17 一般通過暗殺者ニニンちゃん
ニニンは頭巾で顔を隠し、寝静まった冷たい夜の街の暗がりから暗がりへ音もなく歩いた。大通りを避けいくつもの小道や屋根の上を経由し、娼婦街と思しき猥雑な通りに入るその足取りは迷いなく、通い慣れた様子だった。べろべろに酔っぱらった荒くれものや際どい服装の客引きの女と何度も出くわしそうになるが、物陰に隠れたり回り道をしたり上手く死角に入ってすれ違ったりしてやり過ごした。
一切の魔法も魄による身体強化もなく、技術と警戒だけで誰の目にも留まらず気にされず歩くその様は意思を持った影のよう。若いのに大したものだ。三歳児の頃の俺と同じぐらいデキる。
しかし叔母さんに夜は危ないから出歩くなと言われているのにバッチリ夜に危なげな場所をうろつく理由とは一体なんなのか。もちろん、これほど人目を避け、大振りのナイフを懐に隠し、家族にナイショで深夜徘徊するのだから後ろ暗い理由に違いない。
果たしてニニンは寂れたボロボロの酒場の裏口を一定のリズムでノックし、開かれた扉に吸い込まれるように入っていった。
入ってすぐ、流石にガードマンに見つかる。酒場で一杯引っかけるには似つかわしくない、小柄で華奢な体躯。頭巾で顔を隠しているのも怪しすぎる。
しかしガードマンがニニンを咎める前にもう一度扉が一定のリズムでノックされ次の客が入ってきた。ガードマンがそちらの対応に気を取られ目を離した一瞬の隙に、ニニンは店内の人込みに紛れ込んだ。
一連のニニンの動きを背後霊の如く憑いて見ている俺はすっかりお手並み拝見モードだ。
小さな少女の危ない火遊びを心配するにはニニンの動きは場慣れし過ぎていた。心配より興味が勝つ。
酒場の店内は寂れた外観に反し活気に満ちていた。
腰に剣を佩き太い腕の入れ墨を見せびらかす巨漢や、危険な魔獣・バジリスクの幼生をカゴに入れ売り文句を捲し立てている商人、テーブルに金貨を山積みにしてカード勝負に目をギラつかせる身なりの良い紳士たち、毒々しい粉を鼻から吸い込んでは焦点の合わない目をギョロつかせ恍惚としている一団など、危険と喧騒であふれかえっている。
なるほど、どうやら非合法の隠れ酒場らしい。表は人気のない場末の酒場。裏口から入れば後ろ暗い者どもの楽園というわけだ。
いつものクセで弟子になれそうな素質を持つ将来有望な奴はいないかと酔っ払いたちの品定めをしていると、一人の剣士の背後に音もなく回り込んだニニンが、剣士の背中を通りすがりにナイフで一突きしてすれ違った。
すれ違い様に剣士の背後にいた老婆を肩で押すと、何かの魔獣の怪しげな牙を売りさばいていた老婆がよろけて剣士にぶつかる。
そしてぶつかられた剣士は白目を剥き、背中から鮮血を吹き出し倒れて痙攣し始めた。
酒場は悲鳴と罵声が飛び交いどったんばったん大騒ぎ。犯人だと思われた老婆は弁解する暇もなく剣士の仲間に袋叩きにされる。
興奮と暴力の坩堝と化した酒場を混乱に乗じて悠々と出ていったニニンは、酒場の外で待っていた顔を隠した男から無言で巾着袋を受け取り、来た時と同じように気配を消して家に帰っていった。懐の巾着袋から楽しげな硬貨の音を鳴らしながら。
俺は心底感心した。
やるね、彼女。まるで一流の暗殺者みたいだ。
ニニンは俺を完全にいないものとして扱う事にしたらしく、暗殺の翌朝に叔母さんの手作りサンドイッチを何食わぬ顔で食べている時も、表の顔らしい解体業者見習いの仕事をしている時も、目線一つ声一つ寄こさなくなった。
俺は彼女が夜な夜な場所を変え人を変え繰り返す暗殺についていき、ここはこうした方がいい、アレはああするともっと楽だ、などとアドバイスをするのだが、聞いているのかいないのか全て無視される。悲しい。
まあ、魄鳴りクラスの達人を狙うのでもなければ今のニニンの暗殺スキルで十分だから、小うるさい幽霊ストーカー指示厨の言う事を聞く気になれないのはもっともなのだが。
数カ月ニニンの表と裏の仕事を見学し街をうろついている内に、暗殺者は彼女だけではなく、裏社会の仕事として一定の需要があるのだと分かった。ニニンに報酬を渡す仲介人に仕事を求める暗殺者は一晩憑いて見ているだけで十人もいた。一つの街にいる暗殺者としては――――大都市とはいえ――――多すぎる。
やがて町に馴染み現代の社会情勢が呑み込めるにつれ、なぜこの平和な時代に暗殺稼業が栄えているのか、その事情の一端が掴めてきた。
平和だから、暗殺しているのだ。
暴力が奨励されていた魔王の時代では、誰かを始末したければ堂々と行って真正面から殺せばよかった。死んだ方が悪いとされ、殺した方は強者として賞賛すらされた。だから殺し屋はいても暗殺者はいない。
ところが平和な時代になるとそうもいかない。往来で人を殺せばたちまち警官がすっとんできて捕まり、牢屋にぶち込まれる。
表立っての殺しはご法度、しかし殺人というのはどんな時代でも無くならない。激しく憎んでいたり、邪魔な商売敵であったり、痴情のもつれであったり色々だが、殺したい理由があれば殺人は起きる。アイツを殺したい! でも表立って殺すワケにはいかないし、自分の手は汚したくない、あるいは自分で殺すのは難しい。
そこで登場するのが暗殺者だ。
事故死や病死に見せかけて殺す。
誰か別人の仕業に見せかけて殺す。
犯人に繋がる証拠を全て消して殺す。
そんな計略と隠密を駆使してひっそり人を殺す職業が暗殺者だ。
魔王が倒れ30年。ほとんどゼロから構築された法律や警察機構はまだまだ発展途上で、巧妙な殺人の裏にいる暗殺者を炙り出せるほどに成長していない。魔王統治時代の暴力的気質を色濃く残す血気盛んな連中もまだまだ存命、現役だ。
暗殺者はそんな平和になったばかりの不安定な社会の裏側で暗躍する時代の寵児なのだ。
ニニンがせっせと暗殺業に精を出し金を稼いでいる理由は分からない。稼いだ金は全て床下の箱の中に貯めている。箱の中には特別大きなどんぐりや叔母さんの手作り人形、キラキラした綺麗な石、俺の剣の欠片、大道芸人から貰ったよく跳ねるボールが入っていて、いかにも子供の宝箱らしい。
金を稼いでいるのは何か買いたいものがあるのか、それとも宝箱をキラキラで一杯にしたいだけなのか。ニニンが何も語らない以上不明だ。
ニニンの裏表を使い分ける二重生活はスリリングでありつつも安定していて、俺はいつでも無視され蚊帳の外。一緒にいるのにいないも同然。
そんな俺とニニンの関係が変わったのは、ニニンが暗殺に失敗し、街中の警官とスジ者に追い回された時からだ――――




