカネニスゴも終わり頃にはいくらか不審そうになっていた。
やがてパーティが終わり思い思いに参加者が会場からの帰途につく中、シュセンはカネニスゴに馬車を用意しているから途中まで一緒に帰らないか、と誘った。
親切心ではないが、弟の生意気な顔も見納めかと思うと憐みと感慨が湧いたのは事実だ。
意外にもカネニスゴは何を思ったのか少しニヤつきながら兄の提案を快諾した。
かくして太った紳士二人は豪華で煌びやかな馬車に乗り、夜の街中に滑り出した。
質の良い魔獣の素材を惜しみなく使った馬車は静かで、車体は巨人に踏まれても歪まないほど頑丈だ。更には馬車の後方には兄弟双方の強力な護衛が牽制しながらついてきている。ほんの少しでもおかしな気配が漂えばたちまちとんできて二人の意のままに動くだろう。
「兄上は御立派ですな。僕のささやかなパーティにこれほど大げさな馬車と護衛を持ち込んでいらっしゃるとは。その臆病なまでの警戒心、感服いたします」
弟の皮肉にシュセンは青筋を浮かべたが、ひくつく口元を抑え嘲り返した。
「ガメツイ家の者とは思えぬほど貧相な馬車と護衛しか持たぬ弟の分まで用意してやったのだ。ああ、感謝も礼も世辞もいらん。お前が得意な薄っぺらな言葉は有象無象に媚を売る時のためにとっておけ」
ハッハッハ、と二人は乾いた笑い声を上げた。馬車内と仕切り窓で隔てられた運転席で御者が気まずそうに身を縮めている。
しばらくトゲトゲしい会話を続けていたシュセンだったが、どうにも違和感がぬぐえなかった。弟の態度にいつもより数段の余裕があるのだ。下手な皮肉で毒を吐きながらも勝ち誇った頬の紅潮を隠しきれていない。
カネニスゴの得意げな表情はいつもシュセンを苛立たせる。
まあ何のおかげで機嫌が良くなっているにせよ長続きはしない。死にゆく者の小さな喜びぐらいは許してやろう、とシュセンは寛大な自分を自画自賛した。
「弟よ。これは親切心での忠告だが、人生は時に予測のつかない不幸に見舞われるものだ。まだ若いとはいえ、遺言状は書いておいた方がいいぞ?」
「…………」
シュセンの忠告にカネニスゴは沈黙で答えた。
痛いところを突かれ言い返せないか、と様子を伺う。
するとシュセンは窓から差し込む朧気な月明かりに照らされたカネニスゴの表情が動いていない事に気づいた。
目をカッと見開き、口を半開きにして固まっている。手をだらりとたれ下げ、馬車の僅かな揺れにだんだん座席からずり落ちていくその様はまるで人形か、死――――
「!?」
シュセンはハッと息を飲み、急いで自分の口を塞いで悲鳴を嚙み殺した。
弟は、ほんの少し前まで目の前で自分と喋っていたカネニスゴ・イ・ガメツイは、何一つ前兆もなく静かに事切れていた。その虚ろな瞳はもはや何も映していない。
ニンジャだ。ニンジャの仕業だ!
ゾッとした。伝説的な暗殺者という噂は真実以上だった。目の前で暗殺されたというのにまったく気づけなかった。すぐ後ろにぴったりつけた馬車からこういった暗殺を警戒しているはずの弟の護衛――――感覚に優れた双魄の剣士と魔王四天王の再来と称される卓越した魔法使いだ――――が動く気配もない。
ニンジャは全てをすり抜け欺き、依頼を見事に完遂したのである。
だが、と、シュセンは鮮やか過ぎる手並みに文句をつけてやりたくなった。
今、シュセンとカネニスゴは馬車に同乗していた。乗っているのは二人だけ。これでカネニスゴが死んだのだから犯人はシュセン以外に考えられない。
自分に殺人の嫌疑がかからないようわざわざ暗殺者に依頼したというのにこれでは意味が無いではないか?
舌打ちしようとしたシュセンは突然動きを止めた。
目を見開き、全身を弛緩させ、静まりかえる。
止まったのは体だけではない。心臓も止まっていた。
馬車は静かに夜の街並みを並足で駆けていく。
御者と護衛達が二つの死体に気づくのは、目的地につき馬車の扉を開けてからだった。
二人の死体に外傷はなかった。
病気に罹っていたわけでもなく、毒や魔法の痕跡もない。
ただ、死んでいた。
急死以外に説明のつかない謎の死と、同日の夜にガメツイ家の資産が何者かに全て持ち去られた事件の関連性は明らかだったが、具体的に何が起きたのか説明できる者は皆無で、不気味な死亡事件の真相は分からないまま迷宮入りした。
そして裏社会にはまた一つ『ニンジャの伝説』が増えたという。




