人類と宇宙人が、出会う確率
昔、こんなことを先生に聞いたことがある。
「先生、人間が宇宙人に出会える確率って、どのくらいなんですか?」
これを聞いたのが、何時の出来事だったのかは、よく覚えていない。
確率、なんて言葉が使えたんだから、十歳くらいにはなっていたのかもしれない。
小学校の図書館にいつも置いてあった、子供向けの、宇宙に関する本。
それを見た時に、ふと閃いた質問、だったと思う。
その時の司書の先生は、いつもしかめっ面をしている、怖そうな年配の男性だった。
お世辞にも、子どもたちに好かれる人ではなかったと思う。
実際、性格は頑固で、融通というものを知らなかった。
図書室でふざけて遊ぶ子供たちをよく叱るので、低学年の子供は、よく泣かされていた。
だけどこの人は、他のどの学校の先生にも存在しない、ある素晴らしい点を持っていた。
それは、「子供の質問に、真剣に答えてくれる」という点だ。
子供が大人にする質問というのは、何時だって、無邪気で、かわいらしくて、残酷だ。
「ねえ、お父さん。人間は、死んだらどこに行くの?」
「ねえ、お母さん。何で、人を殺したらイケナイの?」
「ねえ、先生。何であの子は、いつも車椅子に乗ってるの?」
「ねえ、パパ……」
「ねえ、ママ……」
「ねえ」
「ねえ」
「ねえ」
「教えてよ」
大人が、未だに答えを出していないこと。
大人が、子どもに知っておいてほしくないと思うこと。
そういったことを、的確についてくる。
大人の多くは、その質問について、真剣に考えはしない。
誤魔化すか。
嫌な顔をするか。
自分にとって都合のいい理屈を押し付けるか。
「人間はね、良いことをしたら天国へ、悪いことをしたら地獄へ行っちゃうんだよ」
「法律で決まってるからよ」
「大人になったらわかるわ」
「あなたは、コウノトリさんが運んできたの」
「そんなことを聞くのは、悪い子だ」
僕は、そういった答えの中にある嘘を、幼いながらに見抜いていたと思う。
今思えば、僕は嫌な子どもだったのかもしれない。
だけど、だからこそ、僕は司書の先生に懐いていた。
先生は、子どもの取るに足らない質問にも、真剣に考え、答えてくれた。
例えば、ある子どもが「どうして虹は七色なの?」と聞いたとする。
先生は、ニュートンの伝記やら、科学雑誌やらを図書室の棚から持ち出し、パソコンで論文の検索までして、子どもに説明した。
あるいは、「どうして雨は降るの?」と聞いたとしよう。
その時は、気象情報やら、高学年向けの理科の教科書を読み上げるだけでは飽き足らず、校庭で実験まがいのことまで始める。
いろんな意味で、加減、というものを知らない人だった。
ある意味では、真摯な人だったのかもしれない。
何しろ、僕自身が「人間は死んだらどうなるの?」と聞いた時の対応が、これなんだから。
「そんなこと、俺が知るか」
……さっき、子どもの質問に真剣に答えてくれた、と言ったけど、これには語弊があるかもしれない。
先生が真剣に答えてくれるのは、「彼自身が理解していて、かつ、図書室の本を用いて説明ができるもの」に限られていた。
だから、死だのなんだのと、先生も分かっていないことを聞かれた時は、その対応は単純明快。
真顔で、「知らん」、の一言だ。
もちろん、彼自身に説明が可能な内容であれば、容赦はない。
「僕はどうやって生まれてきたの?」と聞いた時は、大人も顔を赤らめるような、凄まじい密度の性教育が始まる。
いろんな意味で、濃い人だった。
今に至るまで、あそこまで変わった人には出会ったことがない。
だけど、僕はその先生が好きだった。
自分が答えられることは、誠心誠意答えてくれて。
自分の知らないことは、正直に「知らない」と言う。
その姿勢が、僕が知る限り、周りの大人たちで一番、嘘がない態度だと思えた。
少なくとも、「自分の仕事は自分でやりなさい」と教えてすぐに、「先生の仕事を手伝ってくれないなんて、このクラスの子はなんて貧しい心の人たちなの!」と子どもを叱る、担任教師よりは。
そう考えていたのは、僕だけではなかったらしい。
高学年の子どもたちの中には、僕以外にも、図書室に通い詰める子たちがいた。
皆、先生の言葉が聞きたかったんだと思う。
そんな先生を相手にしていれば、だんだん、その先生がどう答えるのか、つまり、一般的な大人が何を知り、何を知らないのかが分かってくる。
僕たちは、サンタクロースの正体が親であることも、自分たちが精子と卵子の融合体であることも、図書室に来てから理解した。
だけど、UFOの正体だとか、何で戦争が起きるのかだとか、死ぬとはどういうことなのかだとか。
そういったことは、相変わらず謎のままだった。
全部、先生が、「知らん」の一言で切って捨てた疑問たちだ。
もっと深く聞いていくと、「世間一般ではこう言われている」くらいのことは、教えてくれたけど。
そんな先生だからだろう。
最初に挙げた疑問────人類と宇宙人(異星人と言った方がいいのだろうけど、当時こう呼んでいたから、敢えてこう呼ぶ)の出会える確率についての答えを、未だに覚えているのは。
「……アフリカ大陸に、二匹しか蟻がいないとする」
先生が静かに口を開いて、僕はかなり驚いた。
正直、また「知らん」で片づけられるかな、と思っていたからだ。
そんな僕の様子は無視して、先生は言葉を続けた。
