13 勇者はせっかち
髭面巨漢の戦士、ヴォーリは反魔王軍の頭目だ。
ヴォーリは実際にその肩書に恥じない腕っぷしを持っていたが、その活動の実態はお寒い限りであった。魔王軍の弾圧が原因だ。
長い魔王の治世の中で反魔王軍は幾度となく発足し勢力を拡大し邪知暴虐の化身に立ち向かった。しかしその尽くが殲滅されてきた。ヴォーリの反魔王軍も同じ轍を踏もうとしている。
魔王が世に名乗りを上げた当初、魔王はむしろ弾圧される側で、平和を愛する多くの人々が彼女を抑え込もうとした。魔王はこれを滅ぼし、世界を征服した。
世界が魔王の手に落ちたばかりの頃、平和を取り戻そうとする人々が果敢に彼女を討ち果たそうとした。魔王はこれを滅ぼし、支配を盤石なものとした。
魔王が治める時代に生まれ、育った子供が大人になる頃、水面下で密かに手を結び力を蓄えていた少数精鋭の反乱軍が決起した。魔王はこれを滅ぼし、恐怖と畏怖を知らしめた。
不屈の反乱軍はひとたび滅ぼされても不死鳥のように蘇ったが、蘇るたびに数を減らし力を弱めていった。現代、ヴォーリの反魔王軍は全盛期のそれと比べるべくもない。魔王を襲うどころか四天王を襲う力すらなく、魔王軍の旗をつけた馬車を襲い物資を奪い微々たる嫌がらせをする程度しかできないまでに落ちぶれている。
反乱軍が抱える閉塞感、無力感たるや言葉では言い表せない。しかし何よりヴォーリが口惜しいのは反乱軍を蝕む諦めの蔓延だった。
本気で魔王を滅ぼそうとしている者は自分を含め一体何人いるのだろう? 反乱軍とは名ばかりで、日々の生活のために荷馬車を襲い、金や服や食料を手に入れるのに熱心な者が大多数。ヴォーリが魔王毒殺作戦や四天王篭絡作戦を提案しても、日和ったり尻込みするぐらいならまだ良い方で、保身に走り魔王軍に密告しようとする者までいる始末。
魔王には勝てない。魔王は倒せない。
圧倒的暴力の前では誰もが頭を下げ、膝を折り、這いつくばって生きていくしかないのだと、長年の圧政ですっかり分からされてしまっている。
力をつけ勢力を増せばいよいよ魔王に目をつけられ滅ぼされる。八年前もどこかの反乱軍がそうして消されたと風の噂で聞いている。
力があれば魔王に滅ぼされ、力が無ければ魔王を滅ぼせない。
ああ、口惜しい。
ヴォーリは毎晩魔王を呪い、無力な自分を呪っていた。
そんな少しずつ腐り落ちていくような日々の中に、旅の魔法剣士を名乗る美貌の青年ストロンガーは鮮烈な光をもたらした。
ヴォーリは浮足立つ心を抑え、反乱軍リーダーに相応しい威厳を保ちつつ、馬車の物資を回収し隠れ家に凱旋した。
反魔王軍の隠れ家は街道から少し離れた山の中腹にある。鬱蒼とした森に小さな畑と数匹の家畜が囲われたちょっとした村が拓かれ、魔王に立ち向かう志を持った百人余りが隠れ暮らしている。
ヴォーリは物珍しげに辺りを見回すストロンガーに村を案内した。ストロンガーは若いながらも尋常でなく鍛え上げられているのが見て取れた。歩き方、呼吸法、落ち着いた物腰、筋肉のつき方。全て只者ではないと示している。
もっともわざわざ所作を観察するまでもなく抜剣時の鈴の音で連魄の剣士だと、世界指折りの実力であると分かっている。言葉通りに反魔王軍の同志ならこれほど頼りになる者もない。
「いい村だ。平和で、みんな笑ってて。俺の村とよく似てる」
呟くストロンガーの整った横顔はどこか物悲しげで、それを遠巻きに見ていた若い娘達がきゃあきゃあ黄色い声を上げた。
「ああ、自慢の村だ。本当ならこんな村がどこにでもあるはずなんだがな……魔王のせいでどこも力自慢の悪漢共が好き勝手してやがる」
言って様子を伺うと、ストロンガーは静かに頷いていた。
「ストロンガー、率直に言って我々反魔王軍の戦力は多くない。魔王を殺し世界に平和を取り戻すためにはぜひとも君の力が必要だ。一緒に戦ってくれるか?」
出会って早々に力強く助太刀してくれた青年なのだから、断るわけがないと思っての確認だった。もちろん頷くはずの凄腕剣士ストロンガーは、しかし曖昧に言葉を濁す。
「魔王軍は殺す。殺すべき奴らだし、恨みだってある。そこは喜んで剣を揃えよう。でも魔王は……」
「魔王は? なんだ、流石に君でも殺せないか?」
