夕食と神様の務め
レスタムの街を出た俺達は、問題のユースティル商会を泥の中に叩き落として、意気揚々と西へ向かってマックスとシリウスを走らせていた。
かなりのスピードで駆けている二匹に、ニニもぴったりとついてくる。
ファルコはのんびりと上空を旋回しつつ、時折気まぐれに俺の肩に戻ってくるし、他の従魔達もマックスとニニの背中の定位置に乗ってご機嫌だった。
「あれで諦めるかな?」
「まあ大丈夫だろう。後で手は打っておくから心配するな。俺達はこのままチェスターには寄らずに、言っていたようにアポンまで向かう。この世界の大河ダリア川から分かれた、これも大きなゴウル川沿いにある街で、川を挟んで東アポン、西アポンと二つに分かれているんだ。各街の距離だが、レスタムからチェスターまでが、普通に街道を行けば馬で四十日程度だ。距離にすれば、二千リル弱って所だな。東アポンまでも、大体同じくらいだ」
「って事は、レスタムから東アポンまで八十日目!三ヶ月弱かよ。はあ、やっぱりかなり広い世界なんだな」
感心する俺に、ハスフェルは笑っている。
「それはあくまで、街道を馬で行った時だ。俺達は、邪魔する者のいない草原を突っ切って従魔を好きに走らせているからな。それよりもっと早いぞ」
「一日でどれくらい走れるんだ? 無理はするなよ」
マックスに話しかけると、マックスはちょっと首を傾げた。
「人の単位は私にはよく分かりません。どれくらいと言われても、息が続く限り走れますよ。としか言えませんね」
「いやいや、そんな無理しなくて良いって。じゃあこうしよう。太陽の出ているうちは西へ向かって走ってもらって、太陽が沈む夕方には安全な場所を探して野営にしよう。それで、交代で食事に行って貰えば良いだろう? 行けるようなら走っている時に、交代で行ってもらっても良いぞ」
昼過ぎにレスタムの街を出て、ユースティル商会とのあれこれで、少し時間を取られたため、そろそろ太陽が傾き始める時間だ。
「じゃあ、近くに気配があるから先に狩りに行くわね」
スライム二匹がポーンと跳ねてこっちへ飛んで来た。タロンを乗せたまま、ニニは離れていってしまった。上空のファルコも、一声鳴いて、そのまま飛び去っていった。
「ああ、タロンがそのまま一緒だけど良かったのかな?」
慌てた俺の言葉に、右肩に座っていたシャムエル様が呆れたように頬を叩いた。
「忘れてるみたいだけど、タロンはケット・シーだからね。そこらの猫と一緒にしちゃ駄目だよ」
「あはは、いやだなあ。忘れるわけ無いだろうが」
誤魔化すように笑って首を振る。
ちょっと、タロンがケット・シーだって事を忘れて普通の猫みたいに思っていたのは……内緒にしておこう、うん。
そのまま走り続け、大きな雑木林の近くで止まった。
「この辺りなら、どこでテントを張っても大丈夫だぞ」
振り返ったハスフェルにそう言われて、俺はマックスから飛び降りて地面を確認した。
草地の割には硬くてしっかりしているし、全体に平らだ。これならテントを張っても大丈夫そうだ。
サクラに順番に色々と取り出してもらって、まずは手早くランタンに火を入れて机に置き、大きい方のテントを張る。
それから、机と椅子を組み立てて置けば完成だ。
机の上に、調理道具を取り出しながら、今夜のメニューを考える。
うん、今夜は肉を焼こう。
分厚いステーキ用の肉を二枚取り出し、軽く叩いてからまな板の上でスパイスをしっかりと振る。
「付け合わせは、サラダと茹でた芋。後は何にしようかな……あ、このブロッコリーみたいなのが美味かったな、これもつけよう。あとは、パンと簡単スープがあれば、良いかな?」
取り出したお皿に、手早くサラダと茹でた芋、それからブロッコリーもどきを並べておく。
簡単スープは二人分を小鍋にとって弱火にかけておく。
「さあ、肉を焼くぞ!」
強力火力になったコンロを取り出し、軽くオリーブオイルを入れて強火にかける。そして肉投入!
