14.赤の宝石
入学式の日に緩やかなウェーブのかかったピンクブロンドが目を引いた。
その眩くも透き通る瞳と再び目が合った時、確かに心臓が震えた。
「あ!あの時の騎士様」
ほころぶ笑みがあまりに嬉しそうで、不覚にもそれまで考えていたことも忘れ少女に釘付けになった。神々しいとは、このことだろうか。風にたなびくピンクブロンドを耳へかけるだけで溜め息が出るほどだった。
いつの間にか距離を詰めた少女に気が付くこともなく、ガーネットは自身の感情の変化についていくのが精一杯だった。すっかり、ガーネットに照準を定めたダイヤは思う存分、その魅力と能力を持て余すことなく振舞った。そして、ガーネットの意識が元に戻らないよう気を配りながら、それとなく肌への接触も試みた。
「あの時は本当にありがとうございました…!騎士様がいなければ、どんな目にあっていたことか、考えるだけで身震いしてします…」
「当然のことをしただけです」
「それでも、私は救われたんです!!」
重ねてお礼を伝える。さりげなく掴んだ裾、タイミングを見計らって手を強く握る。
すっかりと頬に赤みが差したガーネットにダイヤは満足したように笑う。
「また、いつお会いできるかわかりませんし、今日こそ、あの日のお礼をさせてください!お願いします!…それとも、なにかご予定とかありましたか?」
ガーネットの本来の目的、婚約者に会うことだ。
断ろうとするガーネットに対し、ダイヤは婚約者にはいつでも会えると誘導し、学科が違うから今度はいつ会えるかわからないからと今日だけと強調する。輝いて見える少女にガーネットは当然のように上手く断りをいれることができなかった。
事実、婚約者であるアリシアにはいつでも会うことができる。
それなら、今日くらいいいのではないか。
いつもより不用意になった意識に気が付くこともなくガーネットはダイヤの後をついて行った。
実際、アリシアの元で何をするともなく、ただ予定調和で話しをするくらいだ。
入学おめでとう、随行予定の従者の復帰が間に合わなくて残念だな。
ガーネットの頭に浮かぶアリシアへの話題はこれくらいだ。自分が話題を振らなくても、アリシアが適度に話題を振ってくれるから無言になって困ることはないが、それが今みたいに心が弾むわけではない。
「騎士様!お名前はなんていうんですか?」
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始まりは入学式、当然の流れで用意していたお茶会に婚約者は来なかった。
謝りの使いは来たものの、その後も学園ではほとんど婚約者にあることはなかった。
ヘリオドールが恋しい。
あの暗がりから覗く黄金の瞳がまっすぐにわたくしを見つめるたびに、ここにいていいのだと安心できるのだ。
結果として、怪我を負ったのに、ヘリオドールはアリシアに謝るばかりだった。
祝いたかったと静かに泣いてくれる少年に得も言われぬ仄暗い喜びが灯るのを感じた。ボロボロの姿はまるで昔のようで、思ってしまってはいけないのに叔母様に感謝をしてしまった。
ヘリオドールは変わらず、わたくしが一番なのね。
そう思えば、可哀想という罪悪感より遥かに愛おしさが勝ってしまう。
ただ、考えるだけで満たされるのは初めの内だった。
時間が経てば、調べずとも噂が回りだす。
曰く、男爵令嬢が婚約者に付きまとっている。
曰く、婚約者は男爵令嬢に好意を持っている。
曰く、婚約者が男爵令嬢と秘密の逢瀬を重ねている。
曰く、男爵令嬢は王子殿下とその側近とも交流を持っている。
曰く、男爵令嬢は他の令嬢たちに虐げられている。
曰く、身分違いの恋に悪役令嬢が立ちはだかっている。
曰く、その悪役令嬢は……
入学して半年も経つ頃には、すでに学園での立場がない状態まで持っていかれていた。
悪意には、悪意を以って制する。
敵意には、敵意を以って制する。
そのどれもが、前提として同じ土俵に立ってもらえることだとアリシアは痛感していた。面と向かってであれば負け知らずのアリシアも、噂を使った人海戦術には太刀打ちできなかった。
かき消そうとしても、盛り上がるラブロマンスは留まることを知らなかった。
そうして、最後の最悪の一手だ。
「…ダイヤ嬢を嫉妬しているんですって」
「先日の階段の事故も、わざとらしいわよ…。怖いわねぇ」
「いくら美人でも、あそこまではなぁ」
「手を出すなんて…」
「でも気持ちは分かるわ。正直、あの振る舞いは目に余るもの」
ある日、階段ですれ違った男爵令嬢は微笑みながら嬉しそうに落ちていった。
それは助けようとしたはずのアリシアの手を、突き落とした加害者の手に一瞬で変えた。
不幸にも事故の瞬間を見たものはいなかった。
アリシア様は、以前からわたしのことがお好きじゃないようでと、あまつさえ話したことさえないのに虚偽の被害の話さえ声高々にし始める。
どんなに否定しようとしても、無駄だった。
「でも、わたしがいけないんです!騎士様…、ガーネット様と仲良くさせていただいているから…」
「……ダイヤ嬢」
そっと労わるように男爵令嬢を抱き寄せる婚約者が決定打になった。
『婚約者を奪われたらな』
謀られたと気が付いた時には、すでに遅かった。
事実として、王子と婚約者を含む側近が親しくしていたのは把握していた。
婚約者のあるまじき行為を自身の有利に運ぶためにある程度見て見ぬふりをしていたのも事実だった。
「アリシア・ジェダイド令嬢、殿下がお呼びです」
その全ても王子を敵に回しては意味がなかった。
はい、と静かに答える声に震えが出なかったことに安堵する。
すでに貼られた『婚約者を奪われ、逆上する令嬢』をひっくり返すには、自分の力だけでは、どうしようもなかった。加害の証拠がないということは、無実の証明もできないということ。