騒動の始まり
「では戻りましょうか。また壁面側を通っていただくのが安全ですよ」
先頭のヒルシュさんの言葉に全員が笑いながら返事をして、また一列になって坂道を上がっていった。
「これ、本当に楽よね。一台幾らぐらいするのかしら?」
リーサさんが自分が乗っているムービングログを見ながらそんな事を呟いてる。
「確かに良いよな。後でヒルシュさんに聞いてみよう」
顔を見合わせて頷き合ってるけど、結構お高いよ、これ。
のんびりと景色を眺めながら坂道を上がっていると、時折トロッコの音が聞こえて悲鳴と笑い声が響く。その度に俺達も笑って、今度はあれに乗りたいだの絶対乗りたくないだのと、毎回飽きもせずにそう言い合っては笑い合っていた。
そんな感じで楽しく地上にかなり近い位置まで上がってきた時、俺は不意に何かの気配を感じた。
それも良い方じゃなくて、鳥肌が立って全身がゾワゾワする感じ。
これは明らかに何かが変だ。
何事かと慌てて周りを見回していると、最後尾にいたファータさんが不思議そうに俺を見ていたけど、その時の俺には構う余裕は無かった。
もう始まったのか?
何処だ?
ここにいて大丈夫なのか?
ここだけじゃない、鉱山内部には観光客達や鉱夫達が山ほど働いてるんだよ。
万一、戦いの余波を受けて崩落や土砂崩れなんかが起きたりしたら被害は甚大だ。
頼むよ賢者の精霊。
皆を守ってくれ!
ベリーに念話で話しかけたつもりだったが、残念ながら返事は無い。もしかしたらもう戦いは始まってて、忙しくてそれどころじゃないのかもしれない。
相変わらずゾワゾワと感じる異変を必死で我慢しつつ、何とか落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をする。
「あの、大丈夫ですか? 具合が悪いなら、少し休んだ方がいいのでは?」
挙動不審の俺を見て、どうやら具合が悪いと思ったらしいファータさんの声に、ヒルシュさんが止まり、当然全員が止まる。
「なんだ、魔獣使いの兄さん、腹でも壊したか? 手洗いならそっちの通路の奥にあるぞ」
振り返ったヒルシュさんの言葉に、俺はなんとか笑って首を振った。
「いや、ちょっと背中が痒かっただけです。お騒がせしてすみません」
態とらしくそう言いながら首元から手を突っ込んで背中をちょっとだけ掻いて見せる。
「ああ、そっちか。防具を着るとなると、どうしても蒸れるからなあ」
苦笑いしたヒルシュさんがそう言い、元軍人のサウスさんと現役軍人のガッシュさんも同じく苦笑いしながら揃って頷いてた。
そっか、俺はサクラがいつも綺麗にしてくれるから全然大丈夫だけど、世間の方はそんな苦労があるのか。
意外な発見に苦笑いしつつ、ヒルシュさんに続いてまたそれぞれのムービングログを稼働させた。
多分一番最初に出て来たと思われる、一番高い位置にある広い場所まで上がって来た。
相変わらず鳥肌は治らないし、背中のゾワゾワ感も消えないけど、なんとか無事に解散出来そうだ。
内心では座り込みたくなるくらいに安堵しつつ。さりげなく周囲を見回していた俺の目はある一点に釘付けになった。
そこには、何かを吊り下げているらしい大きくて太いアームが穴へ向かって張り出すみたいに設置されているんだけど、そのアームの一番先の部分に、突然大きな影が表れて留まったのだ。
カツーン!
妙に甲高い、まるでミスリルを打ち合わせた時みたいな音が響いて、全員が驚いて顔を上げた。
ここは常にあちこちから賑やかな採掘の音はしているし、トロッコの音らしきゴトゴトと響く大きな音もある。
それなのに、全く異質と言ってもいいその不思議な音に、俺達だけじゃなくて、露天掘りの底で作業をしていた鉱夫達までが、揃って不思議そうに手を止めて顔を上げた。
「な、何だよ。あれ!」
ガッシュさんが、アームの先に留まっているそれを指さしたきり固まる。
ヒルシュさんを始め、ここにいる全員がポカンと口を開けて目の前を見つめたまま固まっていた。
そこにいたのは、ベリーよりもはるかに大きくそして貫禄充分の一人の大柄なケンタウルスだった。
ケンタウルスに筋骨隆々って言葉が合うのはどうかわからないけど、どう見ても人の姿の上半身はハスフェル達レベルの超マッチョ。そして下半身部分なのだろう馬の胴体部分も貫禄充分。あれはサラブレッドじゃ無くて、北海道のソリを引く巨大な馬。なんだっけ……ああそうだ。確かばんえい競馬。あれに出てる馬レベルのデカさだよ。
ついでに言うと眼光もハスフェルレベルに鋭い。ベリーでも充分貫禄があると思ってたけど、あれはちょっと別格だね。
俺は頭の中で、現実逃避にそんな事を考えていた。
俺達だけじゃなく、その場にいた全員が呆然とその巨大なケンタウルスを見つめていると、ゆっくりと振り返ったそのケンタウルスは、なんとこちらに向かってにこりと笑って優雅に一礼してみせたのだ。
しかも明らかに俺に向かって。
「な、な、何……」
言葉も無く焦る俺に構わず、顔を上げたそのケンタウルスはゆっくりと口を開いた。
「高所より失礼ながら、世界最強の魔獣使い殿にご挨拶申し上げる。我が同胞が大変世話になっておるとの事、心より感謝申し上げる。そして貴方が成した、かの行いにも、最大限の感謝とそして尊敬を捧げましょう」
朗々と響くその声を聞きながら、俺は顔を覆って声なき悲鳴を上げた。
「では、お返しにもなりませぬが、ちょっとした手慰みをお見せ致しましょう。どうぞお楽しみください」
そう言ってもう一度にっこりと笑って深々と一礼して見せた。
あれ、絶対わざとだ。絶対に楽しんでやってる。
全員の無言の視線の集中攻撃を受けながら、またいつの間にかいなくなってたシャムエル様に向かって必死になって念話で何度も何度も助けを求めていたのだった。
だけど反応ゼロ。
本気で気が遠くなったけど、誰も何も言ってくれない。
一体、この事態を俺にどうしろと?
誰でもいいから助けて〜〜〜!