俺の紋章
「それじゃあ、まずは街道に出るのが目標かな?」
出発するのにマックスの背中に乗せてもらおうとしたら、突然、俺の肩に座ってたシャムエル様が慌てたように俺の頬を叩いた。
痛いって。用があるなら喋れよ。
「大変だ。大事な事を言ってなかったね。悪いけど、出発前に説明するから待ってくれる」
俺の肩から飛び降りたシャムエル様が、マックスの背中に飛び乗った。
「あのね、君の紋章を決めないと! ファルコが五匹目の仲間になったから、これで君は世間から、一人前の魔獣使いとして認められるから、自分の紋章をモンスター達に刻めるんだ。そうしておくと、弱いスライム達も安全だからね」
「俺の紋章?」
意味が分からなくて聞き返すと、シャムエル様は何やら大きな板みたいなものを取り出した。
だから、毎回どこから出すんだよ、それ!
手渡された板は、まんま30センチ角のホワイトボードみたいに見える。
そしてもう一つ、これで描いてと渡されたペンは、世界的に有名な、魔法のインクって名前が付いてる油性マジックに、文字が無いだけで色も形もそっくりだった。
うん、これも深く考えちゃ駄目なんだろうな……きっと。
「そこに、君の紋章を描いてよ。専用のスタンプを作ってあげるからさ!」
目を輝かせて、またしても無茶振りする。
「待て待て。俺に何を描けって言うんだよ。第一、俺は絵なんて描けないぞ」
しかし、シャムエル様は俺の泣き言なんて聞いちゃいない。
「なんでも良いんだよ。たまに、丸とか三角みたいな適当な紋章を描く魔獣使いもいるけど、それはあんまりおススメしないね。最悪、他の人と同じだったりすると困るでしょう?」
「ええと、つまり……その紋章ってのは、俺がテイムした、俺の仲間のモンスターだって事を、周りに教える意味があるんだな?」
「そうそう。それに、紋章を刻んだモンスターは、他の人からの攻撃に対して、一定の防御の威力があるんだ。仮に知らずに誰かに攻撃されても、防御の盾が発動するから、そのモンスターは誰かにテイムされたモンスターだって分かるんだよね」
シャムエル様の説明に、俺は納得してペンを握った。
成る程、それは大事だよな。
もしかしたら、ニニやマックス達が飯を食うために俺から離れてる時に、他の第三者に攻撃される可能性もあるわけだ。だけど、その紋章があれば、少なくとも最初の攻撃からは守れるんだな。
うん、それは絶対必要だ!
しかし、俺に描けるものなんて、たかが知れてる……。ここは高望みせずに、何か、俺でも描ける簡単な紋章を考えてみるべきだな。
ふと視線を感じて顔を上げると、マックス、ニニ、ファルコが、揃って期待に満ち満ちた瞳で俺を見つめている。スライム達でさえ、並んでプルプル震えているのを見て、俺は焦った。
何これ、めっちゃ期待されてるんだけど……プレッシャーが半端無いです。
とにかくペンを握って考える。俺でも描けそうな簡単な紋章……。
駄目だ。紋章って考えると、なんか、ものすごい豪華なライオンとかドラゴンが、武器とか盾の横でポーズをとってるようなのしか思いつかないぞ。あんなの絶対描けるかよ!