「君らの想像する宇宙人がもし存在したとして、人類と彼らが出会う確率は、そのアフリカ大陸を適当に歩き回っている二匹の蟻が出会う確率と同じぐらいだ、と言われている」
周りの子どもたちは「嘘―っ」とか、「会えないじゃん、それじゃあ」とか言っていたと思う。
だけど、僕は、そう言わなかった。
その答えに、納得できなかったから。
いや、言い直そう。
その答えに、先生にしては珍しく、嘘が含まれているように感じたから。
先生が、いつものように、宇宙の広さについて書いた本や、辞典を開いて、演説のような説明を始めようとするのを、横目で見ながら。
僕はずっと、その嘘が何なのか、考えていた。
あれから、ずいぶんと時間がたって。
僕は中学生になり、あの先生にも会わなくなった。
今もなお、あの時の嘘が何だったのか。
僕は考えている。
「それ」に気が付いたのは、おおよそ三か月前。
体育の時間が、始まってすぐ。
準備運動の後に柔軟運動をやろうと教師が言い出して、外だというのに、運動場の地面に寝転がった時だ。
空の天辺に、「それ」を見つけた。
最初は、無視したと思う。
というか、そもそも、空って言うのはあんまり熱心に見るものじゃない。
視界にこそ入っていたんだろうけど、意識に上ってこなかった。
だけど、不意に「それ」が気になった時には、冗談じゃなく、心臓が止まりそうなくらいに驚いた。
まず、まつげが視界を覆ってしまっているのだと思った。
次に、目が悪くなったのかと思った。
最後に、自分の精神を疑った。
それくらい、信じ難い光景だった。
何しろ、雲一つない青空の真ん中に────巨大なバーコードが浮かんでいたのだから。
そう、バーコード。
現代では買い物をするたびに目をする、あのバーコード。
それが、空の真ん中に、ポツン、と浮くようにして存在していた。
あのとき、驚いて撥ね飛ばしてしまった、体育でペアの男子は、可哀想だったと思う。
ただ、これ以来、ずっと空の真ん中にバーコードが見えるようになった僕も、十分に可哀想だと思う。
始めの頃は、すぐに消えると思っていた。
幻覚か何かだと。
最近、疲れているんだと。
すぐに、消えてくれるだろうと。
ただ、二日経っても、三日経っても。
そのバーコードは依然として、見えた。
これは、真剣に考えなくてはいけないな、と思い直したのは、二週間ほど経ってからだった。
この時には、他の人間にはあのバーコードが見えていない、ということに気づいていた。
とりあえず、目の病気を疑うところから始めた。
飛蚊症、という病気がある。
網膜の異常や、加齢によって、実際には存在していないのに、視界に虫やごみのようなものが見える病気、らしい。
これに従って言うならば、バーコード病とでも言うべきか。
とにかく、そういった病気があるかもしれない、という疑惑を込めて、適当な理屈をつけて眼科に行った。
……何となく予想はしていたが、異常なし、との結果だった。
両目とも、視力は一・五。健康そのものらしい。
ただ、僕は目の病気に関しては、眼科に行く前から、違うだろうな、と感じていた。
理由は簡単。
そのバーコードが、空にしか見えなかったからだ。
もし、飛蚊症のような症状に襲われているのであれば、僕の視界には、場所を選ばずにバーコードが現れているはずだ。
例えば、上を向いた時に「発症」するのであれば、ベッドに寝転んだ時だって、天井にバーコードが映らなければおかしい。
だが、実際には、バーコードは空を見た時にしか現れなかった。
いくら天井を見つめても、バーコードは現れない。
実際に、空にそのバーコードが存在しているから、としか思えなかった。
この頃、僕は面白いことに気が付いた。
ちょうど、季節は夏に向かおうとする頃だったので、しばらくは雲一つない青空、という奴が続いていて、バーコードも青空をバックにしか存在していなかったのだけれど──。
ある日。
珍しく曇り空となった日。
その日は、バーコードが見えなかったのだ。
一瞬、このバーコードが見える性質(あるいは、病気)が、治ったのかな、と思った。
だが、そういうわけではなかった。
午後になり、雲がだんだん散ってくると、天頂近くにある雲の隙間から、再びバーコードが見えてきたことが、それを証明していた。
ただ単に、雲に隠れて見えなかっただけらしい。
この出来事から、あのバーコードが本当に空の中に存在するとしたら、雲が出来る高さ以上の高度に設置されている、ということが分かった。
尤も、何でそんな高さにバーコードが存在しているのかは、さっぱりわからないままなんだけど。
これと同時期に、僕は精神科の方にも行ってみた。
幻覚によってバーコードが見えるという可能性を、捨てきれなかったからだ。
ただ、こちらも、目と同じく、あっさり否定された。
いじめだの、思春期のストレスだの、色々と変なことを疑われたのには閉口したけれど、医師だのカウンセラーだのが言うには、異常なし、らしい。
異常なしと言っても、病院で書かされたアンケートと、カウンセラーとの面接みたいなものから導き出された結果で、正直、素人目には怪しい結果に思えた。
ただ、それ以上言うと、本当に変な人間だと思われそうだったので、適当な理由を付けて、病院から去った。
ここらあたりから、僕はバーコードについて、深く考えないようにした。
