5.暖かく優しい居場所
なんだか少し肌寒い気がする。
_____ヘリオドール、こっちへいっらしゃい
意識が定まらない。身体が上手く動かないもののお嬢様の声がした方へと歩き出す。優しく微笑むお嬢様が僕を手招いている。暖かい陽だまりの中だ。そう、外にいるんだ。
また、膝にのせて甘えさせてくれるのだろう。お嬢様は座っている。
何とか、近くによると急に力が抜けてて勢い良く膝の上に乗ってしまった。思いきりぶつかってしまったのか、なんだか大きな音がした気がした。時折、ちらちらと違う景色が見える気がする。疲れているんだろうか。一瞬、お嬢様の膝が無機質な木材に見えた気がした。どことなく、タンコブができたような気がして、なるほど、そうかもしれないと納得しかけたが、お嬢様の膝に対して失礼だと思い直した。
そうだ、お嬢様に怪我はないだろうか。
どうにも眠くて、お嬢様の様子がよく見えない。小さく、ごめんなさいと呟けば、大丈夫とお嬢様が頭を撫でてくれた。いつもより、乱暴な気がするがこれはこれで悪くない。
ああ、なんていい夢なんだろうか。………夢?
瞬間、目の前に多くの人がいる光景が目に入った。陽の光が顔に当たり眩しさに顔をしかめる。どうなっているんだと記憶を思い出す前に頭から肩にかけて激しい衝撃が走った。四肢への神経が遮断された気持ち悪い感触とともに意識は刈り取られ、とろりとしたハニーブラウンの世界に落ちていった気がした。
「大丈夫よ、怖くないわ。ヘリオドール」
言い聞かせるように呟くお嬢様の声が、あの琥珀色の宝石から響いていた。
それは、本当に自分に向けた言葉だったのか、今となってはもう分からなかった。
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暖かい日差しの中、ヘリオドールは目を覚ました。
なんだか、気味の悪い夢を見てしまった。手を動かせることを確認してから身体を起こす。まだ、頭がぼんやりしている。辺りを見回してみると、そこは公爵家の中庭だった。滅多に公爵家の人間が来ないことから、お嬢様は好んで中庭にいることが多かった。座り心地の良いソファの上で読書しているお嬢様に寄り添って寝るのが心地が良くて好きだった。淑女として、また年頃の少年としての作法としてはよろしくないと言われる前までのことだが。
「あら、ヘリオドール…。もう起きたの。ふふ、まだ、寝ぼけているのかしら」
突然の声に驚き、振り向くと本を持ったまま朗らかに笑うアリシアお嬢様がいた。
蜂蜜色の髪がふわりと揺れる。背中のあたりまで伸ばされた髪は、結いた後なのだろうかほのかに巻き跡が残っていた。薄黄色のドレスも予定のない日に好んで着る楽なデザインのドレスで、近くで見れば化粧もしていなかった。それは、久しぶりに見るリラックスした姿のお嬢様だった。
「…あっ、大変申し訳ございません」
夢のせいか、状況が掴めず狼狽する。いけないと注意されていたのに、僕はお嬢様の膝元で寝ていたのだろうか。もし、公爵家の人間に見られればお嬢様が激しい叱責を受けるというのに。慌てて離れようとすれば、いまだにくすくす笑うお嬢様が僕の動きを止める。
「いいのよ、貴方はまだ11歳になったばかりなのだから甘えてなさい」
「……じゅういち…?」
言われれば、突如として違和感が大きく膨らんだ。確かにお嬢様の今の姿は、女性らしい体付きというより線の細さが目立つような少女の体型であり、顔付きもどことなく幼いように思えた。“淑女として”、そう己を律する前の無邪気な笑みが僕を見つめて溢れている。そして何の躊躇もなく、少年である自分の髪に触れ頭を撫でるのだった。
「そうよ、忘れてしまったの?まったく、ねぼすけさんなんだから……あら、ヘリオドール」
戸惑う僕の瞳をお嬢様はそっとのぞきこんだ。11歳、その時は男女という縛りにとらわれずにいた。だが、そうだ、僕は15歳であり、そう言った行いは良くないと教わり、男女の差について意識するような年齢であって、いや意識されていないと分かっていても緊張してしまう。
お嬢様は真剣に僕の瞳を見ていたかと思うと、赤くなった顔を見て、優しげに笑うだけだった。
「ヘリオドール、わたくしの宝石」
優しい響きで名を呼ばれれば、お嬢様に誘われるまま、また眠りの世界へと落ちていった。ここは、とても良い居場所。僕の居場所だ。手招きされて、それを許されているのに拒否することなんてできない。そうだ、それこそ今の世界こそ夢なのかもしれないのだ。誰に言うでもなく、頭の中で言い訳を並べていた。
お嬢様が僕の瞳の奥、金色の中に滲む琥珀色の輝きを見つめていたことを知らずに、心地の良い眠りについたのだった。