バッドエンド:真実の愛
どれだけ繰り返せばいいのだろう。
幸せを願い、粉骨砕身の覚悟で守ったとしても悪意というのは思いのほか予想外のところから飛んでくる。
「アリシアお嬢様」
自分の声が遠くから聞こえる。
満を持して、円満な婚約解消を執り行おうとしたはずなのに、どうしてこうなるんだろうか。
アリシアお嬢様の無実はもちろん、婚約者の不貞を正しく流布しなければならない。
周囲の印象操作は特別悪くなかったはずだ。
「先輩を取っちゃうお前なんか死んじゃえ」
それは、円満なはずの婚約解消の場で起こった。
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2年目の春、婚約を解消することになった。
アメシスト・チャロアイトが恋情によって国一番の魔力を制御できなくなったのが発端だった。
ダイヤは、アメシストの瞳の色を模した衣裳に、透き通るライラックパープルのネックレスを着けて婚約解消の場に来た。
仲裁役として来たシトリン王子は明らかに眉をひそめてみたが言葉に出すことはなかった。
まだ婚約者であるはずのアメシストはアリシアに目もくれず、自分の瞳の色に身を包んだダイヤをうっとりと見つめていた。
仲睦まじい様子に誰も何も言わないまま、婚約解消の手続きは進められた。
何事もなく、終わるはずの場にダイヤが爆弾を投げたのだ。
「ねえ、ヘリオドールをちょうだい?」
ヘリオドールを指差し、ダイヤは無邪気に微笑んだ。
「…せん、ぱい?何を言ってるの?」
「アメシスト、お願い!!わたし、アリシア様のヘリオドールが欲しいの!叶えてくれるでしょう?」
ねえ、とアメシストに強請るダイヤにアリシアは毅然とした態度で断りを入れる。
「お断りしますわ」
国一番の魔力の持ち主は、途端に制御を崩し、近くの壁を吹き飛ばす。
「………なんで、断るの?」
苛立ちと混乱、そんな表情を浮かべながら、アメシストはアリシアに対して脅迫することを選んだ。
愛する人が他の男を欲しがる。
けれども、アメシストの残った理性は、ダイヤのためにしか残っていないように見えた。
「ねえ、アメシスト、誓ってくれたよね」
ダイヤは強請るようにアメシストに抱きついた。
うん、と答えるアメシストの瞳はすでに虚ろだった。
「使用人の引き抜きは、本件に関係ないが、この場にはふさわしくないことは分かるかね。トリプレット男爵令嬢」
「? どうしてですか?今、欲しいんです」
欲しいものを目の前に置かれたら我慢できない。
その特性は、アメシストが武器として機能してしまう状況では厄介極まりなかった。
「…アリシアお嬢様」
状況的に見ても、断るのは当然ではあるが、分が悪すぎる。
そう声を掛けようとしたところだった。
「いやよ」
諦めるべきだと理性では理解しているのだろう。
唇を痛いほど噛み締め、涙を流すアリシアの姿が瞳に映る。
「絶対に渡さない…!そんな権利ないはずよ!目を覚ましてください、アメシスト様!」
その声にアメシストは途端に頭を抱えるようにうずくまる。
「なんで、邪魔するのよ!」
鬱陶しいと言わんばかりのダイヤは地団駄を踏み始める。
子どものような無様な振る舞い、けれども魅了という名の呪いは、どこまでも残酷だった。
「私の、願いが叶わないなんておかしい!!!!」
ダイヤの絶叫は部屋中に響き渡った。
それは、向かい合っていたアリシアをはじめ、ヘリオドール以外の全員の理性を焼いてしまった。
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願いが叶わないなんておかしい。
その言葉は、アリシアの胸を酷く焼いて、そして、ジュクジュクに腐らせてしまった。
家族の愛が欲しい。
宝石の名が欲しい。
誰にも蹴落とされたくない。
誰も踏みにじりたくない。
気の置けない友人が欲しい。
他愛のない会話を楽しみたい。
自分の好きを大切にしたい。
その全てが叶わない現在は、どうしようもなくおかしい。
婚約者と恋に落ちて、奪った癖に、今度はヘリオドールまで手に入れるの?
それがどうして許されるの?
胸の奥が腐り落ちていく。
呼吸は自然と浅くなり、大粒の涙は留まることも知らずに流れ落ちていく。
渡したくないなら、渡せなくしてしまえばいい。
大事なものを手放すくらい、原型もなく壊してしまえばいい。
じりじりと理性は焼き切れていく。
誰にもあげない。
永遠に自分だけの大切な宝石であってほしい。
そうして、彼とずっと一緒にいるのも自分だけでなければならない。
そんなことをしてはいけない。
理性の声は届かず、アリシアは壊れた頭で微笑んだ。
「ヘリオドール、わたくしと一緒に死んでちょうだい」
混乱した表情を浮かべるヘリオドールは、それでもアリシアを受け入れるかのようにアリシアに手を伸ばした。
「アリシアお嬢様」
悲しげな表情をしていても、黄金の瞳は今日も優しく輝いていた。
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アリシアは身じろぎひとつせず、はらはらと涙を流し続けていた。
シトリン王子は頭を抱えながら悶え苦しみ、ガーネットは懸命に理性を繋ぎ止めようと壁面に頭を打ち付けていた。
アメシストは、興奮したダイヤを宥めようとしているのか狂ったように愛を囁き続けていた。
異常な空間だった。
やがて、アリシアが動き出した。
微笑みながら掛けられた言葉は思いもよらない言葉で、けれども、それでもアリシアの微笑みは美しかった。
「ヘリオドール、わたくしと一緒に死んでちょうだい」
「アリシアお嬢様」
自分の声が遠くから聞こえる。
アリシアの近くに行かなければ、そう考え、手を伸ばす。
だが、その手はアリシアに届くことはなかった。
「先輩を取っちゃうお前なんか死んじゃえ」
ドン、と大きな爆発音と共に身体は吹き飛ばされる。
「ねえ、先輩、これで僕だけを愛してくれるよね」
貪欲な愛が耐えられない悲鳴を上げて、ダイヤの首に絡みついた。
「…? アメ、っ……!」
「先輩も死んだら、僕だけを愛してくれるのかな?ねえ、先輩」
事も無げにつぶやくアメシストをガーネットが止めに入る。
「やめろ!チャロアイト!!」
「救援要請を!ジェダイト嬢ー!どこだ、返事をしてくれ!!」
様々な声が耳鳴りの奥で響く。
「…アリシア、お嬢様」
重い身体を動かせば、ずるり、と何かが動いた。
―――――上半身が真っ黒に焦げた、人だったものだ。
それは、アリシアが先程まで着ていた落ち着いた紺色のドレスを着ていた。
瓦礫の中に白魚のような真っ白な肌をした腕が転がっている。
どうして、と思うより早く、頭に声が響く。
「ヘリオドール、わたくしの大切な宝石」
アメシストの声の少し後、優しく抱き寄せたお嬢様の笑顔は脳裏に色濃く映る。
そんな簡単なことに気付かない訳がなかった。
「アリシア、お嬢様……」
でも、貴方が居ない世界に生きている理由なんかあるのだろうか。
駆け寄るガーネット達よりも早く、近くにあったガラスの破片を掴む。
反対の手でアリシアのドレスを小さく掴みながら。
「貴女様のいない世界に、意味なんてありません…」
次はもっと早く貴女のお傍にいれますように。
青年は小さく祈りながら、破片を首にあてがった。




