新たなる魔獣使いへの紋章の付与
「遅いですねえ」
「そうですねえ」
アーケル君の言葉に、ランドルさんが返事をする。
ちなみにさっきアーケル君が全く同じ呟きをした時はクーヘンが全く同じ返事をしていたし、その前はリナさんがこちらも全く同じ返事を返していた。
神官長がアーケル君の紋章を描いた紙を持っていなくなってからずっと、俺達はこの部屋で何の音沙汰もないままに放置プレイ状態なのだ。
夕食がまだなのだというクーヘンも当然一緒に巻き込み待機中で、緊張のあまり若干不安定になってるアーケル君は、さっきから延々と同じつぶやきを繰り返している。
いっその事、今のうちに持っている作り置きを出してここで食事にしようかとも思ったんだけど、神官長がいつ帰って来るか分からないので勝手に散らかして食べるわけにもいかず、俺達はどうにも間がもたない時間を過ごしていた。
「ねえ、クーヘンが紋章を授けてもらった時ってどんな風だったんですか?」
しばらくして、小さな諦めのため息を吐いたアーケル君が、隣に座っていたクーヘンに気分を変えるように明るい声で尋ねる。
当然、その声は部屋にいる全員に聞こえていて俺は思わず顔を上げた。ランドルさんとリナさんも何か言いたげに顔を上げてアーケル君を見ている。
その魔獣使い全員の視線に気付いたクーヘンは、にんまりと笑ってからアーケル君に向き直った。
「いやあ、懐かしい。自分が紋章を授かった日の事は、つい昨日の事のように思い出せますよ。あれは本当に衝撃だった」
「確かにあれは衝撃だった」
クーヘンの言葉に同意するように大きく頷きながらランドルさんがしみじみとそう呟き、両方知ってる俺はとうとう堪えきれずに吹き出してしまう。
「ええ、それってどう言う意味ですか? 衝撃? しかも、どうしてケンさんは笑ってるんですか?」
驚くアーケル君に、しかし全員気持ちは同じらしく誰も何も言わない。
「懐かしいねえ。確かにすごい衝撃だったねえ。私もあの時は、女の子みたいな悲鳴を上げたんだっけ」
「はあ? 母さんが、女の子みたいな悲鳴だって?」
「はあ? お前が女の子みたいな悲鳴を上げるって、それってどう言う状況だよ!」
ものすごい勢いでアーケル君とアルデアさんが揃って叫びながら振り返る。
母親と自分の奥さんに向かってその態度はどうかと思うが、まあ確かに彼女が女の子みたいな悲鳴を上げる状況なんて……うん、これ以上のコメントは俺は差し控えさせていただこう。
「そうだよ。いやあ懐かしい。当時の冒険者仲間達には、終わってから散々揶揄われたんだっけ」
旦那と息子の驚愕の視線を受けても笑って平然とそんな事を言うリナさん。何かを悟ったらしいアルデアさんは苦笑いしてそれ以上何も聞かず、アーケル君は思いっきり不審そうな目でリナさんを見ていた。
「ランドルさんは? ランドルさんはどうだったんですか?」
俺と同じく、口元を押さえて笑っていたランドルさんは、アーケル君にそう聞かれてまた吹き出す。
「俺の時はねえ、うん、ちょっと悲鳴を上げた……かな?」
誤魔化すようにそう言って、チラリと横目で俺を見る。
「あはは、そうだったなあ。確かにちょっと悲鳴を上げてたっけ」
あれがちょっとかどうかは甚だ疑問だが、まあ本人がちょっとだと言うのならちょっとなのだろう。
棒読みの俺の言葉に、ハスフェル達が吹き出して大笑いになってる。
「ああ、気になる! 一体何をするって言うんですか!」
足をジタバタさせながらアーケル君が叫ぶ。
そりゃあこれだけの情報を聞かされても実際に何をするのか一切聞かされていないわけだから、気になるのは当然だろう。
事情を知る魔獣使い同士、無言で目を見交わし頷き合う。
