謎の現象と黒い粉末
「もうかなり奥まで来た気がするけど、その目的の場所ってまだ遠いのか?」
多分二時間以上は走り続けてると思うんだけど、まだマックス達の足は止まらない。
「あと二つほど森を超えた先だよ。着いたら先に飯を食って、それから狩りの開始かな」
「そうだな。じゃあ着いたら適当に出すからな」
「ああ、よろしく。近くに水場があるから、ケンはそこで料理でもしててくれ」
笑ったギイの言葉に、ハスフェルとオンハルトの爺さんが揃って吹き出す。
「まあ、誰でも苦手なものの一つや二つくらいあるよね」
「そうだよ。これはもうどうしようもないんだから諦めてくれ」
マックスの頭に座ったシャムエル様にまでそんな事を言われてしまい、俺はもう開き直ってそう言って一緒になって笑っていたのだった。
のんびりとそんな話しながら走っていた俺達は、ちょうど草原の中に突き出していた大きな岩の上から辺りの景色を見下ろしたところで揃って絶句した。
見えた景色は、それくらいに有り得ない光景だったんだよ。
この辺りはそこそこの大きさの森が点在しているだけで、森と森の間は平な草原地帯が広がってるだけのなだらかな場所だ。
多少の高低差はあるが特に大きな段差や裂け目も無く、今駆け上がった大岩がこの辺りでは一番高い場所になってる。
場所の確認のためだと聞き、せっかくだから高いところから景色を見たいと思って一緒に上がって来た俺だったけど、そのおかげでこのとんでもない景色をまともに真横から見る羽目になってしまった。
「なあ、これ……一体、何が起こったんだ……?」
大岩の上に揃って並んだっきり、目の前の光景に目を奪われて言葉もない一同。
しばらくして恐る恐る尋ねた俺の声にようやく金縛りが解けたみたいで、三人は一斉に口元を覆ってうめくような声を上げて考え込んでしまった。
「これは一体何事だ?」
「わからん、俺はこんなのは初めて見た」
ハスフェルとギイの二人がそう言ったきり、また無言になって眼下の光景を見下ろす。
そこは、おそらく元は一面緑の草原が広がっていたのだろう。しかし、その真ん中あたりに巨大なクレーター状の大穴がぽっかりと口を開いていて、辺り一面は真っ黒になっているのだ。
その黒いシミのようなものは、クレーターの縁から一部があふれ出して周囲の草原に広がっている。
そしてそこもまた墨を塗りたくったように真っ黒になっていて、なんとも気味の悪い事になっているのだ。
どうやらこの謎の事態に従魔達も戸惑っているみたいだ。
何匹かは大岩に一緒に上がって来ていたが、今は全員が大岩から降りて大岩の周りに集まって周囲を警戒してくれている。
だけどこれは逆に言えば、のんびり景色を見てるんじゃなくて周囲を警戒した方がいいと、あいつらが判断したって事だよな。
「ええと、どうする……?」
ちょっと冗談抜きで気味が悪すぎるので、何が起こっているのか確認した方がいい気もする。だけど、あれには近寄らない方が良いような気もする。何と言うか、危険な感じがする。
「ねえマックス。周囲に充分注意しながら、あの黒いのに近寄ってくれる?」
マックスの頭に乗っていたシャムエル様の突然の言葉に俺は驚いて目を見開く。
いつもの神様バージョンの声じゃないから、まだ大丈夫だとは思うけど、シャムエル様が俺を飛び越えて直接マックスにそんな事を言うのって、多分初めての事だ。
ハスフェル達も一気に真剣な顔になる。
結局、逃げるタイミングを逸してしまい、俺は大岩を降りたハスフェル達と一緒にゆっくりと問題の真っ黒なクレーターに近付いて行った。
「ううん、この真っ黒いのは何だ? 上から見ると液体かと思ってたけど、近くで見ると粉末だな。しかも小麦粉レベルに細かい。本当に何なんだよ。これ」
さすがに無警戒に地面に降りるのは怖いので、マックスの背の上から下を見下ろしてそう呟く。
もう少し近寄ると、風で舞い上がった黒い粉末が動く様が妙に生き物っぽく見えてちょっと不気味だ。
その時、いきなりハスフェルが声を上げた。
「まずい、これはまずいぞおい!」
突然の大声に何事かと慌てて振り返ると、何とハスフェルはシリウスの背から地上に降りていて、例の黒い粉末を手に取って見ていたのだ。
「おいおい、無茶するなよ。何か有害物質だったらどうするんだ。こんな粉末吸い込んだりしたら最悪だぞ」
自分で言って怖くなってきた。この黒い粉末が万一毒物だったら……ここにいる時点で俺達既に全滅じゃね?
しかし、ハスフェルは持っていた黒い粉末をギイに見せて何やら早口で話を始めてしまった。
「なあ、一体何がまずいんだよ」
だんだん怖くなって来て、マックスの頭の上に座ったきり動かないシャムエル様に恐る恐る話しかける。
「なあ、返事してくれよ。一体何が起こってこんな事になってるんだよ」
黙っていられると本当に怖くなってきてしまい、ゆっくりと手を伸ばしていつもよりも萎んで小さくなっている尻尾をそっと突いた。
「ちょっと待って、今確認してるんだから」
「あ、すみません」
短くそう言った切りまた動かなくなったシャムエル様に思わず謝る。
気がつけばハスフェルとギイも話が終わったみたいで、それぞれ真剣な顔でこっちを見つめている。
オンハルトの爺さんは、例の真っ黒なコロニーの方を見つめたまま、シャムエル様と同じで全く微動だにしない。恐らくだけど、何らかの方法であのコロニーを調べてくれているのだろう。
吸い込まれそうな真っ黒の粉末が飛び散る草原で、俺達は途方に暮れて、動かないシャムエル様を黙って見つめている事しか出来ないのだった。