二匹のリンクス
「では、まずは私がやってみます」
真剣な表情でごくりと唾を飲み込んだリナさんは、そう言うとゆっくりとフォールが取り押さえているリンクスに近寄っていった。
そのリンクスは、俺のカッツェよりもやや全体に茶色みが濃くて、大柄な縞模様の身体の側面には渦巻き状の模様が出来ている。いわゆるアメショーとか呼ばれてる猫の模様みたいなやつ。確かタビー柄とか言うんだったよな、あれ。
目指すリンクスの近くで立ち止まったリナさんは、改めて深呼吸をしてから腰の短剣をゆっくりと抜いた。
その短剣の柄には、よく見ると綺麗な透明の石が嵌め込まれている。
宝石には全く詳しく無いんだけど、あのキラッキラ具合はもしかしてダイヤモンドだったりします?
密かに感心する俺に気付かず、リナさんはゆっくりと顔の前まで掲げるようにした短剣を、リンクスの方へ向ける。
「いけ!」
短いリナさんの声が響いた直後、物凄い竜巻がリンクスを襲った。
アーケル君の突風も凄かったけど、あれの比じゃない。これはもう、局地的災害レベル。
しかし、これが自然災害と違うのは、後ろで見学している俺達には全く影響が無く目標のリンクスだけを攻撃してるって事。
何しろ、竜巻に巻き込まれたリンクスの身体が完全に中に浮いている。長い尻尾は風に巻き込まれて千切れんばかりに振り回されて毛が逆立ってる。
とにかく暴れ狂う渦巻く風に一方的に揉みくちゃにされていて、もう全く抵抗出来る状態では無い。
しかもフォールが首の後ろ部分に噛み付いて取り押さえていたんだけど、今は両方の前脚まで使って必死になって飛んでいきそうなリンクスの身体を捕まえているほどの勢いだ。後ろ足に噛み付いていた狼達も慌てたように飛びかかって全体重をかけて身体を押さえつけている。
それなのに、そのフォールや狼達には全くと言っていいほどに竜巻が影響していない。ちょっと毛が風に靡いている程度なのだ。
完全に攻撃対象を限定した風の術って事だよな、これ。
「ウキュ〜ン」
ついに悲鳴のようなリンクスの鳴き声が響く。
俺の耳には完全に「降参!」って聞こえたよ。
小さなため息を一つ吐いたリナさんが短剣を下ろすと、瞬時に竜巻が消えて無くなる。そのまま地面に倒れ込むリンクス。
フォール達は噛み付いていた口を外してゆっくりと下がった。
一応すぐに飛びかかれる位置で止まったけど、もう完全に抵抗する気力をへし折られたらしいリンクスは起きあがろうともしない。
……リナさん、やり過ぎ。相変わらず乱暴だねえ。
ちょっとあのリンクスに同情していると、リナさんが手を伸ばしてリンクスの頭を押さえた。
「私の仲間になるか」
少し緊張しているのだろう。低めの声が響く。
「はい、貴女に従います」
一瞬光ったが伏せたままのリンクスの答えに、リナさんが小さく頷き押さえつけていた手を離す。可愛い声だったから、この子は雌みたいだ。
ゆっくりと起き上がったリンクスは、その場に両前脚を揃えてお座りした。
長い尻尾が前脚の前まで巻き込まれて止まる。
「紋章はどこに付ける?」
優しい問いに、リンクスは胸を反らして見せる。
「ここにお願いします!」
もう一度小さく頷いたリナさんが右手をそこにかざす。
「貴女の名前はルル。私が前にテイムしていたリンクスの名よ。私の愚かな過ちのせいで、彼女を失ってしまったの。もう一度私にやり直す機会を与えてくれるかしら。あの子の分まで愛しても良い?」
消えそうな声でそう言ったリナさんに、ルルと呼ばれたリンクスは一瞬光った後にもの凄い音で喉を鳴らし始めた。
「こちらこそどうぞよろしく。貴女のような強い魔獣使いと共にいられるなんて、とても嬉しいです。きっと、ルル先輩も側にいますよ」
優しいその言葉に、リナさんは堪えきれないようにルルちゃんに抱きつき、声を上げて泣き始めた。
ルルちゃんは、そんなリナさんに抱きつかれたまま嬉しそうにずっと喉を鳴らして大人しく座っていたのだった。
「ありがとうね。私こそ、これからよろしく」
しばらくして落ち着いたリナさんが照れたようにそう言って手を離し、ルルちゃんの鼻先にキスを贈った。
「お待たせ。じゃあ、次はアーケルだな。どうぞ」
さっきの俺みたいににっこり笑ってそう言ったリナさんが下がるのを見て、呆然とテイムする様子を見ていたアーケル君が慌てたように頷いた。
その目が真っ赤になって潤んでいるのは隠し様が無かったけど、誰もその事には触れなかった。だって、俺達の目も、全員同じくらいに感動の涙で潤んでたんだからさ。
アルデアさんは、またしてもあたりを憚る事なく号泣中。草原エルフって涙脆いみたいです。
「よし、じゃあ俺もテイムする!」
そう叫んだアーケル君は、両手で自分の頬を喝を入れるみたいに力一杯叩くと早足で進み出た。
「同じじゃあ芸が無いもんな」
にんまりと笑ってそう呟いたアーケル君は、腰の短剣を抜いて同じように掲げると残りのリンクスのそばへ行き短剣を向けた。
「ええと、この術は巻き込まれる可能性があるから、俺が風の術を発動したら逃げてくれよな」
リンクスに噛み付いて押さえているジャガーのベガと狼達にそう言うと、ゆっくりと深呼吸してから剣を掲げた。
「押さえろ!」
大声でアーケル君がそう叫んだ瞬間、同時にベガと狼達が飛んで離れる。
まだ抵抗を封じたわけじゃあないのに離れてどうする!
思わず飛び出しかけた俺達は、しかし目の前の光景に言葉を無くした。
地面に這いつくばるみたいにしてリンクスが押さえつけられている。
しかし、誰かの手があるわけでも、従魔達が噛み付いているんでもない。
どう見ても何も無い。
しかし、まるで空気に押さえつけられているかのように、リンクスは身動き一つする事が出来ずに地面とくっついているのだ。
「ええ、どうなってるんだ、あれ」
思わずそう呟くと、側にいたリナさんが自慢気に教えてくれた。
「あれがアーケルの最強の技です。過剰重力と呼んでいるんですが、風と土の術の応用で空気に圧力をかけて対象の動きを全方向から封じて地面に叩きつけるんです。息が出来ないようにする事も可能です。今は殺さなくていいので、そこまではしていませんけれどね」
笑いながら簡単に言われたその言葉の意味を考えて、俺達は揃って目を見開いたよ。
何だよそれ。そんなおっそろしい術に狙われたら、ハスフェル達だって抵抗のしようが無いぞ。
無言で顔を見合わせた俺達は、揃って首を振った。
ランドルさんを含めて、その場にいた人間達の顔にはこう書いてあった。
草原エルフ怖い。絶対、怒らせないようにしよう。と。