よく考えてみれば、あのバーコードは、別に僕に何か不利益を与えているわけではない。
ただ、あの場所に存在しているだけだ。
最近は、あのバーコードが存在する光景にも慣れてきたし、それによって何か困ったこともない。
原因が分からないのは不気味だけど、無視してしまえば、僕はまた普通の学生生活に戻れる。
一度、そう割り切ったのだ。
諦めてしまえば、どうということはない。
いつも通りの生活を送る、ただそれだけ。
ただ、一つ変わったことがあるとすれば──。
頻繁に、携帯で空の写真を撮るようになったことだろうか。
他の人間にとっても、何もない空の写真。
僕にとっては、写真の中にも変わらず存在する、バーコードの写真。
特に、理由のある行動じゃない。
だけど、自分が確かにそのバーコードを見ていたという事実を、僕は覚えておきたかった。
本当に空の中で浮かんでいるかのように、そのバーコードの姿は写真に残すことが出来た。
もちろん、印刷もできる。
飛行機やヘリの写真を撮るのと、同じ要領だ。
印刷された空の画像の中にあるバーコードは、スーパーで商品に貼られているそれと、全く同じ様子だった。
こうして僕が、他の人からすると、何もない空の画像を頻繁に撮影し、印刷する奇妙な人間になった頃。
もう一つ、僕は発見をする。
その頃、学校は夏休みに入り、僕の家では父親が家族旅行を計画していた。
行先は、北海道。
僕の家は関西にあるから、交通手段は飛行機ということになる。
涼しい場所で一緒に遊ぼう、と笑顔になる母親と妹のことは、正直どうでもよかった。
僕は父親に、ある頼みごとをした。
行きの飛行機でも、帰りの飛行機でも、どっちでもいいから──。
「飛行機の座席は、窓際にしてくれないかな」
父親は、あっさりと了承してくれた。
お前も変なものに嵌るなあ、とだけ、呆れるようにつぶやいて。
家族には、僕の「今日のバーコード確認」は、「空の写真を撮るという趣味」として、受け取られているようだった。
飛行機の窓から、空の写真や、雲海の写真を撮りたい。
こう言うだけで、両親は納得してくれた。
ある意味、これはバーコードの出現位置に助けられたかもしれない。
例えば、バーコードの見える位置が、女性の下着の表面とかだったとして。
僕の携帯に、下着の写真(僕にとってはバーコードの写真)ばかりが存在するようだったら、家族の僕に対する印象はまた変わったことだろう。
空という出現位置は、ある意味では無難なもの、と言えるだろう。
空を見続ける、という行動は、奇妙ではあっても、異常なものではないのだから。
鼻血でも出ているの、とよく聞かれたけれど。
それから、待望の飛行機に乗って、雲海を見つめた時。
見えた光景は、ある意味で予想外だった。
雲海の中に、バーコードはなかった。
飛行機よりもさらに上──小さな窓からは少ししか見えない、暗い空。
もはや空というより、宇宙と空の間のような場所。
その天辺に、バーコードは存在していた。
少し見切れていたけど、写真は撮れた。
よくやるねー、と妹がクスクス笑った。
以前、雲によって見えなくなった時、低い位置の雲よりも、あのバーコードは高い場所にあるようだ、と言ったけれど。
実際は、もっと高いようだった。
飛行機が飛ぶ高さは、だいたいが高度一万メートル程度。
背の高い雲の中には、これより高い位置に生まれるものも存在するらしい。
それよりも、遥かに高い位置に、あのバーコードは存在している。
もう、あれが立体映像でも、幻覚でも、何でもいいんだけれど。
少なくとも、人間が設置することはできないような高さに、あのバーコードはいる。
この推論は、北海道で見たニュースで、意外な形で実証された。
よほどニュースの種がなかったのか、アナウンサーが「視聴者から送られてきた写真」、とか言うのを紹介するコーナーを始めた時。
手始めに、テレビ局側が提供した「人工衛星から見た地球」という写真が、テレビに映った。
反射的に、携帯でテレビ画面を撮影した。
その写真にも、バーコードが映っていた。
ちょうど、日本列島を覆うようにして。
周囲に渦巻く雲よりは高い位置にあるらしく、くっきりと姿を見せていた。
人工衛星の高度は、低いものでは高度二百キロメートル。高いものでは、高度三万六千キロメートルに達する。
この時に提示された写真が、どの高さにある人工衛星から撮影された物かは分からない。
ただ、重要なのは。
このバーコードが確かに存在するとすれば、それは飛行機の高度よりは高いけれど、人工衛星よりは低い位置にある、ということだ。
次にしたことは、現代っ子らしく、ネット検索だった。
過去の検索履歴のせいで、しつこく精神病や眼病のサイトに誘導しようとする予測変換に手を焼きつつ、何とか人工衛星から撮影された写真をまとめているサイトに辿り着く。
折良くというか、何というか、この時期に国が宇宙開発に関するあるイベントを主催していて、それに触発されたのか、そのサイトでは直近一年分の衛星写真を全て公開していた。
月だの、天の川だの言ったものを省き、地球の、特に日本列島が見えるものだけをより抜く。
そうすると、またまた面白いことに気が付く。
過去の写真にさかのぼっていくと、ある時期までは毎日、日本列島を覆うバーコードが写真の中にあるのに────ある日を境に、バーコードは日本上空から消滅していた。
ある日。
