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2.始まりの前夜



始まりはいつだったか。



「ヘリオドール、わたくしの宝石」


ごめんね。そう紡いだアリシアお嬢様の声は震えていた。


冷たい石畳が身体を冷やす。貴族令嬢であるお嬢様にこのような罪人用の牢屋など似合わない。どんなに貶められ、着飾ることもできず、こうして牢に閉じ込められようとお嬢様は美しかった。


「ごめんね、ヘリオドール」


柔らかな頬はやつれ、目元から大粒の涙が溢れ、落ちてくる。

自慢の蜂蜜色の髪は輝きを失い、少年のように短く切られていた。


「……ぁり……アおじょう…さま」

申し訳ございませんと謝罪の言葉は紡ぐことはできず、身体も石畳の上で転がっているばかりで起き上がることは叶わなかった。処刑の際に邪魔になるとお嬢様の髪を切ろうとした牢番に殴りかかったのだ。だが、15歳の少年と荒事に慣れている牢番では話にならず、動けなくなるまで殴られただけだった。


ヘリオドールの気持ちを察してか彼女は首を小さく横に振って答えた。


「いいのよ、髪なんて切らせてしまって良かったのよ。」

優しく微笑む姿が なおの事痛々しくて、悔しかった。いつだってお嬢様は許してくれた。大切なティーカップを割ってしまった時だって、来客の前で粗相してしまった時だって、仕方ないと笑って慰めてくださった。


6年前だって、よくある大勢の中のひとりでしかなかったのに、アリシアお嬢様は僕を「見つけてしまったからには仕方ない」と優しく受け入れてくれた。寒い冬の日に凍え死にそうだった僕を救ってくれた。


それはまるで親に隠れて猫を飼うような始まりではあったが、従者としての居場所と衣食住を与えてくれた。愛おしそうに名前を呼んでくれるのがとても嬉しかった。ただの気まぐれだとしても、お嬢様のために生きていくと誓った。けれども、失敗してしまった。


お嬢様のために死ぬことはできても、お嬢様を救うことは出来なかった。


「泣かないで、ヘリオドール」

お嬢様が優しい手つきで頭を撫でてくれる。年頃になってからは、貴族令嬢の振る舞いとしては正しくないからと止めていたのに。


ああ、そうか。もういいのか。


「ごめんなさいね。わたくしが、もっと上手く立ち回れれば貴方も一緒に死ぬことも、こんな痛い思いもせずに済んだのに、本当にごめんなさい」


違うんです。お嬢様は悪くないのです。

そう言おうとして口を開くが、嗚咽が出るばかりで声にはならない。


「言い訳をするのは貴族令嬢らしくないわね。ふふ、貴方の為にどんなにみっともなくて恥知らずの行いでも、意地汚く足掻くべきだったわ。家族の為に、そのような真似は出来ないと思い込んでいたけれど、ふふふ…、わたくしにとって、守るべき…っかぞくは、……ヘリオドール、だけ…っだったわ……」


耐えきれなかったのか、お嬢様の声にも嗚咽が混じる。一瞬だけ、むせび泣いたかと思うとすぐに大きな溜息のように息が吐かれた。


「ふふふ、ごめんなさい。取り乱してしまったわ」

そう努めて平静を保つお嬢様、歪んだ視界ではお嬢様の顔はよく見えなかった。それでも、きっと彼女は自分に許される価値などないと思い込んでいるが分かった。そこまでしてもらってまで、僕は生きていたくはない。小さくだが、なんとか首を横に振り否定の意を表してみせる。


優しい子ね、とお嬢様が言う。淑女としてあるまじき行いだけれど、と呟きながら優しく涙を拭ってくれた。視界が晴れると、ドレスの裾を摘んで微笑むアリシアお嬢様が目にはいった。すん、と鼻をすすったところでお嬢様のドレスで涙を拭ってもらったことに気がつくと驚きと気恥ずかしさで固まってしまった。驚きついでに泣き止めたのは不幸中の幸いだったが。



「ヘリオドール、わたくしの宝石」


お嬢様が僕を呼ぶ。僕の手に触れたかと思うと、お嬢様は宝石を握らせるように両手で包み込んだ。理解が及ばず、1度握られている手を見てからお嬢様の方に顔を向ける。


慈愛に満ちた、けれども消えてしまいそうな儚い微笑みを浮かべている。馬鹿みたいに回らない頭の中で、神様が居たら、きっと、こんな顔をしているのかと思った。そして、神様が本当に居たら殺してやらなければとも思った。お嬢様の手が僕の手を撫でる。


「これはね、特別な宝石なの。……琥珀色の中に、世界が描かれているように見えて、‥…わたくしは好きだったわ。」

宝石を懐かしむように目を細める。宝石は確かに飴玉のようなとろりしたハニーブラウンで、加工によってか見る角度によって町影が見えるような不思議な色彩を放っていた。


「唯一、許されたお母様の遺品だったけれど、わたくしが持っているとバレたら牢番に取り上げられてしまうわ。だから、ヘリオドール…これは、あなたにあげるわ」

僕の手を包み込み両の手に力が籠る。貰えない、そう口にしようと思ってもお嬢様の真剣な眼差しに何の意思表明もできなかった。


「この宝石は時の宝石なの」


それは、子供騙しのような話だった。


「時の宝石を持って…、いれば、時を超えることが出来るの。

 時渡りの宝石とも呼ばれているのよ」

お嬢様は、出来ると思うなどという曖昧な表現はせずに、なるべく希望が持てるように、そして、なるべく”死“という単語を避けて僕に話した。


別に死は怖くない。死を思い描こうとしても、それができないからだ。せいぜい、餓死や凍死より断頭台の方がマシなのだろうと思うくらいだ。それこそ、6年前に野垂れ死ぬところだった。そう思えば、余計に差し迫って死の恐怖を思い描けない。けれども、お嬢様は優しい人だ。僕のためを思ってくれているだろう。


僕の手を握るアリシアお嬢様の手は震えていた。努めて明るい声でお嬢様は続ける。


「次はやり直して幸せな人生を歩むことができるわ。そうよ。いいこと、わたくしは本棚にある『栄光ある建国の歴史と神話』という本の中をくり抜いて、その穴の中に金貨を貯めているの。ふふ、今までバレたことがないのよ。大体、そうね…。質素に暮らせば、20年は余裕とは思うわ!」


言わないけれど、知ってた。昨年の春に本棚の本を落とした時に見つけてしまった。ついでに机の上の書類をひっくり返して、そういった計算のされた紙も見つけてしまった。端の方に自分の名が書かれていたので、いつか捨てられるのかもしれないと言う恐怖で見なかったことにしたのだ。



「……だから、大丈夫よ。大丈夫」

身体中が激しく痛む。けれども、大丈夫とお嬢様が言う度に痛みが引いて、徐々に睡魔が襲ってくる。まるで子守唄のようだ。やがて、痛みは完全に消え、心地の良い安心感に包まれていく。大丈夫、怖くないからね。という声と共に意識は完全に絶たれた。


寝てはいけない。


お嬢様に言わなければ。


お嬢様に会えてよかった。

今までの人生、十二分に幸せでした。

お嬢様の宝石であったことが僕の誇りです。


役立たずの僕を大切にしてくれて、嬉しかったです。


最後に泣かせてしまって、ごめんなさい。


そうだ、今度は僕がお嬢様の恐怖を和らげて差し上げないと。


僕に何が出来るのかな。




「ヘリオドール…、わたくしの宝石」

猫のように丸まっている子供の僕を、お嬢様が大切そうに抱きしめている。

そんな幸せな夢を、僕は見ていた。




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