23.最初にそれが囁いたのは
妻の死を本当の意味で悼んでいたのは最初だけだった。
今までの悲しみは霧のように消え去り、後悔だけが濃く残った。
「大丈夫です。何もかも心配しなくていいのですよ」
妻によく似た顔で、娘によく似た輝きをした女がベールを持って微笑む。
「貴方の代わりに、私が愛しますから」
濡れ羽色のそれは、視界の一部と共に思考を鈍らせた。
幼い娘が遠のいていくのを視界の片隅に捕らえながら、死者を悼むのは長ければ長いほど良い、と誰かが言う言葉に心底安堵したのを覚えている。
そして、濡れ羽色をしたそれは、三日月を歪に浮かべながら言った。
「貴方が自ら死を選べば、それは何よりの愛の証明になりますね」
渡された真っ赤に染まった懐刀は、どこか懐かしかった。
だって、惜しむことすら許されないのですから、と介助するように添えられた手は死人のように冷たく、拒むことも忘れて、その黒に全てを委ねた。
微笑んだ死神に別れを告げる瞬間、誰かの叫び声が聞こえた気がした。
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甘言を囁くのは蛇の仕事だ。
本当におかしくなった頭で、ヘリオドールは思った。
歩くたびに水音がうるさい。
ひとり、ふたり、さんにん、数を数えるのは苦手だ。
次がある。
そう分かっていても、手は止まらなかった。
苦しめてやりたい。
痛めつけてやりたい。
少しでも、絶望を味わわせてやりたい。
それがおかしいとは、微塵も思わない。
ごめんなさいね。
頭の中のお嬢様が悲しげに言う。
「いいえ、お嬢様。僕がもっと上手く立ち回れば良いのです」
鈍くなった懐刀を首に押し当て、力任せに何度も切りつける。
「貴女の為なら、…どんなことでも」
どんなにみっともなく、恥知らずだろうと、意地汚く足掻いてみせます。
貴女を守るためなら、貴方の宝石でいるためなら。
ひとり、甘言を囁く蛇の舌を切り落とした。
ふたり、二対のトルマリンの宝石を取り出した。
さんにん、偽物の宝石を傷だらけにした。
よにん、邪魔な石を蹴り飛ばした。
あれ、もう計算が合わないや。
ああ、次こそきっと。




