樹海の酒
「あ、なんとなく見覚えのある植物に変わってきたな」
マックスの背の上で周りを見渡しながら、俺は思わず声を上げた。
あの後、昼食抜きのまま走り続け、空が暮れ初めて赤くなる頃、ようやく樹海を完全に抜けたらしく、周りの植物が、見覚えのあるいつものものに戻っていたのだ。
「あの樹海って、やっぱり地脈の影響だったりする訳?」
いつもの定位置に座っているシャムエル様に尋ねると、後ろを振り返って小さく頷いた。
「そもそも樹海の出来た原因ってのが、他よりも強過ぎる地脈の影響でね、吹き出し口の集中した場所であるって事で、そのせいでジェムモンスターだけじゃなく、生態系そのものにも影響を及ぼし始めたんだよ。最初のうちは、面白そうだったから放置して様子を見ていたの、そうしたら、ある時からジェムモンスターの種類にも変化が現れて、それに対応する様にさらに生態系が変わっていった。数百年のうちには、樹海という、完全に新たな生態系を完成させてしまった。そして、その世界に順応した獣人や他にも色々と生まれてきてね。だから、この世界は、言ってみれば二つの異なる世界が同居しているという、不思議な状態で安定してしまったんだよ。私も、こんな事は初めてでね。今でも樹海は刻一刻と変化を続けている。一応、ある程度以上は外の世界に影響しない様に、結界を張って閉じてあるからね。樹海の種が飛んで、外の世界で樹海産の植物が急に繁殖したり、樹海産のジェムモンスターが外の世界へ出て行かない様にはしてあるよ」
おお、さすがは創造主様だね。フォローもバッチリじゃん。
「でも、喰われるのは勘弁してほしいなあ」
小さくそう呟くと、シリウスの背の上で聞いていたハスフェルが、思いっきり吹き出してる。
「他人事だと思って笑うなよ! もう、本気で死ぬかと思ったんだからな!」
「いや、俺はお前さんが生きてる事に、本気で驚いてるよ」
「へ?」
思わず振り返ると、ハスフェルは無言で肩を竦めた。
「そろそろ日が暮れる。この辺りはもう安全だから、日が暮れる前に野営の準備をしないとな」
シリウスの足を止めた彼にそう言われて、俺もマックスを止めた。
今、完全に話を逸らされた気がするが、確かに、まあ日が暮れてしまう前に野営の準備はする必要がある。先に野営の準備をしてしまおう。
樹海へ向かっていた時にも使った草地で、もう一度野営をする事にした。
手早くランタンを取り出して光源を確保してから、取り出した大きい方のテントを手早く組み立てていく。
実は、テントの設営の際には、アクアとサクラが、上手にアシストしてくれるのでかなり助かっている。
最初のポールを立てる仮止めの時や、固定用の釘を地面に打ち込むのだって、指示さえすれば簡単にやってくれる。お陰で大きなテントの設営も楽々だよ。
机や椅子を取り出して、手早く夕食の準備をする。
今日は、ハイランドチキンのモモ肉を塩焼きにする。付け合わせの芋やブロッコリーみたいなのも、軽く焼いて適当に盛り付けた。
パンは、フランスパンみたいなのを、スライスしてから綺麗にしたフライパンで軽く焼いて一緒に食べる事にした。あとは、作り置きのスープを取り分けて温めれば出来上がりだ。
うん、下ごしらえしておくと、簡単で良いね。
「出来たぞ」
「おう、ありがとうな」
自分のテントを設置していたハスフェルが、振り返って手を挙げ、それを見て、シリウスとマックスが自分達の狩りに出ていった。
「はい、タロンにはこれな」
タロンには、ハイランドチキンのムネ肉を一切れ切って出してやる。
ニニとファルコ達は、テントの中で転がって寛いでいる。
机の上では、シャムエル様が取り出していた空のお皿を手に、嬉しそうにこっちを見ている。
「あ、じ、み! あ、じ、み!」
「はいはい、ちょっと待ってくれよな」
笑って席に着いた俺は、自分の分の肉を一切れと、野菜も少しずつ切り分けて小さなお皿に並べてやった。
パンも一切れちぎってお皿に乗せてやった。
「わーい、今日は塩焼き!」
嬉しそうに食べ始めるのを見て、俺達も食べ始めた。
カリカリフランスパンとハイランドチキンの塩焼きは相性もバッチリで、大満足で食事を終えた俺達は、軽く飲みたいって話になり、リューティスから貰った、あの樹海産の酒を取り出していた。
「おお、良いのを貰ったじゃないか。これは美味いぞ。だけど相当きついから、飲むなら水で割った方が良いぞ。これは、人間がそのまま飲んだら大変な事になる。まあ、俺は平気だけどな」
大きな瓶を手に、平然とそんな物騒な事を言うハスフェルを横目で見た。
出たな、底無し。
たまにいるよね、いくら飲んでも全く酔わない奴。
俺はそこまで強くないので、とりあえず言われた通りに水割りで飲んで見る事にした。
ハスフェルが出してくれた、酒を飲む時用の綺麗な模様入りのガラスのグラスに、俺が作った氷の塊を入れる。
うん、もう完全に透明な氷を作れるようになったぞ!