目を閉じて、深呼吸して考える……はい、長考入りましたー! って、自分で自分に突っ込み入れて、大きなため息を吐いて頭を抱えた。
駄目だ、全く思いつかない。
困った俺は、ニニにもたれてもふもふの毛皮を堪能して現実逃避をした。
ニニの鳴らす喉の音を聞いていると、唐突に、あるマークを思いついた。
「あ、これなら良いんじゃ無いか?」
目を開けた俺は、そう呟いて急いでホワイトボードもどきを持ち直した。
片手で持ってると描きにくいから、座ってホワイトボードもどきを膝に乗せる。
思いつくままに描いてみた……うん、悪く無いな。
あ! もう一つ思いついた! これなら絶対、他の人とはダブらないだろう。
「なあ、これでどうだ?」
自信満々で、ホワイトボードもどきに描いたマークを見せたら、シャムエル様はにっこりと笑った。
「あ、良いんじゃない? これは間違い無く、君以外は使わない紋章だね」
俺が描いた紋章は、いわゆる肉球マークだ。
真ん中に丸っぽい三角で、上半分に、それを取り囲むように四つの小さな丸が山型に並んでいる。そして、肉球マークの下側には、英語の大文字で、KENと書いたのだ。これなら絶対他の人と同じにはならないだろう。
マックス達にも見せると、皆嬉しそうにしてくれた。スライム達も、嬉しそうに跳ね回っている。
「じゃあそれで作るね。返してくれる」
ちっこい手を伸ばすので、立ち上がってホワイトボードもどきとマジックを返した。
瞬時にペンは何処かに消えて無くなった。
うん、深く追求してはいけない……。
「じゃあこれを……」
小さく呟くと、いきなり、硬かったはずのホワイトボードもどきを折りたたんだのだ。
驚く俺の目の前で、シャムエル様は折りたたんでちっこくなったそれを、さらに小さく丸めていった。そしてその丸くなったものを平たく伸ばしてまた丸めている。粘土そのものだ。
あっという間に、ホワイトボードもどきは小さくなって、最終的には直径5センチ、長さ15センチぐらいの綺麗な円柱になった。
「はい、出来たよ。じゃあ押してみようか」
自信満々で手渡されたそれを見てみたが、どちらの面にも俺が描いたあの肉球マークは無い。どう見ても、ただの円柱だ。
「シャムエル様? ええと、さっきの模様が無いんですけど……」
遠慮がちに円柱を手にした俺がそう言うと、シャムエル様は自信ありげに頷いた。
「大丈夫だから、まずはニニちゃんに押してみてくれる?」
何だか訳がわからんが、押せと言うのなら押してやろうじゃないか。
俺はもらった円柱を手に、言われた通りにニニの前に立った。
「で、どこに押せば良いんだ?」
「大型の魔獣の場合は、だいたい正面胸元か、身体の両側なんだけどね」
「どっちが良い?」
思わずニニに尋ねると、ニニは精一杯首を伸ばして胸元を俺に見せた。
「ここにお願いします!」
ちょうど、首輪がわりにしている、紐の下側あたりに、俺はその円柱を押そうとして振り返った。
「まさかとは思うけど、痛みがあったりする?」
「無い無い、大丈夫だから、遠慮無くポンと押して良いよ!」
その言葉に安心して、俺はニニの胸元に円柱を押し付けた。
一瞬光って胸元に丸い輝きが現れる。
「おお、すげえ。また光った!」
まるで俺の声が合図したかのようにその光は大きくなり、直径30センチぐらいの大きさになった。
だんだん輝きが薄くなり光が消えた時には、ニニの胸元に、俺が描いた肉球マークとKENの文字がくっきりと現れていたのだ。
毛皮を触ってみても、毛に紋章がついているわけでは無いみたいだ。かき分けて地肌を見てみると、くっきりとスタンプが押されているのが見えた。
「へえ、毛があっても、透けて見えるんだ。すごいなこれ」
感心していると、隣にいたマックスも、尻尾を振りながら大きく首を伸ばして俺に胸元をみせている。
「じゃあ、お前もここで良いか?」
「はい、お願いします!」
嬉しそうな返事に俺は笑って、マックスの胸元にも円柱を押し付けた。
また同じように光った後、直径40センチぐらいの大きさになって、ニニよりも大きな俺の紋章が現れた。
「おお、身体の大きさに合わせて、紋章の大きさまで変わるんだ。すごいすごい!」
はしゃぐ俺に、シャムエル様は自慢げに胸を張る。はいはい、またドヤ顔いただきましたー!
