鈍くて鈍くて鈍い俺
「だ、誰かお願いだから冗談だって言って……」
衝撃から立ち直れずに、俺は思わずそう呟いた。
ああ、俺の理想の猫耳娘が、まさか、まさかの俺に一目惚れ!
それなのに!
俺って、その子を抱き枕状態にして爆睡してたのかよ! 何やってるんだよ、昨夜の俺!
頭を抱えてあまりの衝撃に放心している俺を、全員が哀れみの目で見ている。
やめて、俺のライフはもうゼロだからさ!
何とか深呼吸して無理矢理落ち着くと、立ち上がって振り返った。
「なあ、それならどうしてリュートは最初、僕、なんて言ってたんだ?」
だけど、よくよく思い出したら、私、って途中から言っていたような気がする。
「まあ、それは外部の者に対する警戒感からだな」
ハスフェルの言葉にちょっと考える。
確かに、いくらハスフェルの事は知っているとは言っても、初めて見る、巨大な従魔を連れた外部の者を警戒するのは当然だろう。
それなら、女の子だとすぐには分からないように、男の子の振りをするのも頷ける。
「そっか。そりゃあそうだよな。だけど……それにしたって馬鹿だ。鈍すぎる、昨日の俺」
考えたら泣きそうになるので、とりあえず忘れよう。
思考を全部まとめて明後日の方向にぶん投げておく事にした。問題の先送りとか言わない!
「それで、この後はどうするんだ?」
ハスフェルを見ると、彼は困ったようにカーテンを開けた窓を見た。
「一晩だけ泊まって、すぐに出て行くつもりだったんだがなあ。さてどうするかな?」
笑いながら横目で俺を見るので、もう一度大きなため息を吐いた俺は、彼の背中を思いっきり叩いてやった。
「だったら、もう行こうぜ。なんだか頭が痛くなってきたよ」
しかし、ハスフェルは俺のその言葉を聞いて慌てたように、いきなり腕を掴んできた。
「待て。お前、このままで良いのか?」
勘弁してくれ……。
天井を振り仰いだ俺は、もう何度目か数える気もない、大きなため息を吐いた。
「だって、じゃあ逆に聞くけど、どうしろって言うんだよ。そりゃあ、猫耳娘は俺の超理想だけど、いくらなんでもあの子に手を出したら俺は犯罪者だぞ」
「双方合意の上なら、何の問題がある?」
あれ? ドユコト?
こいつ、神様の台詞とは思えない事を言ってるぞ。
ってか、多分、これまたどこかで認識が大きくズレてる気がする。
「ええと、俺の認識では、リュートはまだ子供なんだけど、これも間違い……だったりする?」
もう、正直言って何が正解なのか分からなくなった。
「ああ、それもか。獣人は早熟だからな。確かに、人間の年齢にしたら幼いが、この村ではもうそろそろ大人扱いだぞ」
またしても、俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「それでも駄目だよ。俺の認識ではあの子はまだまだ子供だ。もうちょっと……その、何と言うか、色々育ってくれたら考えるよ」
口に出したら、何と言うかストンと納得した。
そうだ。少なくとも、俺の持つ常識では、彼女は小学校高学年レベルだよ。彼女には申し訳ないけれど、恋愛対象にはならない。
首を振って肩を竦める俺を見て、ハスフェルも苦笑いしている。
「まあ、そう言うことなら、無理強いは駄目だな。今回は、事が成るには時期尚早だったと」
「そう言うことにしておいてくれ」
もう一度、大きなため息を吐いて、それから深呼吸をして俺は立ち上がった。
話が終わった事が分かったのか、ようやくマックス達も起き上がって、それぞれに大きく伸びをしている。
「それじゃあ、行こうか」
忘れ物がないか部屋を見渡してから、俺たちは揃って外へ出た。
扉の外ではリューティスが、手に何か持って待っていた。
