12.義務と虚勢
わたくしの誕生を本当の意味で祝う者などいないだろう。
思わず浮かんだ自嘲的な言葉に笑みが溢れる。
公爵家の名に恥じぬよう豪華に飾り付けた広間に集まる人々、優雅に微笑む表情の下、どういった思惑を隠して出席しているのだろうか。
悩むまでもない。
哀れな令嬢を嘲笑いに来たのだ。
もちろん、家同士の繋がりのために出席した者もいるだろう。
疎まれていようと公爵家の令嬢であり、ゆくゆくはカーネリアン公爵夫人となるはずなのだ。長い目で見れば、最低限の付き合いは必要と考える者もいるのだろう。
そういった者たちは、表立って軽んじるような真似はしない。
ただ、哀れな令嬢を見て笑い、なにか他にないか探すのだ。
禿鷹のように食い物にしてやろうと足元を掬う機会を坦々と狙っている。
笑い物にしてやろうと訪れた来客の方がまだ良い方なのかもしれない。
嘲笑には嘲笑で返す。同じ舞台に上がってこない卑怯者たちには、それができなかった。
後ろ盾もなく、宝石も持たない。
懇意にしても何も恩恵が得られない。
そして、婚約者とも疎遠だ。
アリシアは、大事にされる理由を持っていなかった。
「まあ、アリシア嬢、相変わらず深い夜の海の色がよくお似合いですこと!」
「本当に、淡い空色のレースも素敵ねぇ」
濃紺のドレスに水色の総レース、赤い宝飾との相性は良くはないが、言ってしまえば無難な組み合わせではあった。わざわざ、今日着るべきではない配色であることは知っている。だが母の死後、公爵家が命日には必ず喪に服すのは有名な話だ。
ドレスとネックレスを交互に見比べては、小馬鹿にするように笑う夫人たち。
「ありがとうございます。カルセドニー侯爵夫人、ベニトアイト伯爵夫人」
本来であれば、赤の宝飾に合わせた明るいドレスを着るべきだろうと言う事は理解していた。
だが、母の死を何も思っていないように振る舞うことはできなかった。
それこそ、家族に見放されてしまうのではないかという恐怖があったのだ。
「赤より青が、本当によくお似合い」
にっこりとカルセドニー夫人が言えば、賛同するように青い瞳が集まってくる。青こそ至高とする彼らにとって、アリシアは格好の的だった。
公爵家から疎まれているが故に問題になる事はない。
そして、何より至高の青と謳われた母を奪った一族だからだ。
その娘は憎い赤の宝石に名を連ねるからだ。
「そうですわね。赤は得難い色ですから」
首元で一際輝くパイロープガーネットに触れながらアリシアは微笑んだ。
「近年、赤色の宝石は減少傾向にありますもの、このように立派なガーネットにカーネリアンはそう見られませんわ。本当にわたくしには勿体ないくらいの贈り物です」
これ以上、会話をしたくなくてアリシアは強引な切り返しを選んだ。
青系貴族にとっては知られたくない情報だが、そうそう付き合いのないアリシアにとっては、切り札として大事にしておく理由もなく、惜しげもなく披露した。
青より赤は尊いから、そう伝えれば夫人たちの顔が一気に曇った。
赤系の宝石が採掘が減少傾向にあるのに対して、青系の宝石の採掘は増加傾向にあった。それに加えて、血統至上主義者の多さが仇となり、青系貴族が多く全体的に希少価値が下がっていると言うのだ。
探られたくない腹があるなら、こちらに構うな。
そう思い浮かべながら、更に追撃してやろうかと口を開こうとすれば、慌てたようにカルセドニー夫人たちが遮る。周囲が聞き耳を立てている中で指摘されたくないのだろう。
「なんでしょう?」
「……遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます」
「アリシア嬢、申し訳ございませんが少々所用がありますので早いですが失礼致しますわ」
こちらの様子を伺いながら撤退を決めた夫人に微笑む。
「あら、それは残念ですわ。お気を付けてお帰りくださいませ」
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「赤は得難い色ですから」
その言葉を皮切りにして、美しい婚約者は残酷に敵意あるものをねじ伏せていった。
ハニーブロンドから覗くきらめくライトグリーンの瞳は厳しく周囲を睨みつけていた。
相変わらずの情報収集能力だと、ガーネットは感心した。
誰も彼もよくやるものだ。彼女がやられっぱなしだったのは随分前のことで今では知られたくない腹があるなら勝負に挑むなと評されているというのに懲りずに挑むのだから。
わざわざ貧相な装いをしなくてもいいのに、哀れな装いで同情を誘うなんて
「あら、やだわ。貴女、目が悪いんじゃなくて?スノーフレークオブディアンの新作を貧相だなんて…ふふ、まあお召し物がそれだものね。これが貧相ならどれほどのものを着ていらっしゃるかと思ったけど、………同情するわ」
もう少し頑張った方がいいのじゃないかしら、そう告げられた令嬢は真っ赤な顔で帰っていった。
容赦の無い反撃だが、王都一の職人がいる高級店の新作など中々手に入らない。
値段もさながら購入者の制限すらあるのだ。服に疎い自分すら知っている有名店を貶してたとなれば令嬢としては、これ以上の恥はないだろう。
おや、公爵家自慢の宝石は飾られていないのですか?