僕の記憶が正しければ、僕が初めてバーコードを見つけた日。
空の真ん中に居座るバーコードに、心底驚愕した日だ。
どうやら、あのバーコードは、気が付かなかっただけで常に空に存在していたのではなく、僕が初めてその存在に気が付いたあの日に、突如、日本の空に出現したらしい。
正体も、意味も分からなかったが、それだけは理解できた。
ちなみに、北海道の空でも、問題なくバーコードは空中に存在した。
人間が地上を多少移動しても、月の大きさが変化しているようには見えないように、日本列島を覆うほどに大きいあのバーコードは、少なくとも国内であれば問題なく見えるらしい。
さらに言うと、この時期気が付いたのだが、このバーコードは夜空でも問題なく見える。
ただ、バーコード自体が黒色をしているので、背景に溶け込み、恐ろしく見え辛くなるけれど。
北海道で天体観測のイベントに参加した時、天の川の中にバーコードが存在していた──というより、天の川がバーコードの形にくりぬかれているような形に見えた際に、発見した事実だ。
どうもあのバーコードは、星の光を届けないようだ。
この時期になると僕は、バーコードはこの地球の上空に存在する、と確信するようになった。
さすがに、幻覚や悪い夢では説明できなくなってきたからだ。
確かにあのバーコードが高度何千キロメートルかに実在して、その様子を正しく認識できるのが、たまたま自分だけだった、という考えは、意外なほどにしっくりきた。
無視しようと思えば無視できる、小さな空の異変。
それでも、深く考えてみると、なんだか宇宙の謎や、常識で説明できないことに切り込んでいるようで、楽しかった。
そして北海道から帰ってきた僕は──。
ふっ、と、僕は意識を現実に戻す。
目の前では、面倒臭そうに買い物帰りのおばさんが籠から商品を取り出していた。
そのまま、彼女は眼前に置かれているバーコードリーダーに、手に持ったニンジンに張られたバーコードを押し当てた。
ピッ、と誰もが聞いたことのある軽やかな音声が響き、隣の液晶で表示されている合計金額に、ニンジンの分が加算された。
このやり取りに、店員は介在しない。
少し遠い位置で、トラブルが起きた時のために待機しているだけだ。
ここは、大きなスーパーマーケットのレジ。
スーパー自体に大きな特徴はないけれど、レジは少し変わっている。
ここは全て、セルフレジで行っているのだ。
セルフレジ────客自身が買った商品のバーコードを機械に読み込ませ、店員の介在なしで会計を済ますことのできるレジ。
一応、機械の故障時や、機械をうまく扱えない客のために、普通のレジもあるのだけれど、結構な人がセルフレジで会計を済ます。
多分だけど、皆一度くらい、あの「ピッ」というのをやりたかったのだろう。
実際、子供に人気らしい。
もう少しかかりそうだな、と思って、僕はイスに深く座りなおす。
ここは、セルフレジから少し離れた位置にある休憩所。
ここに僕は、もう一時間も前から座っている。
北海道から帰り、あのバーコードは原理は分からないけれど実在する、と考えた僕が、ふと思いついたこと。
それは、単純と言えば単純な、むしろ今までなぜ思いつかなかったのか、と思うほど単純な試験方法。
すなわち、「あのバーコードを機械に読み取らせたら、どんなことが起こるのか?」という実験だ。
今日のために、今まで撮影してきたバーコードの写真の中から、特に綺麗に撮れている─鳥だとか雲だとかに邪魔されていない─物を一枚印刷し、バーコードの部分だけ切って持ってきた。
もちろん、僕以外の人間にはそれがバーコードだとは分からない。
ただの何もない空の写真、いや、それどころかただの水色の折り紙にしか見えないのだろう。
ただ、もしこのバーコードが実在する物であれば、機械に読み込ませたとき、反応してくれる……かもしれない。
何の反応も帰ってこない、読み込まれない可能性はもちろんある。
ただ、僕は、もしかしたらいけるんじゃないか、と思っていた。
もしこのバーコードが、人間の目にしか映らないとか言う、ファンタジーな設定を抱えていたら話は別だけど、これは「写真に撮る」ということが出来ている。
つまり、少なくとも携帯のカメラと印刷機は、あのバーコードを光情報として認識し、それを再現できている、という話になる。
写真上のバーコードが他の人間には見えないのも、ある意味、あのバーコードの映像としての性質を完璧に再現できているから、と言えないこともない。
だったら、スーパーのレジがこのバーコードを情報として読み取ることだって可能、かも、しれない。
所詮は素人の科学知識による実験で、矛盾もたくさんあることは分かっていた。
ただ、僕は、やってみたいと思った。
仮に……仮にあのバーコードが、何かの商品につけられているものであれば。
それは、どんなものなのか。
どんな価値を持つのか。
買い手は、誰なのか。
そんな謎の一端が、分かる気がして。
と言っても、そもそもレジにこのバーコードの写真を読み込ませること自体が、結構難しいことに、写真を用意してから気が付いた。
僕はまだ中学生で、バイトはできない。
つまり、コンビニとかでバイトをして、休み時間にでもレジを動かさせてもらって、それで持ち込んだバーコードを読み取らせる、なんてことは出来ない。
じゃあ、店員さんに頼んでレジを貸してもらうか?
