おはようの後
「うん……」
久し振りに、誰にも起こされず俺は何となく目を覚ました。しかし、まだぼんやりしていて目が開かない。
胸元に、なんだか暖かくて柔らかいものがある。
……何だこれ? タロンじゃ無いし……。
それは丁度抱き枕みたいな大きさで、俺は寝ぼけたままなんとなく、胸元の暖かなそれを抱きしめた。
「ひうっ!」
すると抱き枕が、妙な音を立てた。
あれ? ちょっと待てよ? ここに抱き枕なんか有ったっけ?
不意にはっきりと目を覚ました俺は、目を開いた瞬間、俺の顔のすぐ近くで真っ赤になっているリュートと目が合った。
そう、俺が抱き枕だと思って抱きしめていたのはリュートだったのだ。
「あはは、ごめんごめん。こんなおっさんに抱きつかれたら、困るよな」
誤魔化すようにそう言って、慌てて抱きしめていた手を離した。
しばらく奇妙な沈黙が続き、俺達は無言で見つめ合った。
「お、おはようございます……」
ややぎこちない笑顔のリュートにそう言われて、慌てて俺も挨拶をした。
「ああ、おはよう。何だよ、今日は起こしてくれなかったんだな」
呆れたように側に来たタロンに、話を逸らして抱きつく。
「浮気者。知らない!」
しかし、いつもなら喜んで擦り寄って来てくれるのに、タロンは俺の腕からするりと抜けだして、そのままちょっと離れたところへ行ってしまった。
う、浮気者って何だよ?
思わず言い返しそうになって、リュートには従魔達の声は聞こえていない事を思い出した。
横を見ると、マックスとニニも呆れたように俺を見ている。
ええ? ちょっと待てよ。俺、そんな目で見られるような事、何かしたか?
「おはようさん。なあ、腹が減ったぞ」
その時、ベッドから声がして、振り返るともうすっかり身支度の終わったハスフェルが笑いながらこっちを見ていた。
「ああ、おはよう。ごめんよ、すぐ準備するから待っててくれよな」
もふもふパラダイス空間から起き上がって、俺もいつもの防具を順に身に付けていった。
リュートも起きて、こっちに背中を向けて身支度している。
その間に、こっそりサクラに綺麗にしてもらい、サンドイッチをいくつか取り出した。
「ええと、リュートは、コーヒーよりもミルクか紅茶の方が良いか?」
「いえ、もう明るくなりましたので家に帰ります。あの……お世話になりました!」
耳がまたへにゃんとなってるのに、リュートはそう言って頭を下げると、大急ぎで扉に駆け寄り、本当に出ていってしまった。
「あ、おい、大丈夫か?」
様子が変な事が気になって、慌てて後を追って扉から飛び出すと、道の真ん中で振り返ったリュートが笑顔で手を振ってくれた。
「美味しいご飯を、ありがとうございました!」
「気を付けてな」
もう一度手を振って、走り去る姿が見えなくなるまで見送った。
「いっちゃったよ。それじゃあ朝飯にするか」
扉を閉めて振り返ると、ハスフェルとシャムエル様が顔を寄せて何やら真剣な顔をして話をしていた。
まあ、神様同士だし俺には分からん事で話をしているんだろうな。程度に考えて、俺はサクラが待っている机に戻った。
「じゃあ、せっかくだしコーヒーセットを出してくれるか。一度、あのコーヒーミルを使ってみるよ」
サクラが取り出してくれるコーヒーセットを受け取っていると、タロンが俺の足元に来て俺の足の上に座った。
「ケン、センス無さすぎ。コーヒーミルを使ってみるって何!」
「え? 何が?」
思わずそう言い返して、ちょっと考えてから吹き出した。
「コーヒーミルをツカッテミル。あはは、これはまた見事に韻を踏んだなあ」
何を言われてるのか分かって遠い目になる俺に、鼻で笑ったタロンが足元に頭突きをして来た。
「今すぐ美味しい朝ごはんを出してくれたら、今のは聞かなかった事にしてあげるわ」
「ぜひ、それでお願いします!」
笑った俺はそう言うと、タロン用の食器と、ハイランドチキンのムネ肉を取り出し、大きく一切れ切ってお皿に乗せた。
「はい、どうぞ召し上がれ」
態とらしく一礼して出してやると、きちんと足を揃えてお行儀よく座ったタロンは、猫みたいに、ニャンと嬉しそうに鳴いてから食べ始めた。
その様子を見ながら、俺はコーヒー豆をミルにセットしてハンドルを回し始めた。
ガリガリと音を立てて、コーヒー豆が挽かれていく。
「へえ、案外簡単に挽けるんだな。うん、これは時間のある時なら、やってもいいかも」
小さな引き出しに入った、細かくなった豆をパーコレーターにセットして、水を入れて火にかける。
「ハスフェルはどれにする?」
何種類か出したサンドイッチを見て振り返ると、彼は朝からガッツリ肉を挟んだのとタマゴサンドを取り、俺は、同じくタマゴサンドと鶏肉と野菜がたっぷり入ったのを取る。
少し濃いめのコーヒーは、たっぷりの牛乳を入れてオーレにした。
「はい、どうぞ」
それぞれ、手を合わせてからサンドイッチとコーヒーを食べた。
うん、やっぱりこのタマゴサンド美味い!
