ミストの引き渡し
「ごちそうさん。美味かったよ。それじゃあ、片付けたら出発するか」
砂糖のついた手を払いながら、ハスフェルがそう言って立ち上がる。
俺はサクラに汚れた手を綺麗にしてもらいながら、思い出してさっきテイムしたミストを振り返った。
「なあハスフェル。スライムが欲しいって言っていたろう。見つけたから一匹テイムしておいたんだけど、今渡してもいいか」
「ああ、ありがたい。じゃあ丁度いい。シャムエル、浄化の能力を授けてやってくれ」
その言葉に、汚れた手を自分で綺麗にして、せっせと尻尾の手入れをしていたシャムエル様は顔を上げた。
「ええ、私がやるの? 自分でやればいいのに」
すると、呆れたようにため息を吐いたハスフェルは、指先でシャムエル様を突っついた。
「あのな、お前は忘れているみたいだから言っておくけれど、今の俺はあくまで、人、なんだぞ。そんな無茶を俺に求めるな」
「あはは。確かにそう言えばそんな事言っていたね。すっかり忘れていたよ。わかった。じゃあ私が付与してあげよう」
そう言って笑ったシャムエル様は、俺の肩から不意に消えて、ミストの横に現れた。
「他に、何か欲しい能力ってある?」
顔を上げたシャムエル様に、ハスフェルは首を振った。
「いや、特に不自由はしていないよ。浄化の能力があれば旅は格段に楽になるからな。それで頼む」
「了解。それじゃあやるね」
そう言うと、ミストの額の俺の紋章があるところをちっこい手で押さえた。
「収納と浄化の能力を付与する。主人に尽くせ」
おお、出ました。神様っぽい声だ。
一瞬光ったミストは、ぴょこんと跳ねて、何か言いたげにこっちを見た。
「ミスト。彼が、さっき言っていたお前のご主人になる人だよ」
地面にいたミストをそっと抱き上げて、頭を撫でてから彼に手渡してやる
「ほら、名前はミストだ、可愛がってくれよな」
ミストは伸び上がって俺を見て、それから反対を向いて自分を抱いている彼を見た。
「新しいご主人?」
「ああ、よろしくな、ミスト。俺はハスフェルダイルキッシュ。ハスフェルって呼ばれている」
「はーい、よろしくです。新しいご主人!」
嬉しそうなその声に、ハスフェルも笑顔になった。
「いいな、この手触り、癖になりそうだ」
笑ったハスフェルは、その大きな手で、バスケットボールサイズのミストをおにぎりみたいにして握っていた。
まあ、気持ちは分かる。スライムの手触りは確かに気持ち良いもんな。
ミストは、アクアやサクラと同じく透明だが少し緑色っぽい色をしている。サクラが透明だけどピンクなのと同じで色付きの透明スライムだ。
「なんだ、結局収納の能力まで付けてくれたのかよ」
紋章の辺りを撫でながら、ハスフェルが笑っている。
「だって、彼がジェムモンスター狩りをしている時に、転がったジェムを拾ってくれるのを見ていると、すごく助かるなって思ったからさ」
「確かにそうだな。一々拾う手間が省ける」
「そうでしょう。私はもう、あれを全部拾うのがどれだけ大変だった事か。途中からクックロビン達に頼んで手伝ってもらったよ」
本気で嫌そうにそう言うシャムエル様を見て、俺は思わず考えた。
「なあ、今の話って……もしかしてアレか? ブラウングラスホッパーの時?」
すると、俺の質問にシャムエル様は、思いっきり大きく全身で頷き、更にぴょんぴょん飛び跳ねた。
「いくら収納の能力があってもさ! 拾うのは自分でやらなきゃいけないわけで、もう本当に大変だったんだよ! 途中で、本気で嫌になって帰りたくなったんだけどさ、ジェムを放っておいたらまた大発生だからね。泣く泣くまた拾い集めて、途中で思いついて、クックロビン達に手伝ってもらってやっと終わったんだよ」
「クックロビンって?」
目を瞬かせる俺に。シャムエル様は顔を上げた。