まずは両面をしっかり焼いて、それから弱火にして大きなお皿で蓋をしておく。その間に、温まったスープをお椀に入れて並べる。
「そろそろ出来るぞ」
テントの外で空を見ていたハスフェルに声を掛け、フライパンの肉の焼け具合を見る。
「おお、表面こんがり、中はレア。良い感じに焼きあがったぞ」
油の焼ける良い匂いに大きく息を吸い込み、焼けた肉を皿に盛りつけた。
フライパンに残った油に、バターを一欠片。それから……。
「あ、なあハスフェル。赤ワインってあるか?」
「あるぞ。飲むか?」
「もちろん飲みたいけど、少しソースを作るからもらって良いか?」
「ほら、これを使え」
栓を抜いた瓶を渡してくれたので、熱した油の中に回し入れる。
一気に沸き立ち、しばらくすると静かになった。
「ん、おいしいソースになった。じゃあ食べよう」
肉に即席赤ワインソースをかけてから、自分も席に着いた。
「あ、これ返すよ」
残りの赤ワインを返すと、代わりにグラスを渡され赤ワインを注がれた。彼にも注いでやり、俺たちは笑って乾杯した。
「あ、じ、み! あ、じ、み!」
いつものように机に座ってちっこい手を伸ばすシャムエル様には、俺は小さな皿をサクラに出してもらって、いつものようにそれぞれ少しずつ切り分けて並べてやった。肉は、赤身の柔らかそうなところだ。
今日のパンは、硬いフランスパンみたいなのだから、皮のところと真ん中の柔らかいところの両方が食べられるように薄めに切って半分に切って盛り付けてやった。
赤ワインも小さな盃に入れてやる。
「わ〜い! すっごい豪華!」
目を輝かせるシャムエル様を見て、俺達も笑顔になった。
大満足の食事を終えて、なんとなく赤ワインを飲みながらのんびりしていると、不意にシャムエル様が顔を上げた。
「ああ、ちょっと席を外すね」
盃に残っていた赤ワインを一気に飲むと、最後のブロッコリーもどきを一口で食べてしまった。
「朝には戻るよ」
そう言って手を振ると、そのまま消えてしまった。
「なんだ? ずいぶんと慌てていたな」
散らかった小さな食器を片付けながら俺がそう言うと、ハスフェルは笑って首を振った。
「まあ、あれでも一応この世界の創造主だからな。色々とやらなきゃならない事があるんだ。気にするな。ああ見えて奴は優秀だからな」
「大雑把だけどね」
俺の突っ込みに、彼は飲みかけていた赤ワインを盛大に噴き出した。
「うわあ! 何するんですか!」
いつぞやの、スープを吹いた俺のように、ハスフェルが噴き出した赤ワインは、寝ていたマックスとシリウスに見事に降り注いだ。二匹の抗議の悲鳴が響く。そして、それを見た俺も堪えきれずに吹き出した。幸い、俺は何も飲んでなかったから大事には至ってない。
「お前、人が飲んでる時に笑わせるな!」
「ええ、本当の事言って文句言われるって、納得出来ないぞ!」
俺の抗議に、ハスフェルはもう一度堪える間も無く吹き出したのだった。
「まあ、大雑把であることは否定しないな」
大真面目に頷く彼を見て、俺ももう一度、盛大に吹き出した。
赤ワインまみれになったマックスとシリウスは、アクアとサクラがあっと言う間に綺麗にしてくれた。
「ふむ、スライムとは便利なものだな。よし、やっぱり明日にでも頼んで、一匹テイムして貰おう」
ハスフェルは小さく呟くと俺を見た。
「なあ、明日にでも、スライムを一匹テイムして欲しい。そして俺に譲ってくれ。浄化の能力は確かに便利だな」
「分かったよ。じゃあまずはスライムを見つけないとな」
笑って頷く俺に、ハスフェルも笑って頷いた。
その直後、不意に真面目な顔になり空中を見上げた。
「ああ、そうきたか。仕方ない。俺も行ってやろう」
何事かと驚く俺を振り返ると、ハスフェルは立ち上がった。
「美味い飯をご馳走さん。すまないがちょっと野暮用だ。明日の朝までに戻らなかったら、構わないから出発してくれ。シリウスは置いていくから一緒に連れて行ってやってくれ」
それだけ言うと、彼はシリウスの首に抱きつき、何か小さな声で話をしていた。
「分かりました。お気をつけて」
シリウスがそう言うと、彼は頷いて、俺に手をあげると、そのままテントを出て行ってしまったのだ。
今は、周りの幕は下ろしているが縛ってはいない。
彼の足が見えていたのに、それが一瞬にして掻き消えたのだ。
「ええ、どこ行ったんだよ!」
驚いて立ち上がり外へ駆け出したが、もうハスフェルの姿は何処にも見えなかった。