15 持ち運べるタイプの地縛霊
勇者ストロンガーによる魔王ハニャ封印の報はゆっくりと世界に広まった。
何しろ魔王である。百年以上の長きに渡り反乱軍を一方的に殲滅し続けてきた絶対強者だ。これまで何度も「魔王が病に倒れた」「寿命が来た」「負傷し弱っている」などのデマが流れ、そのたびに彼女はその圧倒的暴威でもって健在ぶりを知らしめてきた。今回もそれと同じだと世の人々は思った。例え四天王が次々と落ちていても、流石に魔王は倒れない。そんな神格化に近いイメージがあった。
ところが魔王城は瓦礫と砂の山と化したまま再建の様子がない。
勇者パーティの一人・戦士ヴォーリが新政府の樹立を宣言しても魔王軍は沈黙したまま。
新政府軍の法務官と治安維持軍が各地に派遣され、暴力を取り締まる新しい法律を布告。
従来通り剣や魔法で新政府を打倒し力で我を通そうとした者は勇者ストロンガーに瞬く間に沈められた。
それでも魔王は現れない。
いつ魔王がやってきて新政府の全てを更地に変えるか、と戦々恐々としていた人々も、数年経つ頃には体感しはじめた。
魔王は本当に封印されたのだと。
勇者ストロンガーの偉業は真実なのだと。
理不尽な暴力が禁じられ、言葉と知恵が尊ばれる平和な時代がやってきたのだと。
昏き森に誇らしげなストロンガーがやってきて、魔王を倒して封印してきたという報告を受けて三日。俺はどうやって対エイリアン戦力を増やそうか頭を悩ませていた。
封印されたハニャは問題ない。
どこかの僻地に封印されたというハニャだが、ハニャほどの魄があれば飲まず食わずで十年は軽い。朝露か雨で水が飲めれば三十年、木の根や虫を口に入れられれば普通に生きていける。最大の敵は飢えや敵ではなく退屈だろう。
ハニャは魂が弱い。つまり、魔法抵抗力が弱い。なんならそのへんの一般男性の方がまだ魔法耐性があるぐらいだ。
そんなハニャだが普通なら寝ていても魔法を切り払えるから事実上魔法が効かないも同然。が、一度敗北を認め自ら進んで封印魔法をかけられてしまったら自力での封印解除は無理だ。
できれば封印を解いてやりたいところだが、魔王に同門の気配を感じ取ったらしいストロンガーは薄々俺がハニャの師なのではと疑っているようで、封印の場所は教えてくれなかった。
まあ仕方ない。来るべきエイリアン再侵攻の時に開放できればそれでいい。
可愛いハニャにはしばらく辛い思いをさせてしまうが、今まで散々我を通して暴れてきたのだから、流石に自業自得だ。
それよりも何よりも、問題はエイリアンである。
ストロンガーが勝ってもハニャが勝っても人類のトップが変わるだけの話。ストロンガーにとっては宿願で、人類にとっては一大事というのは分かる。スゲーよくわかる。
だがエイリアンが勝ったら星から生命という生命が消え去る。友達を殺された恨みもある。どちらが重大な問題かは明白だ。
奴らは絶対に許さない。再侵攻の暁には奴らが成層圏に突入する前に素粒子分解してやる! 二度とこの星の土は踏ませない。
とはいえ意気込んでも力が無ければどうにもならない。エイリアンの超科学兵器の数々に対抗する戦力を揃えるのは大変だ。神々が消えた今、人類をエイリアンと戦えるレベルまで押し上げるのは並大抵の事ではない。
未だに夜空ではエイリアンの母船のエンジン光に似た不吉な緑の瞬きが星に紛れていて、不気味な沈黙を守っている。いつあの光が地上に降りてくるかと考えると心配で心配でどうにかなりそうだ。
この危機感を共有できるのが俺一人しかいないというのもしんどい。エイリアンの恐ろしさを知るのは今となっては世界で俺だけだ。
どうしよう、どうしよう。人類の科学を進めてエイリアンに対抗する?
いや、エイリアンの科学力に追いつけるとは思えない。俺も人類を導けるほどの科学知識を持っていない。原子爆弾すら奴らにとっては豆鉄砲だろう。豆鉄砲程度にでも効くだけマシという考え方もできるが……
昏き森の真ん中でじーっと考えこんでいた俺は、ある時急に体を横に引っ張られた。
いや、引っ張られたというより見えない壁に押されているといった感覚だ。
「な、なんだぁ?」
「師。妙な姿勢でどこへ」
「いや俺が知りたいが!?」
「そうか」
空中をスライドして横にぐんぐん引っ張られていく俺に近くで槍の素振りをしていたヨーウィが声をかけてくる。ほんの少し言葉を交わす余裕があったが、淡泊な返答を最後にあっという間に見えなくなってしまった。
『そうか』じゃないんだよ。助けてくれよ!
