二日酔いの朝
「うう……水、水……」
いつものように、もふもふパラダイス空間で眠りについた俺は、翌朝、酷い頭痛と喉の渇きに目を覚ました。
「ご主人、大丈夫? はい、お水どうぞ」
心配して目の前へ来てくれたサクラが、鞄を開いていつもの水筒を取り出して渡してくれる。
「ああ、ありがとうな」
何とか起き上がった俺は、受け取った水筒の水を一気に飲んだ。
「美味い!」
思わず叫んだ程に、冷たい水はとても美味かった。まるで、乾いた身体中に水が染みていくのが分かるみたいだ。
大きく深呼吸をして、残りの水も一気に飲み干した。
「あ、水が無くなったよ。サクラ、もう一つの大きな水筒を出してくれるか」
空になった水筒を振って、足元にいるサクラに頼む。
「はい、どうぞ」
取り出してくれたのは、この世界へ最初に来た時にシャムエル様が用意してくれた、いくらでも水が出てくる不思議な水筒だ。
マジックアイテムとでも言うのだろうか。どう言う原理かは分からないけど、水が空になっても蓋をしてしばらく待てば満杯まで水が出てくるのだ。
この世界では無いわけではないが、貴重な品らしく、あまり人には見せないほうが良いと言われたので、普段は、サクラに預けておいて、俺は普通の水筒に水を移して持ち歩いている。
零さないように、慎重に移してから、大きな方を机に置いて、小さい方は鞄に戻した。
「コーヒーが飲みたいな。じゃあ、ミルで挽くか」
ちょっと考えてから、サクラに色々と出してもらう。
取り出したコーヒーミルに豆をセットして、力一杯ハンドルを回す。
ガリガリと音がして豆が綺麗に細かく砕かれていく。
「おはようさん。何の音だ?」
声がして、閉めてあった壁代わりの垂れ幕が上げられて、ハスフェルが顔をのぞかせている。
「ああ、おはよう。コーヒー飲むだろう?」
パーコレーターを見せながら聞くと、それを見て嬉しそうに頷いた。
「良い香りがすると思ったら、コーヒーを挽いていたのか」
笑いながらそう言って、俺がコーヒーをセットしている間にテントの垂れ幕を上げてくれた。
気持ちの良い風が吹き抜けていく。今日も天気は良いみたいだ。
このデカいテントは、普通の家みたいな形になった広いタイプで、6本の柱と天井を横切る梁で作られた、ガレージテント型のものだ。
横は全部巻き上げられるカーテンになっていて、巻き上げてしまえば柱と屋根だけになる。
「しばらく良い天気だったが、明日あたりに雨になりそうだ。お前、雨の経験は?」
座ったハスフェルに言われて、俺は首を振った。
「この世界に来てから、そう言えば、雨が降った事って無いな。ええと、鞄にフード付きのマントみたいなのが入ってるけど、あれを使うのか?」
鞄にレインコートっぽいのが入っていたのを思い出して聞くと、持っているならいいと言われた。
聞いてみると、この世界では雨が降ったらあのフード付きのマントを使うそうだ。まあ、要はレインコートだね。
「傘って使わないのか?」
「何だそれは?」
逆に不思議そうに聞かれて、俺はちょっと考えた。
「俺のいた世界では、雨が降ったら皆使っていたよ。真ん中に棒があって放射状に骨って呼ばれる細い棒が広がってて、その骨に丸い布が張ってあるんだ、防水、つまり水が染みてこないような生地で、こうやって差すんだ」
身振り手振りを交えながら、ハスフェルに傘の説明をする。
「要は自分の頭上に屋根を作って持つ訳か。まあ理屈は分からんでも無いが、それなら、少し強い横風が吹いたら、まともに濡れるんじゃ無いか? それに大勢の人がいたら、その傘同士が当たって喧嘩になるだろうに」
至極真っ当な疑問に、俺は思わず頷いた。
「まあ、あんまり強い風だったりすると、傘が潰れてしまう事もあるよ。それに、横殴りの風が吹くと、濡れる事だってあったな。でも、傘ってそう言うものだと思って諦めてるし、大勢の人がいても、皆何と無く傘を斜めに持ったりして、案外喧嘩にならなかったよ」