「あれ? 知らない? ええと、君の世界で言うと……コマドリって言う鳥だよ。これはこの世界では普通の鳥なんだけど、神の使いの鳥とも呼ばれていてね。まあ、私が気に入ってる子達なんだ。だから、クックロビンは実際の私の姿や声は聞こえないけど、天からの声として言葉を届ける事が出来るんだ。今回は、翼を持つあの子達に散らばったジェムを集めてもらうように頼んで、それで集まったジェムを私がひたすら収納して回ったわけ」
あれだけの数、確かに一人で拾い集めていたら何日あっても終わらなさそうだ。思わず遠い目になった俺は、右肩に戻ったシャムエル様のふかふかの尻尾を突っついた。
「それはご苦労様。まあ、あんな事はそうそう起こらないだろうけど、確かにスライムが収納の能力を持っていると便利だぞ。拾ったジェムは、数も数えて管理してくれるからさ」
俺の言葉に、ハスフェルは笑っている。
「実は、あの程度の事は、世界規模だとわりと頻繁に起こっていたりするんだ。まあ、毎回全てに俺達が出るわけじゃないけど、災害はいつ起こるか分からないからな、用心するに越したことはない。その為に、俺達は互いにいざという時には何処にいても声を届けられる」
二人が揃って頷き合っているのを見て、俺はふと思った事を質問した。
「なあ、ちょっと気になってたんだけど、あのブラウングラスホッパーの大繁殖の時、二人はお互いに呼ぼうとしたのに、相手が応えなかったって言っていたよな。あれってどうしてなんだ?」
俺の質問に、二人はまたしても揃って嫌な顔になった。
「あれはね、なんて言うかタイミングが悪すぎたんだよね」
「最初に大繁殖の兆候に気付いた俺がシャムエルを呼んだ時、こいつはお前さんの世話に夢中になってて、俺の声が聞こえていなかったんだ」
「シャムエル様……いくらなんでも、緊急連絡には応えないと」
「うん、ごめんなさい。色々楽しすぎてちょっと夢中になりすぎてました。でも、ハスフェルが応えてくれなかったのはどうして?」
シャムエル様は自分だけが責められるのは嫌だとばかりに、顔を上げて彼を見た。
「あのな、火竜が寝床の火山から出ようとしていたんだ。火山も完全に火が絶えて寒すぎたらしい。だが、奴が火山から出てくれば、付近の土地に住む人間達にすれば本気で天災よりも怖いからな。それで必死になって大人しくしていろと言い聞かせていたんだ。だが、聞かないもんだから、最後は腕尽くで止めたんだよ。翼を叩き折ってやったから、しばらくは大人しくしているだろう。剥がれた鱗を何枚か取ってきたからな。工房都市へ行ったら売り払う予定だ」
「うわあ、火竜の相手をしてくれていたの。それは無理だね。ごめん。今回は私が悪かったね。もうちょっと全体に気を配るようにするよ」
おお、すげえ。神様なのに素直に自分の非を認めた。
ちょっと感動していると、シャムエル様は情けなさそうに顔を上げた。
「だって、自分の非を認めない奴なんて、ケンは友達になりたいと思う?」
「絶対嫌だ。仕事とかで付き合わなければ駄目だとしても、出来る限り最低限の付き合いにするな」
「でしょう? 私にとっては、彼は自由に話せる貴重な友人だからね。そりゃあ大事にするよ」
確かに、立場が違うとはいえ、自分の姿が見えない人たちの中で感じる孤独は、そりゃあすごいだろう。
「じゃあ、もしかして……俺の事も大事にしてくれて……るな。うん、ありがとう」
俺の事は?って言って、からかおうとしたが、どう考えても依怙贔屓されまくってる自覚しかないので、笑って誤魔化した。
「改めて、これからもよろしくな」
俺の言葉に、シャムエル様も笑って大きく頷いた。
「うん、ケンが作ってくれる食事はどれも美味しいよね。楽しみにしてるよ」
「はいはい。大したものは出来ないけど、まあ好きなだけ食ってくれよな」
笑って尻尾を突っついてやった。
ああ、この手触り……最高かよ。
思わず両手で尻尾を握ってもふもふな手触りを堪能した。
「だから、私の大切な部分を突っついて揉むんじゃありません!」
叫んだシャムエル様の声が聞こえた直後、俺は思いっきり空気に叩かれて悲鳴を上げたのだった。