助けようにも幽霊には誰も触れないと気付いたのは、謎の力に押され昏き森を飛び出し草原に出てからだった。
俺は草原に出た。
俺はあれほど出たくても出られなかった昏き森の外にあっさり出る事ができてしまった。
一体どういう事なのか? 俺は自分が死んだ土地に縛り付けられた地縛霊ではなかったのか?
試しに森に戻ろうとすると壁に阻まれたように戻れない。
この何かに阻まれる感覚には覚えがあった。森から出られない感覚と同じだ。
何らかの事情で俺の霊体の移動制限範囲が変わったらしい。
しばらく考え、変更された移動制限範囲の中心を探すと一匹のげっ歯類を見つけた。頬袋をいっぱいに膨らませたリスに似た生き物だ。夢中で地面を掘り返し、腐りかけの固い木の実やミミズをせっせと口に詰め込んでいる。
俺はそのげっ歯類が口を開けた時、頬袋の中に丸みを帯びた金属の欠片が紛れ込んでいるのを見た。
なるほど、と納得する。
その鈍い輝きと質感に覚えがあった。たぶん、アレは俺の剣の欠片だ。
俺の剣に使われていた名も無き金属は、大地の女神が創り出した特別な鉱物を鍛冶の神が魂を込めて鍛えた特別性。しかしエイリアンの宇宙戦艦の装甲と同程度の性能でしかなかった。てっきりエイリアンとの最後の戦いで蒸発して消えたとばかり思っていたのだが、少しだけ残っていたようだ。
肉体を無くし幽霊になった俺と縁深い剣の欠片。霊の依り代として申し分ない。
察するに、森の中心に埋まっていた剣の欠片をこのげっ歯類が堅い木の実か何かと勘違いして掘り返し、口に入れ持ち去ったに違いない。
俺はただの地縛霊ではなかった。物に憑いて持ち運びできるタイプのモバイル地縛霊だったのだ。
もっとも、それが分かったところでどうしようもない。
俺は小動物の赴くままにあちこちを放浪するハメになった。
昏き森にはヨーウィを筆頭に強力な魔獣が住み、神々に禁じられた禁足地でもある。近づく者はなく、付近では小さな村が開拓されては魔獣に滅ぼされている。げっ歯類との強制旅行では運悪く会話できる知的生物と遭遇しなかった。
加えて更に悪い事に、げっ歯類や通りすがりの鳥や鼠は俺の姿が見えないようだった。
森の中ではどんな動物でも俺が見えていたのに、森の外で俺の姿を捉える者はいない。あの森が特別だったのか、それとも依り代が元の場所から動かされた事で何かがおかしくなったのか。前例がなく、調べる手段もなく、なんともいえない。
十数日も草原をウロチョロしていたげっ歯類は、ある日上空から急降下してきた怪鳥に丸のみにされた。剣の欠片も一緒に飲み込まれたので、天高く雲の上にまで舞い上がった怪鳥に引っ張られ、俺も天空を彷徨う事になる。
いい加減にして欲しい。どこまで引っ張り回されればいいのか。
昔なら知り合いの幸運の女神に祈るなり自分でなんとかするなりできたのだが、肉体のない幽霊では文字通り手も足も出ない。成すすべもなく流されるがままだ。
怪鳥はほとんど雲の上を飛んですごしていて、稀に地上に降りて小動物を丸のみにする以外は飛びっぱなしだった。怪鳥ゆえの生物らしくない特性でアイドルでもないクセにうんちをしないため、剣の欠片は排泄される事なくずっと体の中。
雲の下に町が見えるたびそこに剣の欠片だけでいいから落として欲しいと願うもそんな幸運は起こらず。
結局、地上に降りたのは数十年が経ち怪鳥が狩人の強弓に射落とされてからだった。
意気揚々と数十年で大きく成長した怪鳥を台車に乗せて町へ引いていく狩人は、そばでふよふよ飛び回ってアピールする俺の姿が見えなかった。狩人が町に戻り、出迎えた人々が台車の上の立派な獲物に感嘆な声を上げても、俺に気づく者はない。
圧倒的疎外感。俺と話せた弟子たちのありがたみが良くわかった。
狩人は自慢げに台車を引き町の大通りを練り歩き、市場に入った。そこで目の色を変えて群がってきた商人たちを相手に値段交渉をして、一番高値をつけた恰幅のよい商人に台車を引き渡す。
その商人が使用人に台車を引かせて豪邸に帰宅し、台車の上の怪鳥が庭の端の屠畜場に運び込まれ。
肉断ち包丁を持った男達と、見習いらしい女の子が小屋から出てきて――――
そこでやっと、俺は俺と目を合わせてくれる人間を見つけた。
「え」
小ぶりなナイフを持って物珍し気に怪鳥を見ていた女の子の目線が俺と合い、小さく言葉を漏らす。
「なあ、そこの少女。俺が見えるのか!?」
「え、見え……? なに……このおじさん……?」
「お兄さんと呼べ!!!」
 




