転移の扉
「さて、今度こそ片付けて出発しよう」
ハスフェルはそう言って、スライムのミストを抱いてシリウスの鞍の前に乗せた。
「この辺りに乗っていられるか?」
「大丈夫だよ! じゃあここにいるね」
鞍のベルトに引っかかるみたいに収まったミストを見て、ハスフェルは笑顔になった。
「スライムなんて、今まで気にした事も無かったけど、改めて見ると妙に可愛いな」
「わかる! 何て言うか……そう、可愛いよな」
俺達は顔を見合わせて頷き合った。
「可愛がってくれよな」
「ああ、ありがとう。大事にするよ」
彼がシリウスに乗ったのを見て、片付けの終わった俺もマックスに飛び乗った。
「そういやお前らは、まだ狩りに行かなくても大丈夫か? 腹、減ってないか?」
ようやく出発したものの、腹が減ってるようなら交代で狩りに行ってもらわないといけない。
早足のマックスにそう尋ねると、顔を上げてちらりと後ろを向いて俺を見た。
「まだ大丈夫ですよ。この辺りは生き物の気配に満ちてますから、狩りは簡単だったんです」
「そうよね。確かに楽だったわ」
ニニも笑って頷いている。上空では、ファルコの甲高い鳴き声も聞こえた。
「そっか、じゃあ大丈夫だな。それじゃあ今日はもうこのまま思いっきり走るか」
俺の声に、一声吠えたマックスが、一気に駆け出す。
「うひゃあ。ちょっと早いって!」
慌てて手綱をしっかりと持ち、少し前屈みになって跨る両足に力を入れて踏ん張った。
ハスフェルは全く遅れずに平然と横を走っている。
腹が立つけど……男の俺が見ても格好良いよ、あれは。
その日は結局夕方まで走り続け、日が暮れる前に適当な場所を見つけてテントを張った。
「目的地の東アポンまでって、やっぱり遠いみたいだな」
夕食の、鶏肉を入れた煮込みシチューの残りを口に入れながら、俺はさっきハスフェルから聞いた話をまとめていた。
今いるところはレスタムから既に800リル、つまり西に800キロも進んだ所らしい。
「こうやって改めて聞くとこの世界は広いな。俺の住んでいた国なんて、今の説明を聞けば、レスタムから東アポンまで行くよりはるかに小さいぞ」
「へえ、そうなのか。異世界はそんなに小さいのか?」
既に食べ終わって、勝手に取り出したワインを飲んでいたハスフェルが、驚いたように顔を上げた。
「いや、俺が住んでいた国は、って意味だよ。小さな島国だったからね。世界には、他にもいくつも国があって、もちろんすごく広い国もあったよ」
「ほう、つまり世界が一つの国では無く、幾つもの国がある訳か」
「そう、だけど……戦争をしている国同士があったりして、決して楽園って訳では無かったな」
そこから俺の世界の話を少ししたが、改めて説明していて何だか悲しくなってきた。
俺のいた世界って、戦いと争いばっかりじゃんか。
「国同士が戦う……この世界では、それは無いな。そもそも、この世界は街単位で自治を行なっているが、元を正せば一つの国だからな」
「それが良いよ。個人間の争いと違って、国同士の争いでは失うものが大き過ぎる」
俺の言葉に、シャムエル様が頷いている。
「物語でなら、いくらでも戦ってもらって結構だけど、現実にはそれは私は許していない。この世界の軍は、治安の維持と、街道の整備と管理が主な仕事だよ」
「平和が一番です! 是非とも、その方向で、これからも進めてください!」
思わず手を合わせてシャムエル様を拝んでおいた。
「何してるの? まあ良いや。ご馳走さま。今日のシチューも美味しかったよ」
小さなお皿に入れてやった適当煮込みシチューだったが、案外気に入ってくれたらしく、固いパンをシチューにひたして大喜びで食べていたよ。
口の周りも両手もシチューまみれになっていたけど、自分で浄化出来るらしいから、放っておいたよ。
食べ終わった俺も、ハスフェルからワインをもらって飲んでいると、同じく盃に入れたワインを飲んでいたシャムエル様が不意に顔を上げた。
「ねえ、思ったんだけど、彼にも転移の扉を使わせてあげない?」
「ああ、お前が良いと思うんなら、良いんじゃないか? それは、俺が何か言うような事じゃ無いだろう?」
「転移の扉?」
何か、聞き逃せない言葉を聞いたぞ。
もしかしてRPGとかで出てくる、お約束の長距離移動を楽にする奥の手。ワープする扉か?