「ふふ、今宵の主役はわたくしですもの、この瞳があれば十分でしょう?それにご存知かしら、最近では招待客に紛れて賊がいるのですって…怖いですわよねぇ」
彼女が意味ありげに笑えば、声をかけた男に疑惑の目が集まる。
なにも気が付いていない男はそれは怖いですねとニヤニヤ笑っていた。どこか勝ち誇ったような顔をしているが、あのままでは明日には誰からも招待状をもらえなくなるだろう。
陰湿な返しだ。
追撃するように今度ぜひ、子爵の自慢の宝石を見せてくださいと彼女は言った。
子爵と言われた男は自慢するようにもちろんと答え、数には自信があると胸を叩いた。
周囲にどよめきが上がる。気を良くした男はそれ以上アリシアに絡まず、その場から離れた。
自分の言葉が最悪の返しだったと気がついた頃に撤回のしようもないだろう。
話題に上っただけで、彼女に濡れ衣を着させられた訳ではない。あくまで参加者の過激な妄想力により広がった噂話だ。そもそも、あの察しの悪さだ。気が付くとも思えないが。
先程のやり取りを見ていない夫人がまた彼女に近付く。
また上手くあしらい追い払う。この繰り返しだ。
自分と同じ歳と思えないほどの技量だ。
「ガーツ、お前何してるんだ」
「ああ、ジャスパーか」
お前も招待されたのかと言えば騎士仲間であるジャスパーは深くため息を吐いた。
ガーツは親しい者に呼ばせている略称だ。
「父の代理で出席したんだが、……呑気な奴だな。お前の婚約者が囲まれているんだぞ?お前が盾になってやらないんでどうするんだ!」
ジャスパーの父、イアスピス侯爵の代理かと納得する自分にもっともな叱責が落ちる。
「…もちろんそうだろうが、身体的な意味を除けば彼女は強い。」
そもそも、自分が行ったところで守るどころか足を引っ張りかねないと言えば、ジャスパーはひどく呆れた様子でまたため息を吐いた。
「そうだとしても、お前が寄り添ってやらなくてどうするんだ?」
「?」
婚約者であるアリシアは柔らかで優しい色合いに似合わず、苛烈な女性だった。
嫌いとまでは言わないが厳しい作法の先生を思い出してしまい、苦手意識があった。
ただ、彼女は強いだけではなく心の広い女性で自分を縛ったりせず、宝石についても文句を言ったりしなかった。
友人たちが婚約者の付き合いや要望に応えるのが大変だと聞くたび、恵まれていると思っていた。
「いや、必要とされていないだろう」
届かない手紙、関心のない宝石、ひとりで強くある彼女に自分が必要だとは思えなかった。
婚約者のほうをまた窺い見れば新たな挑戦者が自信満々に挑んでいるところだった。
そのネックレスはカーネリアン様のご意志なのでは?