笑った俺はファルコを見た。
「あ、待って! 仲間になった順だから、次はアクアとサクラだね」
慌てたようなシャムエル様の声に、俺は円柱を持つ右手を降ろす。
「おお、そうなんだ。じゃあ後でな」
ちょっとしょんぼりするファルコの背中を撫でて、俺はアクアに向き直った。
「ここで良いか?」
丸い上側部分を叩いてやると、嬉しそうにプルプル震えた。
「おねがいします!ご主人!」
並んで震えてるアクアとサクラに、それぞれスタンプを押してやった。
見ていると、それぞれ光った後、直径15センチぐらいの紋章が、おでこの辺り? に、綺麗に浮き上がった。
無色透明だったアクアと、透明ピンクだったサクラに模様が出来たよ。
そのせいかもしれないけど、何となく正面がどっちなのか分かった。
呼んだら振り返った時には笑っちゃったよ。そっか、お前らにもちゃんと正面があったんだな。
最後にファルコの前に行く。
「お待たせ。お前はどこが良い?」
「私もここにお願いします」
胸元を大きく反らすようにして顔を上げる。
「じゃあここにペタンとな」
正面胸元に押すと、また光った後、同じく直径10センチぐらいの紋章が現れた。
うん、肉球マークが並ぶと……何だか壮観だな。
俺は、面白くなって、手にした円柱を見た。
「じゃあこれは俺が持っていれば良いんだな」
そう言うと、シャムエル様はにっこり笑って手を差し出した。
「それはひとまず返してくれる?」
おお、まさかの返してって言われた。
残念だけど仕方がないので、俺は持っていた円柱をシャムエル様に返した。
「ありがとうな。これで、皆安全なんだろう?」
しかし、円柱を受け取ったシャムエル様は、俺の指を掴んだ。
「ケンの右手を上向けにして、ここに差し出してくれる?」
不思議に思いつつ、言われた通りに右手のひらを上にして差し出す。
すると、シャムエル様は俺の右手に、あの円柱を押し付けたのだ。
「ええ! ちょっと待って! 何するんだよ!」
驚いて手を引こうとしたが、何故だか全く手は動かず、俺は自分の右手に、光り輝く円柱が埋まっていく、有り得ない光景を呆然と見ているしかなかった。
……あれ? でも全然痛く無いぞ?
光が収まると右手が動いたので、思わずマジマジ見てしまった。
あれ? 傷跡も無いし、やっぱり全然痛くもなんとも無い? 指も普通に動くぞ?
「君の右手に、さっきのスタンプと同じ事が出来るようにしたからね。テイムしたモンスターに名前を付ける時に、右手で紋章を付けたい部分を押さえて、名前を命名すれば良いよ。これなら無くす心配もないから安心してね」
またしてもドヤ顔のシャムエル様にそう言われて、俺は自分の右手を見た。
「右手で押さえてやれば、さっきと同じ事が出来るのか?」
「そうそう、普通、魔獣使いは一人前になると、各地にある神殿で紋章を登録して右手に移して貰うんだよ。だけど、これがねえ……」
何やら言いたげな顔になる。
「何? 何か問題あるのか?」
思わず顔を寄せると、シャムエル様は大きなため息を吐いて顔を上げた。
「その神殿の聖職者達がさ、最初のうちは、魔獣使いへの紋章の登録は奉仕でやっていたのに、最近、魔獣やジェムモンスターの数が、例の崩壊事件の影響で激減しててね。この20年ぐらい、魔獣使いの成り手が殆どいなくなったんだよ。だからなんだろうけど、法外な値段を付けて、勿体つけてこの仕事をするようになってね。ってか、特に最近は殆ど仕事してないんだよね。さすがにちょっと目に余るから、そのうちお仕置きしてやろうって思ってるの。まあ、それはこっちの都合だからケンには関係無いからね」
おお、聖職者が金にうるさいって、何だか嫌だなぁ……。
思わず遠い目になる俺に笑って、シャムエル様はまた肩に現れた。
「さあお待たせ!もうこれで作業は終了だよ。まずは街道目指して出発しよう!」
その声に、座っていたマックスやニニ達も皆立ち上がった。
大きく伸びをするニニを見て、そんなところは変わらないんだなと、妙に感心したのだった。
「それじゃあ、悪いけどまた乗せてくれるか」
マックスの背中によじ登って毛を掴む。ニニの背中にはスライム達が並んで乗り、ファルコは翼を広げて羽ばたくとそのまま飛んで行き、上空で旋回しながら俺達の後をついて来る事にしたみたいだ。
肩に現れて座ったシャムエル様と笑い合って、俺達は街道を目指してゆっくりと走り始めた。