これは無理だろう。
僕にはくっきりとバーコードが見えるけど、他の人からすれば何も映っていない紙きれだ。
それをレジで他の商品と一緒に読み込ませてください、なんて頼んだら、面倒なことになる。
ただでさえ、いつも空の写真を撮って、しかも「何かあるのか?」と聞いてきた人たちに、「君は見える?」なんて聞いてしまったせいで、僕が重度の中二病になった、なんて噂が学校で語られているくらいだ。
ここで変な行動を起こせば、それこそ否定されたはずのカウンセリングに連れていかれるかもしれない。
じゃあどうするか、となった時、妹が教えてくれたのが、このスーパーだ。
教えたというより、妹が夕食のときに口にしていたのを、僕が覚えていただけだけど。
自分でバーコードを読み込ませる、ここのセルフレジなら、バーコードの写真を読み込ませることもできるはず。
まあ、まず間違いなくこのバーコードは、店の商品のそれではないので、読み込めたとしてもエラー表示なりなんなりが出る可能性が高いけれど、それもまた一つの成果になる。
ただ、これは素早く、他の人に見られないようにしてやる必要がある。
「セルフレジで不審な行動をしていた中学生を補導、手には謎の紙切れ」なんてニュースになったら、笑うに笑えない。
買ってもいない、持ち込んだ紙をセルフレジの液晶にかざすという、かなり怪しい行動をとるのだから、周りに人が少ない、できれば自分一人しかいない時がいい。
だから、僕はここにいる。
学校の創立記念日で平日ながら休みになったのを利用して。
セルフレジから人がいなくなるのを、待っているのだ。
平日の午前中だというのに、スーパーにはぽつぽつと人がいて、なかなかセルフレジから人がいなくなる気配はない。
最初はゆったり構えていたけど、今日中に人がいなくなる瞬間はあるかな、とだんだん不安になってくる。
今で、午前十時五十分。
もう少しすると、昼食を買いに来る人でこのスーパーはにぎわうだろう。
そして午後には、夕食の買い物を含めて、恐らく今以上の人がここを訪れるはずだ。閉店間近にならない限り、客足は途切れないかもしれない。
そうなると、出直す必要が──。
ちょうど、そこまで考えた時だった。
先ほどまで見ていたおばさんが、セルフレジから離れ。
まるで、見計らったかのように、セルフレジから人がいなくなった。
もちろん、近くに店員はいる。
だが、その店員は別の店員とのおしゃべりに夢中で、セルフレジの方を向いていなかった。
……今しか。
今しかない。
気が付いた時には、僕の体は休憩所から飛び出していた。
入ってきた時にとっておいたスーパーの籠を右手に持ち、即座にレジの近くに置いてあった商品のガムを放り込む。
さすがに、手ぶらでセルフレジに行っては怪しまれる。
だから、まずガムを読み取らせて──。
セルフレジに相対しながらも、僕は落ち着いていた。
同時に、周りの音があまりよく聞こえなくなるほどに、集中していた。
もしかしたら、分かっていたのかもしれない。
これで、あのバーコードにまつわること、全てに。
決着がつくことを。
お年寄りにも見やすいようにか、カラフルに彩られた液晶を見つめ、すぐに「スタート」を押す。
やがて、画面が精算用のそれに切り替わり、隣にあるバーコードリーダーが起動したのが分かった。
素早く、機械にガムのバーコードを読み取らせる。
ピッ、と聞きなれた音が耳に入り、画面に九十円、と値段を示した。
大丈夫だ。この機械は、少なくともこの店の商品に対しては、問題なく動いている。
さあ、いよいよ──。
財布を取り出し、そのカード入れから、できるだけ目立たないようにして、バーコードの写真を引き抜く。
一瞬、本当の一瞬だけ、僕はその写真を見つめた。
そこには、確かにバーコードが映っていた。
幻覚でも、妄想でもない。
この三か月にわたって、僕が見続けてきた。
もはや慣れ親しんだ、バーコードだ。
緊張はなかった。
誰かに見咎められないように。
さも、「カードで支払いをしようとして、そのカードをバーコードリーダーにかざしてしまった馬鹿な客」だと見えるようにして、バーコード写真をバーコードリーダーに提示する。
最初から決めていた。
心の中で、五秒数えようと。
それを過ぎれば、読み取られなかった、と考えようと。
十秒も二十秒も写真をかざしていては、さすがに怪しまれる。
普通のバーコードは、正しく見せていれば、一瞬で読み取られるのだから。
五秒待っても読み取られないのであれば、反応なしと考えて良いはずだ。
一。
二。
三。
四。
……五。
バーコードリーダーは、うんともすんとも言わない。
体からドッ、と汗が噴き出て、予想外のような、予想通りのような、奇妙な感覚に襲われる。
「反応、なし」
思わず、口に出していた。
まあ、もともと訳の分かんないバーコードだしな……。
こうやって結果を見て初めて、自分が意外とこの実験に期待していたことに気づく。
縦え理屈が分からなくても。
何か、起こってほしかったのかもしれない。
そこから、僕は消化試合のようなことを行った。
つまり、バーコードの写真を仕舞って。
開いたままの財布に目線をやって。
一応持ってきた、もう一枚のバーコードの写真を手に取る。
幸い、まだ客はレジに来ていない。
店員をちらりと見たが、こちらに気を止めてもいない。
「二個目の実験」もできるだろう。
二個目の実験は、今朝、突然思いついた実験だ。
前々から考えていたことじゃない。
やる意味も、たいして感じていなかったけれど、一緒に出来るなら、やっておこうかな。