ハスフェルが駆け寄り、声は聞こえないが顔を寄せてにこやかに話をしている。しばらく見ていると、リューティスが笑ってハスフェルの背中を叩き、二人揃って笑いだした。そして、二人はしっかりと握手をしてからこっちを見た。
「ケン。どうぞこれをお持ちください。樹海産の火酒です」
リューティスから手渡された大きなガラスの瓶は、コルクのようなもので栓がしてありずっしりと重い。
「ありがとうございます」
それを見て、素早く鞄に入ってくれたサクラに飲み込んでもらった。
「それじゃあ、一晩ありがとうございました」
そう言って、鞍をつけていないマックスの背中に飛び乗る。
その時、気が付いた。
彼の後ろにリュートが隠れていたことに。
何と言おうか一瞬戸惑った時、リュートはおずおずと出て来て、俺を見上げて笑った。
「ケン、また来てくださいね! それまでに、私、もっと大きくなります!」
それを聞いて、思わず吹き出した。ハスフェル、お前、何を言ったんだよ。
「期待してるよ。それじゃあね」
半ば冗談、半ば本気でそう言って笑って手を振る。
彼女が大きくなって良い女になる頃には、きっと俺の事なんて忘れてるさ。
笑顔の二人に見送られて俺達は獣人の村を後にした。
ハスフェルの先導で、来た時よりも余裕を持って周りを見ながら後について行き、昼前頃に、樹海の中にある奇妙な場所に連れて来られた。
「へえ、確かに樹海の中と外では明らかに植物も違うんだな」
マックスの背の上で、周りを見ながらそう呟く。
ゴロゴロと転がる苔生した岩から生えているそれは、俺の背丈の半分ほどしかない低木樹だ。しかし、よく見るとその枝は棘だらけだ。
「ここにもジェムモンスターがいる、見えるか?」
ハスフェルの言葉に、改めて周りを見回す。
少なくとも木には何も見えない。足元の土も見たけれど、別段変化は感じられなかった。
「ええ? どこにいるんだよ。ジェムモンスターなんて見えないぞ」
俺の言葉に、苦笑いして頷くハスフェルを見て、もう少し木に近づいて確認する。
よく見ると、木に俺の嫌いな芋虫が何匹もついているのに気が付いた。だけど、これはいわゆる普通サイズの芋虫に見える。
「なあ、これじゃないよな?」
「これって何だ?」
「この、芋虫」
指先で示すと、彼は黙って首を振った。
「じゃあ何だよ。俺には何も見えないんだけどな」
すると、マックスが顔を上げて振り返って俺を見た。
「目の前にいるのに見えないんですね。鑑識眼でも見えていないのか、それとも気付いていないのか?」
どうやらマックスもニニも気付いているらしく、警戒しているようだ。
そこまで言われたら何だか悔しい。
もう一度改めて目の前をしっかりと観察する。
「あれ? 木がさっきよりも大きくなっているような……ああ! これか! この木がジェムモンスターか!」
気付いた俺は、慌てて剣を抜いた。
「正解だ。こいつはタートルツリー。つまり、木を背中に生やした亀なんだよ。ほら、降りろ」
彼がシリウスから降りるのを見て、一旦剣を収めた俺も地面に降りる。
確かに、苔生した岩だと思っていたそれは、手足を引っ込めた亀そっくりだった。
「こいつは、樹海のジェムモンスターの中では比較的安全だ。まあこれも経験だ。一度戦ってみるといい」
「危なくなったら助けてくれよな!」
剣を抜いた俺は、構えながらそう叫んだ。
マックスとニニも身構える。タロンやセルパン、ラパンも巨大化してそれぞれ身構えた。
スライム達は、跳ねて俺のそばに来てくれた。いつもの布陣だ。
岩の割れ目から、ゆっくりと大きな手足や顔が出るのを、俺は身構えたまま見つめていた。
さあ、初めての樹海でのジェムモンスターとの戦闘開始だ!