皆さま仰ってますわよ、ついに愛想をつかれたのではと
徒党を組んだ令嬢たちにアリシアを怯むこともなく、くすりと笑った。
「学の無い方ね」
ほらな、とカーネリアンは思った。
「なんですって!」
「負け惜しみもそこまで行くと惨めですわよ!!」
口々に言う令嬢にアリシアは優艶と微笑む。
行かないのか、というジャスパーを押し留めてアリシアの出方を窺う。とてもではないか、アリシアの劣勢には見えなかった。待っていたと言わんばかりの笑みに、確信が深まる。
用意周到な彼女が、それに対しての返しを持っていない訳がなかった。
「あら、あまり喋らない方が良くてよ?無知がバレてしまいますわよ」
令嬢たちを煽るように彼女は嘲笑っている。
引き際を心得ている者であれば、この時点で彼女がカードを用意していることを悟るだろうが相対しているのは年も変わらぬ若い令嬢たちだ。
それを知らない彼女たちは自分の勝ちを確信しているのか、煽られるままアリシアを罵倒し続けた。
やがて、正面に立っていた令嬢がひときわ大きく声を上げる。
「なによ!ただの石っころの癖に!!!調子に乗りすぎよ!」
その言葉に会場は静まりかえる。
あまりに品のない罵倒の声だった。
尚もアリシアの援護に向かうべきだというジャスパーの腕を押し留めながら、アリシアを見つめた。
静まりかえった会場で、やはりアリシアは笑っていた。
「まあ、御可哀想に…石よりも頭が悪いだなんて」
心底馬鹿にしたように彼女は言った。
皮肉げというか、可哀想なものを見る目だった。
尚をも言い募ろうとした令嬢を抑え、アリシアはさらに続けた。
「確かに婚約者であるカーネリアンさまの宝石がメインではありませんわ。ただ、“仮初の婚約者”の意味合いの場合、宝石のグレードも総じて下がるものです。家としても評価に値しないとしてね。ですが、どうでしょう?」
胸元に手を当て、ネックレスと指輪がよく見えるようにしてみせる。
つややかなカーネリアンに、上質なパイロープガーネットの深紅の輝きが目を奪う。
それはどう見ても蔑ろにされた贈り物ではなかった。
細かい宝飾は職人の腕が光っており、宝石は上等なものだった。
「採掘量が減っている中で手に入れるのは大変な労力が必要となるでしょうね。今季最高と言っても過言ではないほどの立派な宝石ですわ。これでは、どちらかと言うと“家門の誉”ではないかしら?」
令嬢たちは意味が分からず、未だに怪訝な表情をしているがお年を召したご婦人たちからは感嘆の声が上がっていた。
「…なに言って「まあ、さすがねぇ、御若いのに博識でいらっしゃるわ」
本当ね、とご婦人から声が上がれば令嬢たちは明かに狼狽していた。
家門の誉、つまりは婚約者本人ではなく婚約者の家を掛けて貴女を尊重するという意味合いになるのだと婦人たちは言う。それを贈られることは最上級の名誉であり、誉であったと。
「なによそれ」
ガーネット自身も知らないので、ほとんど廃れた昔の流行だったのだろう。
真っ青な顔をした令嬢に追い討ちをかけるようにアリシアは微笑みかける。
「あら、だから言ったじゃない。無知がバレますわよって」
忙しくも顔を赤くさせた令嬢はやめればいいのに反撃しようと声を上げる。
後ろにいる令嬢たちの引くべきだと言う声は聞こえていないのだろう。
「そ、そんなの分からないじゃない!!!たまたまよ!!!」
「では、聞いてみましょうか?ねぇ、カーネリアン様」
は?と気が抜けた声の令嬢は今まで気が付いていなかったのだろう。
微笑むアリシアに、また真っ青になった令嬢がこちらを見つめる。
当然、知らなかったと言えるはずもない。
ただ静かに流石だなとアリシアを褒め称えた。
「ありがとうございます」
「…周囲を騒がしくさせたな。今年は中々難しくてな、苦肉の策ではあったが両親からの薦めもあり、その形にした」
嘘ではない。自分の我が儘もあるが、その形になるのに賛成したの両親だ。
ざわめきが大きくなる。
彼女の後援にはカーネリアン公爵家がついている。
青くなった令嬢たちが殊更青くなる。
「アリシア嬢、改めておめでとう」
「ありがとうございます。カーネリアン様」
アリシアの鋭かった瞳が安堵したように和らいだ気がした。