その程度の、実験。
やることは簡単だ。
さっきと同じく、バーコードの写真をバーコードリーダーに読ませるだけ。
ただ、使う写真は少し違う。
さっきの実験で使ったのは、僕が撮影したもの、つまり、地上から空のバーコードを撮影した写真。
一方、今かざそうとしているのは、その逆。
衛星写真の一部。
僕が普段見ているバーコードではなく、宇宙から見た、日本上空に浮かぶバーコードの姿だ。
下からではなく、上からの撮影。
このバーコードは、線の太さとかを見るに左右対称ではないから、ちょうど先程の写真とは、左右が反転したバーコードの画像になる。
そもそも。
普段僕が見ているバーコードは、正しい向きだろうか。
そもそも。
こんなに大きいものを地上から見るのは、正しい見方だろうか。
もし。
もし、上から見る方が正しければ──。
あまり期待はしていなかった。
あのバーコードがどんな意味を持っているのかは分からない。そもそも、存在に意味があるのかどうかも。
だが、意味があるとしたら、それは人間に向けてのものだと思っていた。
地上からそれを見ている、人間へのメッセージだと。
上から見るのが正しいのであれば、正しい見方が出来る人間は、宇宙飛行士くらいしかいなくなってしまう。
だから、さして力も込めずにそれをかざして……。
ピッ、と、軽やかな音が鳴った。
碌に対処もできなかった。
耳から入った情報が、脳に辿り着くよりも早く。
清算画面が「九十円」から「百円」に変わる。
次に動くことが出来たのは、普段からの習慣のためか。
僕の右手は、自然な動きで財布から百円玉を取り出し、レジにそれを投入する。
「オカイアゲ、アリガトウゴザイマシタ」
最近の機械にしては、無骨にも程がある電子音と共に、レシートを受け取る
その次の瞬間には、僕はもうレジから離れていた。
まだ状況を正しく理解していないのに、足が勝手に動き、レジの奥、買ったものを袋に詰めるための台へと導く。
その時────。
<あっ、買われた!>
鼓膜を震わせるような音ではない。
振動を直に伝える音でもない。
僕の脳内に直接飛び込むようにして、それは聞こえてきた。
テレパシー、という奴だったのかも、しれない。
<先を越されちゃったよー、せっかく買ってもいいかなって思っていたのに>
<まあ、仕方ないさ。大したものでもないんだろ?>
<まあね、誰も買おうとしなかったから、取っちゃおうとしてたんだけど>
<セールだったのにな。ま、忘れようぜ。宇宙は狭いようで広い。もっといい買い物もあるさ>
直接、こんな内容の日本語が聞こえてきたわけじゃない。
実際に脳内に響いたのは、もっと訳の分からない音波の集まり。
だけど、なぜか意味だけは伝わってきた。
日本での表現の仕方が分かったのは、その後。
まるで、別の言語がゆっくりと日本語に訳されるようにして、それは浸透した。
突然の音声に、叫びださなかったのが何故かはわからない。
だけど、その音を聞いてすぐ、僕はレシートを見直した。
ガムと、衛星からの写真を読み込んで、出てきたレシート。
書かれているのは、店名と、日付と……。
「ブルーベリーガム ¥90」
これはいい。
カモフラージュ用に買ったガムの値段だ。
そして、次に印字されているのは──。
「チキュウ ¥10 合計¥100」
チキュウ。
ちきゅう。
地球。
それは。
地球の買取レシートだった。
僕は、この星を、十円で買った。
それから、家に帰るまでに、僕の脳内で起こった思考について、文字にするのは難しい。
一言で言えば推論を建てていたのだけれど、その内容が問題だ。
今まで僕が信じていた常識だとか、価値観だとか、そういったものが全て、ひっくり返る推論。
妄想の域を越えている。
嘘にしても嘘っぽすぎる、そんな話。
それでも、無理やり文字にするなら、こういう話になる。
まず、今日起こった結果から読み取れる、ある程度妥当な推論。
「空の写真の中にあるバーコードには反応しなかった」
「衛星写真の中のバーコードは読み取ることが出来た」
「セルフレジで読み取ることが可能で、実際に料金まで支払った」
こういった事実を突き詰めていくと、こうなる。
「あのバーコードは、宇宙から見るのが正しい見方であり、かつ、用途は普通のスーパーの商品と同様、買い物のためである」
この時点でも、十分にぶっ飛んだ理屈だと思う。
だけど、まだほんの序の口だ。
僕は、もう一度、手に持っているレシートを見つめる。
何度見ても、その「お買い上げ商品」の欄には、「チキュウ」の四文字があった。
「¥10」という表記と共に。
レジの誤作動。
打ちミス。
その他にも、色々なことが考えられる。
だけど、僕には、これが本当に、地球の値段のようにしか思えなかった。
推論は、さらに進む。
この三か月、空に浮かぶバーコードを見てきた。
その異常性に気を取られて、考えていなかったことがある。
簡単な疑問。
「そもそも、バーコードとは何のために存在するのか?」
カードゲームに使われたり、タイムカードに使ったり。
いろんな用途があるけれど、やっぱり、一番メジャーなのは、お店の商品につけるバーコードだと思う。
実際、僕自身、バーコードを読み込ませよう、となった時、最初に思いついたのがスーパーのレジだった。
空に浮かぶ、あのバーコードも、そうだったのかもしれない。
商品につけて、買い物をスムーズにするために、付けられたものだったのかもしれない。
じゃあ、この場合、買い物は誰がするのか?