残りの半分を食べようとしたら、シャムエル様が、俺の皿の横に座って両手を差し出している。
「あ、じ、み! あ、じ、み!」
「はいはい、少々お待ちください」
すっかりシャムエル様用になった、小さな皿を出してもらい、ナイフで玉子のたっぷり入ったところを切り取ってやる。
「はい、どうぞ」
「わーい! 今日はタマゴサンド」
両手で持って目を細めて食べ始めるシャムエル様を見ながら、俺は、残りのタマゴサンドを平らげた。
食後に、洗ったイチゴを少し取り出して摘んでいると、ハスフェルが、同じくイチゴを摘みながら俺を見てニヤニヤしているのに気が付いた。
「何だよさっきから。俺の顔に何か付いてるか?」
ちょっと物言いたげなその笑い方が気になってそう言うと、彼は態とらしいため息を吐いた。
「なあ、お前さん。まさかとは思うが……気付いてないのか?」
「何が? 俺が何を気付いてないって?」
すると、彼は机の上に座って、俺があげたタマゴサンドを齧るシャムエル様を指で突っついた。
「ほら、俺の勝ち。絶対あいつは気付いてないって言っただろう」
「ええ。気付いてて、わざと知らない振りをしてるんだとばかり思ってたのに!」
悔しそうにそう言うと、シャムエル様は何やら小さな金属を取り出して彼に渡した。
それから、二人揃って顔を見合わせて吹き出したのだ。
「なあ、俺だけおいていかれてるんだけど一体何の話だよ」
最後のイチゴを摘みながらそう言うと、俺の後ろに姿を表したベリーが近寄って来た。
「ねえケン。確認しますけど貴方、昨夜、リュートが何を言いたかったか分かってます?」
「へ? 昨夜って?」
本気で分からなくて困っていると、ベリーまでが呆れたようなため息を吐いた。
「ハスフェル達は完全に面白がって傍観者に徹するみたいですからね。仕方がありません。私が教えて差し上げましょう」
頷いて、俺はベリーに向かって座り直した。
「彼女は、貴方の事が好きだったんですよ。それで一緒に寝てもいいかと聞いたんです。その意味がわかりますか?」
「……今、なんて言った?」
頭の中が真っ白になる。
「彼女は、貴方の事が好きだったんですよ。それで一緒に寝てもいいかと聞いたんです。その意味がわかりますか?」
もう一度、同じ言葉を繰り返すベリー。
彼女?
え? 彼女って。誰の事だ?
無言で固まる俺に、ベリーはもう一度、これ見よがしの大きなため息を吐いた。
「まさかとは思っていましたが、そこからですか! はっきり教えて差し上げます。リュートは女の子ですよ!」
リュートって……
リュートって……
ベリーの言葉が、頭の中で繋がるまでしばらくかかった。
「はああ? 冗談はよしてくれよ。だってあの子、僕って、僕って言ってたぞ」
思わず叫んだ俺は、間違って……あれ? やっぱり間違ったのか?
頭の中は完全にパニックになり、俺は頭を抱えて座り込んだ。
何やら部屋にいる全員から哀れみの視線を感じるのは、俺の気のせいだって……誰か言ってくれ!