「じゃあこれだけは教えておくよ」
少し改まった俺の声に、アーケル君が慌てて居住まいを正すのを見て皆笑顔になる。
「きっと一生忘れられない儀式になるよ。立ち会える俺達も楽しみだ。そしてこれだけは言っておく」
わざと言葉を区切ると、何事かと言わんばかりに身を乗り出してくる。
「何があっても絶対に安全だよ。絶対に大丈夫だから、安心して儀式に臨むといいよ」
俺の言葉に、魔獣使い全員が揃って大きく頷く。
「何があっても絶対に安全で、絶対に大丈夫……?」
もの凄く不審そうに俺の言葉を繰り返すアーケル君に、またしても全員が頷く。
どうやら、まだ一緒に残ってくれているアルバンさんやエルさんも魔獣使いの紋章の授与については知らないらしく、アーケル君と同じく不思議そうに俺達を見ている。
こっそり教えてやろうかと思ったその時、若干疲れた様子の神官長が戻って来て話はそこまでになった。
「大変お待たせをいたしました。それではただ今より魔獣使いの紋章を授けさせていただきます。皆様方は立ち合いという事でよろしいでしょうか」
揃って頷く俺達を見て笑顔で頷いた神官長は、持ってきたトレーに置かれた例のハンコもどきを近くにあった机の上に置いた。
アーケル君が慌てて神官長の前へ行き、用意された椅子に座る。
若干椅子に座る動きがぎこちないのは、相当緊張しているからなのだろう。
「どちらの手にしますか? 通常は右手にいたしますが?」
「は、はい。じゃあ右手にお願いします」
神官長にそう聞かれて、アーケル君は慌てたようにそう言って右手の手袋を外して差し出す。
「では、刻ませていただきます」
軽く咳払いをして笑顔でそう言った神官長は、大きく息を吸ってから部屋中にひびき渡るような朗々とした声で宣言した。
「多数の従魔をテイムしたテイマーであるアーケルをここに魔獣使いとして認め、神殿より彼の紋章を授けます」
お決まりの言葉を言い終えた神官長は、差し出されたアーケル君の右手を掴むとトレーから取り出した例のハンコもどきを右手のひらに押し付けるようにして埋め込み始めた。
「はあ〜〜? ちょっ、何するんですか〜〜〜〜!」
衝撃の光景を目にして焦ったアーケル君の悲鳴が聞こえ、黙って見ていた俺達が全員揃って吹き出す。
「いやいやいや! ちょっと待って! 何やってるんですか〜〜〜〜! いや〜〜〜〜〜〜〜待って〜〜〜〜!」
めちゃめちゃ焦るアーケル君の叫びにも構わず、どんどん手のひらにめり込んでいくハンコもどき。
「ひょええ〜〜〜〜! やめて〜〜〜〜〜! 俺の、手が、手が〜〜〜〜〜〜〜!」
どうやらアーケル君は、ランドルさんタイプだったらしい。
必死になって叫びつつも逃げようとしているが、相変わらずの力でがっしりと右手を確保して微動だにしない神官長。これもよく考えたらすごいよなあ。冒険者相手に片手で確保するって。
「やめて、やめて、やめて〜〜〜〜何、するん、です、か〜〜〜〜〜!」
最後は叫びすぎて息が切れてるアーケル君の叫びに、もう俺達は大爆笑だ。
「大丈夫だから安心しろって!」
笑いながらのリナさんの慰めなど、アーケル君の耳には全く届いていない。
「いや〜〜〜〜俺の手が〜〜〜〜〜〜〜〜あ、あれ?」
唐突に止んだ悲鳴に、俺達の笑いも収まる。
どうやら紋章の付与が終わったみたいだ。
そこには笑顔で手を離す神官長と、呆然と自分の右手を見て立ち尽くすアーケル君の姿があった。
「おめでとう魔獣使い!」
笑った俺の声に、壊れたおもちゃみたいに音を立てそうなくらいのぎこちなさでこちらを向いたアーケル君は、そのまま座っていた椅子から立ち上がろうとして果たせず、そのまま転がり落ちて気絶してしまったのだった。