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20.最低のプロローグ



今まで、妹は母を奪った元凶だと思っていた。

美しい母は、妹の命と引き換えに居なくなった。


透き通るネオンブルーの瞳は、いつだって穏やかで寛大だった。

優しくて些細な幸せを喜ぶ母だった。


『お願いね、フローライト』


懐かしい母の声が耳元で淡く響いた。


『なかよくしてあげてね』


フローライト・ジェダイトは小さい亡骸を見つめながら、静かに思った。


今更、思い出すなんて、僕は本当に救いようがない、と。




アリシア・ジェダイト


母を知らない彼女が成長するにつれ、ふてぶてしくわがままに育った。

手も付けられないほど暴力的で、暴れん坊の名にふさわしい彼女は父や僕の前だけは借りてきた猫のように怯えてみせた。


狡猾で強欲で、この世のすべてを手に入れないと気が済まない。


そう聞いてたのだ。


だが、どうだろう。

初めて近くで見た手足はすぐに折れてしまいそうなほど頼りなさげで、その手はひどく小さかった。

一度も握ったことのない妹の手は誰かに掴んでほしそうに柔らかく握りこまれていて、けれども触れてみれば、信じられないほどに冷たく、硬かった。


いつも俯いていて見えなかった顔は、美しい母や自分の絵姿によく似ていた。

悪鬼が如く、険しい表情をしていると信じてやまなかった。


頭の中の霧が晴れたようだった。

空想の中で暴れていた悪鬼の姿はなく、同い年程度の少女に翻弄される姿がまざまざと映し出される。


幼い妹は、まるで眠っているかのようだった。




妹の瞳は新緑の中の木漏れ日のような色をしていると誰かが言っていた。

もう、それを確かめることすら叶わないのだ。

そう気が付くのに時間は掛からなかった。


頬に涙が伝う。



『私は、この子の成長を見れないかもしれない。だから、仲良くしてあげてね、フローライト』

澄んだネオンブルーが涙に揺れながら言った。


『たったひとりの兄妹なのだから』




僕は本当に妹のことをよく見ていたのだろうか。


遠くの柱の陰から、こちらを見るようになっていたのは、いつ頃だろうか。

礼儀を尽くして挨拶してくれたのは、いつが最後だっただろうか。

懸命に伸ばされた手を振り払ったのは、いつだっただろうか。

泣いて恋しがる妹を見て見ぬふりをしていたのは誰だったか。


憎かったのだ。


さまざまな彩りを映す、この瞳は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけは決して映さない。

それを理由に周囲の大人たちは自分を侮った。


次期当主だと言うのに情けない。

どんなに希少な瞳を持とうと、妹のアリシア嬢の瞳には敵わない。


次期当主の息子と褒め称えながら、宝石の名を冠さない妹以下の瞳だと馬鹿にする。

あの緑の瞳が妬ましいと、いつしか、妹のことを直視することもできなくなっていた。


妹だって、馬鹿にしているに違いない。

そう思っていたのだ。


彼女がどんな人間なのか、自分は知りもしなかったのに。

その足の刻まれた()()()()()()()()の理由すら。


公爵令嬢にあってはならない皮が引きつるほどの古い傷跡の数々がアリシアの足には残っていた。

別館の侍女の誰を問いただしても、出る名は同じだった。


駆け付けた医師すら、言い淀みながら同じ名をあげた。



「……嘘だ、クロム叔母様がそんなこと」

じゃあ、今までの妹の話はなんだったんだ。違う。きっと、暴れるアリシアの為に、でも、あんなに惨い傷跡が残るほど叔母様は強くアリシアに手を出したのか。


暴れるから仕方ないと嫌がる僕を叔母様は一度でも手を出したことがあるか?

それはない。叔母様はいつだって、()()()()()()()()()()()()()()


それは何故か。


いつだったか放った自分の言葉が僕のことを刺す。


『何の役にも立たない、石ころなんかと比較しないでください』

そうだ。アリシアは、妹は、貴族としての品位すらなく、最低の扱いを受けてきた。


叔母様は本当に優しい人なのか?

疑問が火を吹いて、僕の身を焼き始める。


本当に優しいのであれば、妹の名付けに反対するだろう。

“アリシア”なんて、平民みたいな名前じゃなくて、公爵令嬢にふさわしい名前を付けるべきだった。

宝石の名を冠さないことで、どれほど心無いことが言えるだろうか。


言われても言い返すのが美学だ。

だが、言われない要素が少なければ、それだけで平穏を得られる。


アリシアだって、宝石の名を与えられはずだった。


じゃあ、誰が邪魔したのだろうか?

誰が“アリシア”と名付けたのだろうか?

公爵令嬢として宝石の名を冠さないことがすでに致命的なのに、痕が残るほど手をあげるのが果たして愛なのだろうか?

本来なら、男の自分がそのように厳しい教育を受けるべきなのではないか?

どうして、妹はいつも俯いて、こちらを窺っていたのだろうか?

どうして、助けを求めなかったのだろうか?

どうして、言ってくれなかったのだろうか?


どうして、そう何度も頭の中で反響する。


その、「どうして」に呼応して頭の中で「当たり前だろう」と声が響く。


僕は兄として、あまりに頼りないからだ。


妹の悪評を聞けば、確認することなく信じてしまった。

そのくせ、こうして妹が死んでしまったら、すぐに叔母様を疑う。


なんて、偽善だろう。


こんなに小さい妹を見なかったふりをしたくせに。


「ごめん…。アリシア、本当にごめんな」

自分ですら白々しいと思いながら、そっと妹の遺骸を抱き寄せた。



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