彼女の紋章
「わ、私の、私の、仲間に……仲間になれ!」
悲鳴のようなリナさんの叫び声に、掴まれたままだったピンクジャンパーがいきなり暴れ出した。
と言っても、体を背中から鷲掴みにされているので、脚をジタバタさせているだけだ。
俺達は息を潜めて待ったが、ピンクジャンパーからの返事が無い。
嫌がるように暴れるピンクジャンパーの体を鷲掴んだままのリナさんは、過呼吸寸前なくらいの早い呼吸になっている上にぷるぷると震え始めた。そして顔面蒼白。
「これは、まだちょっと無理だったかな?」
見兼ねた俺が小さくそう呟いた時、アルデアさんが静かにリナさんの背後に近寄り、背中越しにパニックになっている彼女をそっと抱きしめたのだ。
「俺の愛しい女神、リナライト……大丈夫だ。落ち着いてゆっくり呼吸するんだ。ほら、吸って、吐く、吸って、吐く」
静かな声でそう話しかけながら、彼女の胸元を抱きしめた手でゆっくりと叩き始めた。
過呼吸寸前だった彼女の呼吸が、アルデアさんの叩くリズムに合わせて次第に落ち着いていく。
呼吸が元の早さに戻ったところで安堵のため息を吐いたアルデアさんは、ゆっくりと抱きしめていた腕を離した。
「よし、もう大丈夫だな。ほら、今度はゆっくりと願いを込めてもう一度言ってごらん」
もう、俺の出番ゼロ。
完全に二人の世界に入ってるよ。くう、リア充め〜。
アルデアさんの言葉に無言で頷いた彼女が、改めて掴んだままだったピンクジャンパーに向き直る。
いつの間にか暴れていたピンクジャンパーはすっかりおとなしくなっていて、手足を丸めるようにして掴まれたままじっとしている。
「私の仲間になれ!」
今度は、はっきりと一気にそう言い切る。
そして先ほどとは違って、その声には力があるのが俺にも分かった。
一瞬硬直したピンクジャンパーは、その言葉に鼻をヒクヒクとさせた後、小さく口を開いた。
「はい、貴女に従います!」
はっきりと返事をした直後に、ぴかっと光ったその体がどんどん大きくなっていった。
「ああ、大きくなった!」
リナさんの叫ぶ声と、アーケル君の声が重なる。
小さな手ではとうとう掴みきれなくなって、解放されたピンクジャンパーは空中でくるっと一回転してから綺麗に脚から地面に着地した。
そのまま後ろ脚で地面を蹴って、リナさんに抱きつくみたいに飛びついていった。
「おいで!」
両手を広げて飛びついてきたピンクジャンパーを抱きしめる。
大型犬くらいのサイズになったピンクジャンパーに飛びつかれて、小さな体では堪えきれずに押し倒されるリナさん。
まるで、初めて見たこの世界で、巨大化したマックスやニニに再会直後に押し倒された俺みたいに、リナさんは完全にピンクジャンパーの腹の毛に埋もれてしまった。
「うわあ、これは最高のもふもふ攻撃だぞ」
思わずそう呟くと、俺の声が聞こえたらしいアルデアさんが吹き出し、時間差でハスフェル達も吹き出した。
「ふわぅ、ちょっ……待って……ああ、駄目。こんな、こんな幸せ……」
うわ言みたいなリナさんの声が聞こえ、緑の毛の間からわずかに見えている彼女の足の先が、ピクピクと痙攣したみたいに動いている。
しばらくすると静かになったけど、違う意味で大丈夫か心配になってきたぞ、おい。
しかし、ドヤ顔のピンクジャンパーがゆっくりと起き上がって胸元を覗き込む。
仰向けに倒れたリナさんは、笑いながら泣いていた。
ピンクジャンパーはリナさんから離れてそのまま横に座る。
小さな深呼吸をしてから起き上がったリナさんは、流れる涙を拭いもせずに巨大化したピンクジャンパーの前に立つ。
「テネル、あなたの名前だよ」
泣きながらもはっきりとそう言って、右掌をピンクジャンパーに向けて差し出した。
「紋章は、どこに付ける?」
「ここに、ここにお願いします!」
そう言いながら右手に額を押し当てるみたいに頭突きしてくるピンクジャンパーに、リナさんは泣きながら笑って頷いた。
その額を掌で受け止めて押し返すみたいに力を込める。
次の瞬間、また光ったピンクジャンパーは今度は元の大きさに戻った。
まさにリアル子兎サイズ。これは可愛い。
言葉はなく。無言で見つめ合うリナさんとテネル。
リナさんは、小さくなったテネルを両手で掬い上げるみたいにして抱き上げると、その場に座り込んで声を上げて号泣した。
「ありがとう。ありがとう。絶対に、絶対に、大事に、する、から……私の、私の、従魔になってくれて、ありが、とう……」
大声で泣きながらも何度もそう言って両手で抱き上げたテネルに頬擦りする。
「ご主人、泣かないで。大丈夫、ずっと側にいるからね」
嬉しそうに目を細めてそう言いながら、リナさんになされるがままのテネルはちょっと得意げに見えた。例え、リナさんの涙と涎でそのふかふかの毛が全身ベトベトになっていたとしてもね。
黙って見ていた俺達は、顔を見合わせて頷き合うと揃って大きく拍手を贈ったのだった。
そして俺達のすぐ横では、アルデアさんもまた流れる涙を拭いもせずに、声も無く滂沱の涙を流していたのだった。
「おめでとう母さん!」
しんみりとした雰囲気を吹っ飛ばすかのように、笑ったアーケル君に背中を叩かれて、リナさんはようやく泣くのをやめて顔を上げた。
「へえ、これが母さんの紋章なんだ。可愛いじゃん」
感心したようにそう言いながら、小さくなったピンクジャンパーの額を撫でる。
その小さな額には、意匠化された双葉の紋章が綺麗に刻まれていたのだ。
横向きに、恐らく地面を表しているのだろう直線から、丸っぽい双葉が芽を出している。そしてその地面から生えた双葉の周りを二重の丸が囲んでいた。
丸の外側部分は、ちょうど花丸模様のような花びら模様がぐるっと描かれていたのだ。
なんとも女性らしい可愛らしい紋章に俺達も笑顔になる。
「ああ、ずるい。ご主人、アクアウィータにも紋章くださ〜〜い!」
ジェムを集めていたスライム達の中から、透明なスライムが一匹跳ね飛んできた。そのこの額には紋章が無い。
「ああ、ごめんごめん。本当ならアクアウィータが先だったね」
笑ったリナさんは、テネルをそっと地面に降ろすと、代わりに跳ね飛んできたスライムを両手で受け止めた。
「ここで良いか?」
俺のスライムと同じ上側部分を指先で突っつく。
「はあい、そこでお願いしま〜す!」
びよ〜んと伸び上がったアクアウィータに、リナさんが笑って右手をかざした。
そのまま上からぐいっと押さえるようにする。
一瞬光った後には、テネルと同じ双葉マークが綺麗に刻まれていた。
「わあい、紋章貰った〜〜!」
そう言いながら嬉しそうに跳ね飛ぶアクアウィータを見て、リナさんは今度は顔を覆って泣き出してしまったのだった。