目を輝かせる俺に、頷いたシャムエル様は盃を置いて机を叩いた。
「ケンにあげた、世界地図を出してくれる」
「ああ、ちょっと待って」
頷いた俺は、鞄から畳んだ地図を取り出し、コップを端へどけて真ん中に広げた。
「ええとね、ここでしょう。それからここと、ここ、それから……」
突然出て来た赤いペンを手に、シャムエル様は地図のあちこちに赤い星マークをつけてまわった。それから、その横に数字も書いていく。星マークは全部で25個あった。
「これで良しっと。ケンには第二の目を解放しているから、現地へ行けば扉が見えるからね」
「で、つまり……これがその、転移の扉の場所って事か?」
地図に書き込まれた星マークは、文字通り世界中に散らばっている。そして、だいたい大きな街の近くにある。
「扉があるのは、岩山の真ん中だったり、深い森の中だったりするからね。普通の人は、そもそも近寄る事も出来ないよ。街の近くでも、全て目につかないところにあるから、出て街道に合流すれば良いよ」
しばらく地図を見つめていて納得した。
つまりこれは、恐らくだが、シャムエル様が緊急時にハスフェルを呼び出した時、彼が何処にいてもすぐに来てくれるように、作ったものなのだろう。
「つまり、これを使えば、東アポンへ行くのも、遥か遠いドワーフの工房都市へ行くのも簡単だって事か?」
「まあ、簡単だね。中に入って指定の番号の扉を開けば、もうそこがその扉の場所だもん」
おお、それってまさしく某有名RPGの旅の扉じゃん……。
「ええと、それって何処かと何処かが繋がってるんじゃ無く、一つの扉から何処へでも行けるって事?」
「基本的にそうだよ。あ、この4つは、私が許可しないと開かないようになっているから、行っても開かないよ」
シャムエル様が指差すその4つとは、地図の右下にある影切り山脈の中にある1番と2番、そして左上部の山岳地帯の中にある22番と23番だった。
「1番と2番は、知っての通り樹海の中だから理由はわかるよね。まあはっきり言うと、迂闊に立ち入ると一巻の終わりって事。それと同じで、22番と23番もすごく危険な山岳地帯なんだよね」
「うわあ、それは絶対行かない!」
目の前でばつ印を作る俺を見て、ハスフェルは笑っている。
いいんだ、俺は気楽にこの世界を楽しむって決めてるんだからさ。せっかく戦争の無い平和な世界に来たんだから、こうなったら楽して世界中見て回ってやる!
「ただし、この扉を使えるのは、君と君の従魔達だけだからね。誰か第三者が一緒だと、そもそも扉は開かないよ」
「了解、勝手に他の人を連れては通れないって事だな」
「そう、それだけは守ってね。この存在を他言する事も駄目」
「分かった、絶対口外しないよ」
頷きながら改めて地図を見る。
どうなんだろう。行けるのなら、ドワーフの工房都市にこのまま行きたい気がする。
「あ、ちょっと聞くけど、遠くの街の人と連絡を取り合う手段って何かあるのか?」
「遠くの人と? 手紙のやり取りと、後は風の術で遠話と呼ばれる方法がある。だが、遠話は誰でも出来る方法じゃ無い」
「それってつまり、風の術を使える奴限定って事か」
「そう言う事。まあ、使えるのはギルドマスターとか、大きな商人とか、貴族や王族くらいだね。一般の人は、そもそもそんな術の存在も知らないと思うよ」
納得した俺は、もう一度地図を見る。
「駄目じゃん。絶対、レスタムのギルドマスターが、俺の事を他のギルドに知らせているだろう? 次に東アポンへ行くって言ってたのを聞いてるから、連絡されてたらまずく無いか?」
しかし、それにハスフェルは笑って首を振った。
「冒険者は基本的に全てが自己責任で自由だよ。いつ、何処へ行こうが、どうやって移動したかまで気にする奴はいないよ。実際、お前は空を飛べる従魔を従えているんだから、空を飛んで行けばマックスに乗るより、ずっと早く世界を移動出来るぞ」
俺は、椅子の背に留まっているファルコを見た。
「いつでも乗せますよ。ここにいる全員くらいなら、問題無く乗せられますから」
平然と言われて、何だかマックスに乗せてもらって、延々と地上を走っていたのが申し訳なくなってきた。
「じゃあ、まずはこの4番の扉へ行って、東アポンの横にある24番の扉に出てみるよ。ってか、近い扉なのに、番号が離れてるんだな」
「あ、それは開けた順番に付けただけだから、番号に意味は無いよ」
成る程、作った順に番号を振った訳か。
「じゃあ、まずはアポンへ行って、その後バイゼンだな。ヘラクレスオオカブトの剣を作ってもらうんだろう?」
「ああ、それじゃあ行き先も決定した事だしもう休むか」
残りのワインを飲み干すと、俺は立ち上がって大きく伸びをした。
「ご馳走さん。今日の飯も美味かったよ」
立ち上がったハスフェルが、そう言って手を上げてテントを出て行った。
机の上を片付けて、机と椅子も片付けたら、防具を脱いで、サクラに綺麗にしてもらったら寝る準備は完了だ。
「では、今夜もよろしくお願いします!」
転がるニニの腹毛に潜り込み、マックスがその横に来る。ラパンとタロンが俺の後ろと前に収まると、幸せパラダイス空間の出来上がりだ。
「おやすみ、明日もよろしくな」
もふもふの腹毛を撫でながらそう言って、俺は気持ち良く目を閉じたのだった。