ヴォーリは僅かに失望したが、同時に納得もした。魔王の強さは神にも迫ると伝え聞く。ストロンガーの目にも止まらぬ超絶剣技をもってしても厳しいのだろう。
「何も君一人で立ち向かえという訳じゃあないんだ。我々が一丸となって君を助ける。世界はもう十分魔王に苦しめられた、人々は弱る一方だ。ストロンガー、俺は君を人類最後の希望だと思っている。君が魔王に勝てないというなら一体誰が――――」
「いや待ってくれ。そうじゃない、魔王に勝てないわけじゃない。厳しい戦いにはなるだろうが勝算はあると言ってもらったし、勝つつもりだ」
「なら何が問題なんだ」
不思議に思って尋ねると、ストロンガーはためらいながら答えた。
「魔王以外なら殺せる。でも魔王だけはダメだ」
「ダメ? どういう意味だ」
「先生と約束したんだ。魔王は殺さないと」
「……なんだか分からんが、その約束は世界の平和より大切なのか? 魔王を殺さない限り世界に平和は訪れんぞ」
魔王は敵に容赦しない。生かしておけば必ず世界に暴力と混沌をもたらすだろう。
その魔王を殺さず生かしておくなど考えられない。
「まあ、まだ先の話だ。まずは魔王と戦う前に魔王軍の戦力を削らないと。俺は僻地にこもって修行してたから最近の事情に疎いんだが、四天王はどうなった? 代替わりはあったか?」
「あ、ああ。そうだな、ここ十年で顔ぶれは変わっていないはずだ。ただ邪剣士テノーは住み家を転々としていて」
不穏な雰囲気になり露骨に話題を変えたストロンガーにヴォーリはあえて追及しなかった。まだストロンガーの人となりもよく分かっていない。機嫌を損ねて反魔王軍を離れどこかへ行ってしまうのだけは避けたかったのだ。
ストロンガーはその日からしばらく村に滞在した。
ストロンガーは面倒見がよく真面目で、尋常ではない力を持ちながら毎日の素振りと瞑想を欠かさない勤勉さを見せた。若さと希望に満ちた青年はたちまち村の、特に若い娘達の人気者になった。
どんな生き方をしてきたのか一般常識に疎いが代わりに戦いに関する全てに熟達し知識も豊富で、毎日貪欲に新しい力を求め既に身に着けた力を磨く事に執念を燃やす。
そんなストロンガーが生き急いでいる気がして、ヴォーリはたびたび肩の力を抜いてたまには休むように言うのだが、適切な休息時間は確保しているといって聞かない。代わりにヴォーリにいつ魔王軍に攻勢をかけるのか、どう攻めるのか質問攻めにした。そして決まってヴォーリはまだその時ではないと答え、ストロンガーは不満そうにするのだった。
事実、ストロンガーという強力な柱を得た反魔王軍は短期間で見違えるだろうとヴォーリは予測していた。ストロンガーは魔法や剣技を教えるのが上手く、その強さとカリスマ性で反魔王軍の強さと数は日に日に増していた。
一年。一年経てば最低限攻勢に出られるだけの戦力にはなるだろう。
そう考えていたからこそ、ある日ストロンガーが姿を消した時、彼は反魔王軍が及び腰だと考え出奔してしまったのだと思った。
ヴォーリがストロンガーに今後の展望を伏せていたのは裏切り者を恐れての事だ。かつて反魔王軍から密告者が出て危うく壊滅しそうになったのは記憶に新しい。
情報規制が間違いだったとは思わない、しかし情報規制のせいで最大戦力を失ったのでは……いや、無事でさえいてくれれば志は同じなのだから……だが……
答えの出ない問題にヴォーリは一晩頭を悩ませ、そして翌朝、当たり前のように戻ってきたストロンガーに心底安堵した。
「ストロンガー! どこに行っていたんだ? 心配したんだぞ」
何があったのか、戸口に現れたストロンガーはボロボロだった。あちこち傷だらけで、軽鎧には真新しい血がついている。
「黙ってて悪かったよ。密告者が出たって話を聞いたからさ、警戒したんだ。でもその代わりに……ほら」
ストロンガーは背負っていた袋を足元に投げ出す。重い音を立て転がった袋の口からは、悪名高い四天王・邪剣士テノーの虚ろな顔が覗いていた。
目を剥いて絶句するヴォーリに、若き英傑はきっぱり言った。
「俺達が力をつける間に、魔王も力をつけている。攻めるには今しかないんだ」
「それは……」
「狼煙は上げた。さあ、反逆を始めよう」