ちょっとドヤ顔で氷入りのグラスを渡してやると、目を瞬かせた彼は満面の笑みで褒めてくれた。
やっぱり、酒に入れる氷は綺麗な透明なのが良いよな。
自分のグラスにも、氷を入れ、ウイスキーの水割りぐらいの量を入れて作ってみた。
「生き延びた、鈍い勇者殿に乾杯だ」
並々と注いだグラスを上げてそう言われて、俺は思わず吹き出した。
「古傷を抉るんじゃねえよ!」
笑ってグラスを上げて、軽く飲んでみた。
「げふっ!」
一瞬、喉が焼けたのかと思った。
うっかり飲み込んだ直後、身体が一気に熱くなって目の前に星が散った。
「何だよこれ、水割りでこれって……強いなんてレベルじゃ無いぞ! これ、人間が飲んじゃ駄目なレベルだって!」
うおお、心臓がバクバクなってるぞ。
一瞬だけ、急性アルコール中毒!って言葉が頭をよぎった。それぐらい衝撃的な強さだった。うん、美味しいって言われてたけど味わう余裕は全く無かったね
慌てて、机に出してあった水筒の水を思いっきり飲む。
そんな俺を見て、ハスフェルは平気で飲みながら笑っている。
ハスフェル。俺は、これをそのまま飲んで平然としているお前さんの肝臓が心配だよ。
捨てるのはさすがに勿体ないと思ったので、水をガバガバ入れてかなり薄くして飲む事にした。
一先ず空いていたピッチャーに作った水割りを入れて、それをもう一度水で割るという荒技で乗り切る事にした。
まあ、いつもの水割りの二十倍ぐらいに薄めたら、俺でも飲めたね。
うん、確かにハスフェルが言う通りで美味しい。
何て言うか、これだけ薄くしてもしっかり酒の味が分かるって、逆に凄いぞ。
作った水割りの残りは、サクラに預けておいて、少しずつ飲む事にした。
「あ、おかえり。お腹いっぱいになったか?」
マックスとシリウスが戻って来たので、すっかり真っ暗になった闇の中へ、ニニ達が嬉しそうに起き上がって一気に駆け出して行った。
「そっか、うちの子達は皆、夜目が利くので狩りに行くのは夜でも構わないのか」
ちょっと感心して見送りながらそう呟くと、シャムエル様が呆れたように俺を見た。
「え? ケンだって、鑑識眼が有るんだから、真っ暗でも見えないって事は無いでしょう?」
「え、そうなのか?」
思わず聞き返すと、もっと呆れた顔をされた。
「ハスフェル。ケンってさ、色々と特別扱いしてあげてるのに、自分の能力を全然使いこなせてないし、有り難みも分かってないんだよね。どう思う?」
「そりゃあ、尽くし甲斐の無い奴だな」
二人してそんな事を言われて、俺は無言でテントの外を見つめた。
確かに、今までは日が暮れる前に常にランタンをつけていたし、街の中はそれなりに明るかったから、気にしたことが無かった。
改めて見てみると、確かに見える。
そっと立ち上がってテントの外へ出てみた。
周りは僅かに虫の鳴き声や遠くでガサガサと音がする程度で、静まり返っている。
空を見上げれば、以前よりも更に鮮明な星空が広がり、俺は無言でその見事な星空に見惚れた。
そして、遠くまで広がる草原を見る、星明かりに照らされて、所々に動くものが見える。
「へえ、本当だ。見える……」
「今まで気付かなかったのか?」
ハスフェルのからかうような声に、俺は振り返って肩を竦めた。
「夜は真っ暗になるから危険だって、そう思っていたから、今まで夜に動こうとした事が無かったよ。まあ、これから先、何らかの理由で夜も動かなきゃならない事だってあるだろうからさ。何であれ、見えるのは有難いよ。色々と助けてもらってありがとう、シャムエル様。なんか俺、確かに有り難みをまだまだ分かって無いみたいだよ」
「あはは、素直に感謝されると、それはそれで何だか変な気分!」
「なんでだよ! 素直に感謝したのに、それってあんまりじゃね?」
笑いながらそんな事を言われて、思わず言い返したが、その直後に三人同時に吹き出した。
「まあ、まだしばらくは一緒にいるからな。じゃあ今度は、夜の移動もやってみるか? これも経験だからな」
先を急ぐわけじゃ無いから、確かに旅の経験豊富な彼から教わる事はまだまだありそうだ。
「よろしくお願いします!」
「おお、任せろ! 夜しか出ないジェムモンスターもいるから、それの狩りをやろうぜ」
笑ってそう言った俺に、ハスフェルも笑って頷いてくれた。
まだまだ、この世界は、俺の知らない事だらけだな。
明日からの旅が楽しみになった俺は、氷が溶けてすっかり薄くなった最後の一口を飲み干したのだった。