「それに何より、それを持っていると片手が完全に塞がれてしまうだろう。何かあったら、剣を抜くのに時間が掛かって命取りになるぞ」
真顔でそんなことを言われて、ちょっと遠い目になった。
「うん、この世界では確かに使うのに無理がありそうだけど、俺がいた世界では、普通の人は武器なんて持っていなかったからね」
本気で驚くハスフェルに、俺は何だか笑ってしまった。
「俺がいた世界は、特に、俺がいた国は、他の国との戦いを放棄したんだよ。普通の人は武器なんて持たない」
「ジェムモンスターが出たらどうするんだ?」
「いや、だからそもそもジェムモンスターなんていない。火はガスって呼ばれる燃える空気や、石油って呼ばれる燃える油を使っていたんだ」
「さっぱり分からん」
首を振るハスフェルに、俺は笑うしか無かった。
「この世界の人が、もし俺のいた世界へ行ったら……きっと、色々と苦労するだろうな」
考えたら、悲しくなって来た。
「さあ、コーヒーが入ったよ。ハスフェルは何にする?」
気分を変えるように、態と大きな声でそう言うと、サクラに出してもらったサンドイッチやバーガーを見せる。
「じゃあ、これとこれを貰うよ」
いつものタマゴサンドと分厚い肉を挟んだバーガーを取る。
俺は、タマゴサンドと野菜サンドにしておく。若干、まだ昨日の酒が残っていて、さすがに朝から肉は勘弁して欲しい。
ミルクをたっぷり入れてオーレにして、美味しく頂いた。
タマゴサンド、やっぱり美味しい。
少し休憩してから、手早くテントを畳んで後片付けをした。
「それじゃあ、出発するか。あ、待った! そろそろ人のいる場所に近付いているから、従魔に首輪をしておけよ」
振り返ったハスフェルに言われて、俺は慌てて外してあった皆の首輪を取り出して装着して回った。ついでに、マックスに取り付ける鞍も取り出して装着してもらった。これで楽に乗れるぞ。
「ほう、良いものを使っているな。それはどこで手に入れたんだ?」
感心したようにハスフェルに言われて、俺は満面の笑みになった。
「これは、レスタムの街にいる革職人のフォルトが作ってくれたんだ。何でも、熊の背中に乗せる為の鞍の試作品だったらしいよ。装着しているベルトは、マックスの身体に合わせて作ってもらったんだ」
「良いなそれ、ちょっとレスタムの街へ寄っても良いか?」
本気で欲しそうにしている。まあ確かに、あのまま乗ってると、不安定だもんな。
せっかく大層な挨拶をして別れたのに、こんなにすぐに行くのか。まあ良いや。お客を連れて行けば、フォルトも喜ぶだろう。
「あ、言っておくけど、良い仕事してくれるんだから代金は安くは無いぞ」
「それはそうだろう。良い仕事をしてくれれば、金を惜しむつもりは無いぞ」
当たり前のように言われて、思わず謝った。それから、以前冒険者達に値切り倒されて、物を作る事が嫌になったらしい話をした。
「成る程な。良い仕事をする職人ほど、値切られた時の失望感は大きいだろうしな。もちろん、そんな事するつもりは無いから安心してくれ」
「じゃあ、レスタムの街へ着いたら、紹介するから自分で頼んでくれよな」
「了解だ。せっかくだから、良い物を作ってもらいたいからな」
顔を見合わせて笑い合った俺達は、当初の目的地になったレスタムの街へ向かって出発したのだった。
まだ、若干二日酔い気味の俺がゆっくり走った為、その日はあまり進めなくてハスフェルに笑われたのは、ちょっとした屈辱だったよ。
うん、あの樹海の酒は、街で翌日寝ていられる時にだけ飲む事にしよう。
さすがに、あれを飲んだ翌日に、一日マックスの背の上で揺られて、平気でいられる自信は俺には無いです!