買い手は誰だ?
それを示唆するのが。あのテレパシー会話だ。
まるで無線が混線するかのようにして、聞こえてきたあの会話。
恐らくだが、あれは二人、登場人物がいる。
まず、一人が先を越された、と嘆く。
これは、ちょうど僕が百円を支払った時に聞こえてきた。
その後、そいつは不満を述べる。
ただ、本気で怒っているんじゃない。
思い通りにいかなかったのが嫌で、駄々をこねている、くらいの口調。
その後、もう一人が、会話に応じる。
仕方ない、と言ってから、大したものではないんだから諦めろ、という趣旨のことを言う。
話し方は、大人が子供をなだめている、というのが一番近い。
さらに、それを受けて、最初の人物は、誰も手を出していなかったから買おうとした、というようなことを言う。
だからこそ、そこまで惜しくないし、諦められる、という意味合いだろう。
最後に、セールだった、良い買い物、という言葉が出て、これが間違いなく買い物に対する話だと分かる。
そして、その途中で、最後の話し手は気になることを口にする。
「宇宙は狭いようで広い」
普通、逆じゃないだろうか。
何というか、広いようで狭い、だったら、まだわかる。
人間からすれば、宇宙はすごく広大だけど、視点を変えれば、狭いようにも考えられる、という意味になる。
これは、まだ意味が通る。
だけど、狭いようで広い、というのは違和感がある。
これだと、「宇宙というのは元々狭いものだけど、考えようによっては広くも感じられる」という意味になる。
宇宙が狭いことが、大前提の言葉。
宇宙って、そんなに狭いものだろうか?
……逆に、宇宙を狭い、と言えるのは、どんなときか?
例えば。
よく、人々は、初対面の人に、自分と共通の知人がいた時だとか。
他人が意外な形で自分との間に関係性を持っていた時、世間は狭い、という。
この狭い、と宇宙は狭い、が同じ程度の意味であれば。
人間とは比べ物にならない程技術が進んでいて。
宇宙の果てから果てまで、すぐに移動することが出来る者たちがいるとして。
彼らが、宇宙の隅々まで知り尽くしてしまったのであれば。
宇宙のどこに行っても、見知ったものに出会うくらいになってしまったなら。
宇宙のことを、狭いと、思うのではないか……?
ならば、あの会話の話し手は、何者か?
宇宙から見なければ意味がないバーコードで買い物をして。
宇宙のことを狭いと言い放ち。
人間の頭の中に、テレパシーのようなやり方で音を届けることもできる、彼らは。
「宇宙人……」
ぼそり、と呟いてみれば、全身から汗が引いていく。
だけど、歩きながら僕は声に出した。
声に出さなければ、あまりに非現実的すぎて、脳から消えてしまいそうだったから。
「あのバーコードは、地球にいる人間に向けたものじゃなかった。だから、普通の人には見えなかった。なぜか僕は見えたけど、ここではとりあえず考えない」
「あのバーコードの使い道は、地球のスーパーのそれと同じ。商品に貼るラベルだった。……バーコードは、飛行機と人工衛星の間に、意味なく浮いていたんじゃない。そのくらいの高さに、どこかの宇宙人が張り付けたんだ。自分のところの商品だと示すために」
「僕たちが、スイカやリンゴにバーコードを貼るのと同じこと。そして、そのスイカやリンゴの表面に、細菌とか、ウイルスとかがくっついていても、誰も気にせずにスーパーで売っているのと、多分同じこと。……その地球を売った宇宙人は、地球上の存在を無視した。だから、人間とか、他にもいろんな生物が地球上にはいるけれど、それを無視して、地球は売られた。宇宙人相手の、オークションか何かに」
「それが、ちょうど三か月前のこと。あの時、空にバーコードが出現した。正確には、宇宙人がバーコードを張り付けて、地球そのものを売りに出した。あれは、地球という商品に貼られたラベルだったんだ」
「この地球を売りに出した宇宙人が、どういった存在なのかは分からない。もしかすると、人間がまだ知らないだけで、地球の所有者と呼べるような存在だったのかもしれないし、あるいは、拾ったものを別の場所で売るような、宇宙での商売人だったのかもしれない。その宇宙人が、どういう理由でここを売ろうと考えたのか。そのあたりは、何もわからない」
「とにかく、地球は一度、商品として売られた。だけど、誰も買う人はいなかった。三か月の間、ずっと。そうでなければ、僕が買うことはできない。この三か月という時間が、宇宙人たちにとって長いか短いかはわからないけれど、売り出されたことに誰も気が付かない程の短い期間、というわけではないと思う。あの時聞こえた会話では、確かに、誰も買おうとしなかった、という言葉が出ていた。それなりの期間、宇宙人たちが吟味しても、買いたい、と思える星じゃなかったんだ、地球は」
