10.違和感
ヘリオドールが時を遡ったのは、学園の卒業を祝う式典の翌日にあたる日であった。
つまり、処刑された日のちょうど4年前の日だ。
処刑される4年前は学園への入学前年にあたり、入学の準備に追われている年でもあった。
「ヘリオドール、用意は順調かしら?」
宝石箱を持ったヘリオドールにアリシアは尋ねる。
季節は春から夏へと変わり、アリシアの誕生祭を迎えようとしていた。
ヘリオドールは順調に課題をこなし、無事執事として従事することを許されていた。
「はい、アリシアお嬢様。婚約者様の宝石は、こちらになります」
赤褐色のカーネリアンをメインにして作られた豪奢なネックレスと深い赤色のガーネットの指輪を掲げて見せる。お嬢様に許された婚約者の宝石たちだ。
ガーネットは、現婚約者の名前だ。
カーネリアンは、婚約者の家名の宝石になり、2種類の宝石を連ねて飾ることは婚約者の家格が高いことを表すのだ。
男性が名乗るには女性的な名前を持つ婚約者様は、ガーネットをメインにした宝飾を嫌っている。本来であれば、婚約者本人の宝石を大きく着飾るのが慣例になっているが、贈る側が意図的に用意しているのだ。令嬢の中では、こうした行為は’仮初の婚約者‘としての意思表示と見られる。
立派な侮辱行為であり、突き返して然るべきである。
だが、アリシアはそう言ったことは決してしない方だ。出来ないと言ってもいい。
「まあ、……綺麗ね」
嬉しそうに微笑み、大切そうに宝石箱を抱きしめるアリシアにヘリオドールは内心苦々しい思いを抱いた。誰かに指摘されれば、自分が上手く返せばいいだけと思っているのだろう。突き返したところで、他に飾る宝飾がないのだ。宝石が無いことを恐れている彼女にとって、その選択肢自体無いと言っても過言ではないだろう。
「ええ、お嬢様によくお似合いになることでしょう。」
カーネリアンよりも透明度が高いガーネットの方が、本当はお嬢様に映えるだろう。
内心、そう思いながらも喜ぶアリシアに余計な差し出口はできない。
宝石こそ、彼女の心の拠り所であり、何者にも代えがたいのだ。
「ありがとう、ヘリオドール」
この時期忙しいアリシアは、ひとしきり宝石を確認し満足した後、足早に部屋から出て行った。
予定では、通常通りのレッスンに加え、生誕祭のための服飾品の確認と打ち合わせがあると聞いている。
赤い宝石
代々、騎士を輩出しているカーネリアン公爵家、嫡男のガーネットが奇妙なことに現在の婚約者だ。
自分の記憶が正しければ、確かに以前の婚約者はシトリン王子のはずだった。
赤みを帯びたオレンジ色の宝石を、彼女がよく身に付けていたのを思い出す。
王子は、お嬢様に国の宝石である琥珀色の宝石を贈ることはなく、自分の名前であるシトリンを使用した宝石だけを贈っていた。当時は、多少なりともお嬢様のことを考えているのだろうと思っていたのが、ここ最近の教育のおかげで、そうではないことが分かった。
王子の宝石は親しみやすい、つまりは良心的な価格をしているのだ。
もちろん、考えがあってのことかもしれない。
各段にアンバーが高価な宝石ということでもない。
だだ、2つの宝石は非常に相性が良いため、理由がなければどちらも使用した宝飾品の方が好ましいのは確かだった。
婚約者がアリシアに興味をまるで抱いていないのは変わっていないが、なぜ婚約者が変わっているのだろうか。
調べた限り、この婚約は4歳の頃に決まり、それ以降変わりないと言う。
王室が関わっているらしく、詳細な経緯を知ることはできなかった。
夢を現実と思い込んでいるのか、はたまた自分と同じように時を遡っている人間がいるのか。
変化に気付いても原因がわからなければ、答えに辿り着くのは不可能に近いだろう。
あの生々しい記憶が夢だとは思えない。
なら同じような宝石があれば、同じ奇跡を体験した者がいるのではないだろうか。
不思議なことに王子の婚約者は存在しない。
もし後者であれば、以前との差異を生み出している者は味方なのだろうか。
それとも、ダイヤの味方もしくは本人なのだろうか。
なにもかも確証はない。
ただ、もしそうならお嬢様の関わりのない所で、王子と婚約すればいい。
ヘリオドールは強くそう思う。
もし、本当にダイヤ男爵令嬢が存在するなら、今度は婚約者が不在なのだ。
何の影響かは知らないが、遠慮なく王子を落とせばいい。
王子の側近たちは、全員ダイヤに骨抜きにされていた。
その事に不安がない訳ではない。
だが側近たちの婚約者である令嬢らは何の罪にも問われていなかった。
そもそも、ダイヤを害したなどという罪状もほとんどが言い掛かりに近い。
王子がダイヤと結ばれたいがための処刑であった。
そう考えればアリシアお嬢様の婚約者がシトリン王子でない事は大変良い事だ。
今現在、王家との繋がりは魔法の勉学のために派遣されている王宮筆頭魔法使いだけだ。
王妃教育のために王宮に通っていた事実はなくなり、代わりに公爵家内での勉学に綺麗に切り替わっている。学んでいる内容や教師が変わっているかまでは分からないが、これも大きな変化だ。
そして王宮に行かなくなったアリシアは、全く外出しなくなった。
ほとんどを邸宅内で過ごし、勉学や教養以外の時間は気ままに過ごしている。
公爵令嬢としての最低限の責務をこなしながら、家族に見付からないよう隠れながらではあるが。
ひっそりと生活しているせいか、婚約者が訪問してくることもない。
家族が出席している場には、決して出席にしないようにしている為に公の場で婚約者に会うことも少ない。
婚約者が王子だった時は王家主催だからと参加し、少なからずとも会話していたと思う。
だが、今は違う。
出席するお茶会も減っている上に騎士であるガーネットは鍛錬に勤しみ、そもそも出席自体がすくない。
時折、思い出したかのように婚約者の動向を訊ねては、誰にも顔を見られないように窓の外を見つめる。
婚約者に関心はある筈だが、家族の目を気にしてかアリシアから歩み寄ることはない。
連絡がなかろうと宝石さえ用意してくれればいい。
そんな風にとれなくもないが、以前でも「政略結婚なのに愛を乞うても仕方がない」と言っていた。
自分が愛される事はない。
そう思い込んでしまっているようにも見える。
恐らく婚約者からの歩み寄りがない限り、アリシアから婚約者に連絡することはないだろう。
生誕祭に、少しでも仲が深められたらいい。
美しく輝く金糸の髪が決して乱されることがないように
陽だまりのような暖かな黄緑の瞳がそのままでいられるように
用意した新しいドレスに楽しい記憶が残るように
ヘリオドールは小さく祈りながら、そっと宝石を仕舞い直した。
飼い猫だった自分は、この時の生誕祭でなにがあったのか知らない。
ただ、彼女の生誕祭で喜ばしいことは宝石が増えることくらいしかないと言うことだけは知っていた。