16 誰? このおじさん
俺を見つけた少女はニニンという名前で、解体業者の見習いだった。
狩人や騎士が狩ってきた魔獣を解体し、皮や薬効のある内臓を綺麗に切り出す。あるいは家畜の屠殺を請け負う。
そういう職業だ。
俺はニニンの暗殺者の素質にすぐ気づいた。
肩のあたりで切り揃えられたくすんだ茶色の髪に周囲と似たり寄ったりの特徴の無い服。背丈は普通で細身、しかし無駄のない筋肉がついていて身軽。足音はとても小さく、呼吸も静かだ。顔の作りすら整ってはいるがどうにも印象に残りにくいぼんやりとした感じがする。
目立たず静かに敵地に侵入し寝首をかく暗殺者に役立つ特徴ばかりで、魂魄の素養もかなり暗殺者向き。訓練すればエイリアンの波動関数式素粒子感知索敵網をすり抜ける超一流の暗殺者になれる。
もっともそういうニンジャ的素養も言い方を変えれば「落ち着きがあって物静か」で片づけられるもので、魔王が倒されグッと平和になった世の中で素質を活かすとすれば、暗殺者よりも舞台劇の黒子とか図書館の司書とかそういう方面だろう。
だが俺はぜひとも暗殺者になって欲しい。
「ニニン! 暗殺者とか興味ないか?」
「…………」
「宇宙から来る化け物の息の根をバンバン止めよう! 未経験者歓迎!」
「…………」
「今なら無料で神より強かった大英雄のマンツーマン指導が受けれるぞ!」
「…………」
周りをうろちょろして勧誘する俺をニニンは完璧に無視した。
ニニンは極端に無口で、じっとして動かず目を閉じていると生きているかも怪しいほど存在感がなかった。ニニンという名前すら解体業者の親方が少女を呼んだ事でやっとわかったぐらいだ。
ただ、勧誘の途中でベルトポーチから薬草を――――幻覚や錯乱を抑える効果のある薬草を出して口に放り込んでいたので、ちゃんと俺を認識しているのは確かだ。幻か何かだと思っているのも確かだ。
「あー、ちょっとうるさかったか? ごめんな」
「…………」
「わかった、しばらく黙っておく。また改めて話させてくれ」
「…………」
手ごたえが全くないので一度引き下がる。よくわからん透明なお兄さんに話しかけられてもよくわからないだけだ。急に何? 誰? 怖い! と困惑するだけならまだしも、嫌悪感を抱かれ拒絶されたらニニンちゃん弟子化計画が発足直後に頓挫する。ちょっと遅きに失した感もあるが。
なにしろ怪鳥と何十年もお空の旅をした後だ。自分で思っている以上に自分が見える人と会話できる事にテンションが上がっていたのかも知れない。反省。
ニニンは解体業者としてまだ見て習うだけの段階にあるらしく、大人の職人達が手際よく怪鳥を捌いていく傍らで見学と雑用に終始した。保存液の入った桶を持ってきたり、血でぐっしょり濡れた当て布を新しい清潔な布に取り換えたり、親方に言われて工具箱からハサミを出して渡したり、といった雑用ばかり。まだ獲物に触らせてはもらえないようだ。
解体が終わって夕方になると、ニニンは親方に幾らかの駄賃を渡され解散の流れになった。三々五々帰っていく職人の中、ニニンはその場に残り、遠慮がちに親方に声をかける。
「親方」
「ん?」
「透明おじさんの噂、知ってますか」
「お兄さんだろ!!!!!」
「透明? いや、知らんなあ。その噂がどうした」
「いえ」
大柄で高齢の親方がエプロンで手を拭い、がっしりした太い腕を組んで考え首を傾げると、ニニンはひっそり言って黙り込んだ。そして俺をチラッと見て眉根を寄せる。
「透明お兄さんだ」
「…………」
訂正したが、見事に無視された。失礼なヤツだ。
ニニンは夕暮れの市場の端をこそこそ歩いて自宅に戻った。途中、駄賃の幾らかを使って肉の切れ端を買い、路地裏の捨てグリフィン(幼生)に餌をやって撫でていたので、家に着く頃にはすっかり日が落ちて暗くなっていた。
「……ただいま、叔母様」
家に入り、呟くように言ったニニンは中年太りした意地悪そうなおばさんに迎えられた。
「帰ってくるのが遅いよ! どこほっつき歩いてたんだい!」
「……ごめんなさ」
「黙りなっ! ふん! アンタの辛気臭い顔見てるとこっちまで気が滅入るんだよ! さっさと自分の部屋に戻りな!」
おばさんはガミガミ怒鳴りつけ、お玉の柄でニニンを小突いて部屋に押し込んだ。
小さな家に二人以外の人の気配が無かった。そうか、意地悪おばさんと姪っ子の二人暮らしか……
複雑なご家庭らしい、と考え込んでいると、ニニンは服の裾に手をかけ、無言で俺を睨んできた。
「おっと」
素直に壁をすり抜けて退散すると、壁越しに衣擦れの音が聞こえた。
流石の俺もプライバシーは守る。弟子でもなんでもない他人だしな。
やがて家の中からおばさんが姪を夕食に呼びつける声がしたので、こっそり部屋の隅をすり抜け顔だけ出して室内の様子を伺うと、ちょうど二人が食卓について食事を始めるところだった。
夕食のメニューは明らかに手間暇かかった肉たっぷりのシチューで、ニニンの深皿にはおばさんの三倍も盛られていた。
おばさんは別の皿に白くてふわふわしたパンを山ほど盛って姪の方に滑らせる。
「これ食べてそのシケた顔どうにかしな!」
「……おいしい」
「分かり切ったこと言うんじゃないよ! 馬鹿な子だね! 食べたらさっさと寝ちまいな! 夜は危ないから出歩くんじゃないよ!」
そう怒鳴りつけ、おばさんはせかせか自分の薄いシチューとしなびた黒パンを口に運んだ。
あら~。
口が悪いだけの優しいおばさんでしたか。すみませんね、あらぬ疑いかけて。
慎ましくも優しい食事をほんわかふわふわした気分で見守る。食事が終わると二人はすぐに蝋燭と暖炉の火を消し、自室に引っ込んだ。
貧乏人は灯り代を惜しんで早寝する。今も昔も変わらない。
現代の技術や道具の水準を確かめるべく真夜中の家をうろつき鍋やら包丁やらテーブルやらを調べていると、ニニンの部屋から微かな物音がした。
部屋を覗き込むと、ニニンはぱっちり目を開け、身を起こしていた。隣の部屋から聞こえてくる叔母の大いびきに耳を傾け、それからベッドから降り、靴を履き、ベッドの下の床板を外しよく手入れされた大振りのナイフを手に取る。
ナイフを数回素振りして調子を確かめ、懐に隠し足音を殺してひっそり家を出るその様子を見て俺は気づいた。
あ、コイツ何人か殺ってるな、と。
無口な町娘ニニンは、俺が稽古をつけるまでもなく、既に暗殺者だった。