「だけど、宇宙人の中にも物好きはいる。誰も買おうとしなかったこの星を、買ってもいいかな、と思う宇宙人が現れた。宇宙は狭い物、と言い切れるほどの、文明が発達した宇宙人が。多分だけど、二人組でショッピングをしていた彼らは、地球に目をやって、買っておこうか、と思っていた」
「この時、彼らにとって都合よく、セールをやっていた。恐らく、惑星をより安く買うことのできるセールが。これによって、地球の値段は下がっていた。……日本円にして、十円ほどに」
「だけど、彼らは遅かった。たまたまバーコードを見ることが出来た地球人の子供が、同じころに衛星写真をレジにかざしていた。あのバーコードは、何でかわからないけど、写真に残すこともできるし、ちゃんと印刷もされる。向きさえ揃えれば、バーコードリーダーにだって。機械の類であれば、地球の物でも読み込めるんだ。……そして、僕はガムと一緒に代金を支払い、地球という商品を買った。これは、彼らから見ても、正規の手続きを経た、ちゃんとした買い方だった。だから、彼らは地球を買えなくなった」
「そのことで彼らは落胆し、ちょっとお喋りをした。宇宙人たちがどういう手段でコミュニケーションをとるのかは知らない。けど、その方法に、何か不具合が生じたんだろう。あるいは、自分よりも先に商品を買った存在が気になって、彼らは僕のすぐそばに来ていたのかもしれない。それによって、彼らの会話の情報が混線し、僕の脳内に流れ込んできた。それが、あのテレパシーだ」
子どもの頃、一度感じた疑問が、不意に脳裏をよぎった。
人類が、宇宙人に出会う確率。
それは、どのくらいの物なのか。
今なら。
今ならその答えが分かる。
あの時、懐いていた先生の答えに感じた、違和感の正体も。
「子どもの時、先生が言っていた蟻の話。アフリカ大陸に、二匹しかいない蟻の話。僕は、あの答えに納得できなかった。今なら、その理由が分かる。あれは、蟻が両方とも普通の蟻の時、つまり、移動能力だとか、賢さだとか言った条件が、完全に対等な時の話だ。人類と宇宙人では、それが違う」
「仮に、アフリカ大陸に二匹しか蟻がいなくても、一方の蟻が、どんな機械も使いこなせる、ものすごく賢い蟻だったのなら、自分の生きてる世界を、狭いと言えるほどだったのなら、もう一匹の蟻を見付けることは簡単だ。例え、もう一方の蟻が、その場からまともに動いていなかったとしても。それなのに、蟻同士は今まで出会わなかった。人類と宇宙人は、出会ってこなかった。なぜか…………その賢い蟻は、もう一匹の蟻に出会いたくないからだ」
「いや、出会いたくない、というのはおかしいかもしれない。宇宙人は、人類のことをまともに相手にしていない。文字通り、取るに足らない存在なんだ。人類どころか、それを取り囲む環境全てが、宇宙人にとっては大したことがない存在なんだろう。たった十円でも、買いたい、と思えない程に」
「あの十円という値段は、機械の誤作動だとか、ミスだとかじゃない。正しい、妥当な値段なんだ。もしそうじゃなければ、あの愚痴を言っていた宇宙人が、『支払金額が足りない』と言って、不満を述べたはずだ。だけど、彼らはそんなことは言わなかった。本当に、その程度の価値なんだ」
「あの蟻の喩えには、その視点が入っていなかった。いや、無意識に、人間を宇宙人と同じ土俵に上げていた。人間が宇宙に進出しているのと同じくらいに、宇宙人の方も地球に来たがっているし、人間に会いたがっているだろうっていう、思い込みがあった。少なくとも、僕はそう感じた」
「かつての僕にも、今なら教えることが出来る。人類と宇宙人が、出会う確率。そんなもの、断言できる。ゼロパーセントだ。ありえない。相手が、こっちに興味なんて持ってないんだから。さっきだって、会話が一瞬繋がっただけ。僕のことも、相手はもう忘れているだろう」
「そんな星を、僕は買った。ガムよりも、ずっと安く……。今日から、僕が、地球の所有者だ。宇宙人が、十円でもいらないと言う、そんな星の、所有者だ」
「僕は、どうすればいいの?教えてよ、先生。教えてよ、宇宙人……」
「ねえ、教えてよ……」
ふと、いつもの癖で、空を見上げれば。
契約完了を示すようにして、バーコードは消滅していた。
もし、次があるとしたら。
もう一度、空にバーコードが見えるとしたら。
それは、僕がこの星を売りに出した時。
地球を、もう一度、売ってみた時。
その時は、この星は、幾らになるのだろうか。
いや、値など、つくのだろうか…………。