樹海の夜と無自覚フラグクラッシャー
「それにしても、リュートの家だってこの村の中にあるんだろう? 俺は別に泊めてやるのは構わないけど、どうして、すぐそこにある家に帰れないんだ?」
鞄に入ったサクラに色々出してもらいながらそう尋ねると、リュートは困ったように分厚い透明なガラスっぽいものが嵌った窓を見た。それは恐らくジェムモンスターの羽なのだろう。
窓から見える外は、既に真っ暗になっている。
慌てたように窓に駆け寄り、カーテンを閉める。そして、俺たちを振り返った。
「樹海では、日暮れと同時に世界が変わります」
振り返ったリュートは、机に置かれたハスフェルがいつのまにか灯してくれた、煌々と灯るランプの明かりを見る。
これと、天井から吊るされた大きなランプに灯された明かりのおかげで、部屋の中は真昼のような明るさだ。
「ええ?どう言う事だ?」
パンを取り出していた俺が振り返ると、思いの外真剣なリュートがこっちを見ていた。
「夜は、樹海の闇の住民達の世界になります。我々は光の世界、つまり昼の世界の住民ですから、日が暮れた後に迂闊に外に出ると、闇の世界の住民達に喰われかねないんです」
「闇の住民って……何が出るんだよ?」
パンを切る手を止めて聞かずにいられなかった。
知らずにうっかり野営をしていてそんなのに出くわしたら、悪夢なんてレベルじゃ無いぞ。
「ああ、外の世界では大丈夫だと聞きます。あくまでも、それは樹海の中での話ですから」
驚く俺に、リュートは慌てたように説明してくれた。
「私は見た事はありませんが、一番恐ろしいのは、闇食いと呼ばれる、真っ黒な熊のようなジェムモンスターだそうです。漆黒の闇の中から出てくるそいつに捕まったら最後、もう絶対に闇から抜け出せなくなるのだとか……」
リュートの耳が、またしてもぺしゃんこになり、尻尾までもが足の間に挟まれてしまった。リュートは、猫耳と尻尾があるだけで、他は人間と変わらないように見えるんだが、獣人の証明である耳と尻尾は、何というか、すごく感情が判りやすそうだ。
「他には黒綿と呼ばれる、黒い雲のようなものもいます。これは空中を漂って音も無く移動して、背後から人を包み込み、動けなくしてから喰うそうです」
「怖っ。うん、絶対夜の樹海には出ないようにするよ」
苦笑いした俺は、気分を変えるように深呼吸を一つして、揚げたての唐揚げをお皿に山盛り出してやった。
サラダと一緒に、スープも温めて深めのお椀によそって並べる。
「はい、どうぞ。好きなだけ食べていいぞ」
机の上に並べられた唐揚げの山を見てリュートが目を輝かせる。
「ええ! いつの間にお料理したんですか?」
「ああ、俺も収納の能力を持ってるからさ。料理したものをいくつも中に持ってるんだ。な、こうしておけば、いつでも作りたてが食べられるだろう?」
「すごいです! 本当にこれを食べても良いんですか?」
リュートの細い尻尾が、いつの間にか出て来て、大興奮したかのようにぶんぶん振り回されている。はは、本当に判りやすいな。
「もちろん。さあどうぞ」
カトラリーを取り出して適当に並べてやると、もっと嬉しそうになった。
しかし、椅子に座ろうとしたリュートは、俺がタロンの為の鶏肉を取り出すのを見て、慌てたように駆け寄って来た。
「あの、何かお手伝いする事はありませんでしょうか?」
「ああ、大丈夫だよ。これはこいつのご飯だから」
タロン用のお皿に切った鶏肉を入れて置いてやると、足元で待ち構えていたタロンが大喜びで食べ始めた。
「可愛いですね」
タロンの前に屈み込んだ彼は、満面の笑みで鶏肉を食べるタロンを見つめていた。
「貴方はいつもあの方から食事を貰っているの? いいなあ、羨ましいわ」
タロンの背中を撫でながら小さな声でそう呟いたリュートの声は、離れていた俺に聞こえなかった。
目を輝かせて唐揚げを食べる彼を見ながら、俺は今更だがハスフェルに小さな声で尋ねた。
「なあ、あの子の食事は俺たちと一緒で良かったんだよな?」
「もちろん。体の構造は基本的に人間と変わらないぞ。まあ少々身体能力が高い程度かな。うん、これは美味い」
大きな口で、唐揚げを食べながら頷く彼を見て、俺も安心して自分の唐揚げを食べた。
うん、自分で作って言うのもなんだが、唐揚げはやっぱり美味いね。
「あ、ベリーの果物出してやらないと」
部屋の隅に、いつもの微かな揺らぎが見える。振り返ってふと思った。あれ? リューティスはベリーの事は見えてなかったのか?
ベリーを見て、ハスフェルを見ると、彼は苦笑いして頷いた。
って事は、リュートがいるここでベリーが姿を表すのは、ちょっとまずいんじゃないのか?
いつのまにかシャムエル様がいなくなってると思ったら、ベリーのすぐ側の床に現れて、こっちに向かって手を振っている。
「ベリーの事は心配しないで良いよ。私が出しておくからね」
隣に、いつのまにか鞄から出てきたサクラが跳ねているのを見て、俺は安心して食事を再開した。
「これ、初めて食べました。すっごく美味しいです」
見ると、リュートのお皿には、もう少ししか唐揚げが残っていなかった。
「足りないなら、まだあるぞ」
しかし、リュートは笑って首を振った。
「もうこれ以上食べたら、お腹がはち切れちゃいます」
「そうか、それなら良いけど遠慮するなよ」
俺の感覚ではやや痩せているような気がするが、獣人の標準が分からないので、深く追求するのはやめておこう。
食後に、緑茶を入れて、リュートにも出してやる。
しかし、予想通り猫舌だったらしく、熱々のお茶を焦って飲もうとしているのを見て、笑って止めてやった。
「冷ましてからゆっくり飲めば良いよ」
軽く背中を叩いてやると、いきなり背筋が伸びて尻尾がピンと立った。
あれ? 触っちゃ駄目だったか?
何故だか真っ赤になったリュートを横目に、俺は息を吹きかけながら緑茶を飲んだ。
食後はやっぱり緑茶がいいよな。はあ、和む。
ゆっくり休憩したら、汚れた食器をサクラとアクアに全部まとめて綺麗にしてもらう。
「スライムって、すごいんですね」
目を見張って感心するリュートに、俺は笑って誤魔化した。これも見せて良かったのかな?
まあ、ハスフェルもシャムエル様も止めなかったんだから、別に大丈夫だろう。
それから、ハスフェルが自分が飲みたいと言って持っていた酒を出してくれたので、俺も少し分けてもらった。
焼酎っぽいその酒はめっちゃ美味かったよ。
「ああ、街で酒を買ってこようと思っていたのに、すっかり忘れてそのまま出てきちゃったよ」
思い出して悔しがる俺を見て、ハスフェルは吹き出した。
「酒なら、かなり持っているから遠慮するな。じゃあ、道中の酒は俺が提供するよ。飲みたくなったらいつでも言ってくれ」
「ありがとうハスフェル!」
目を輝かせる俺を見て、ハスフェルはまた吹き出し、シャムエル様まで一緒になって笑っていた。
リュートはさすがにお酒はまだ早いからと、もう一度別のお茶を出してやっていたのだが、しばらくすると欠伸を何度も俯いてかみ殺しているのに気が付いた。
恐らく早く寝るのが習慣なのだろう。
「じゃあもう寝るか」
残りの酒を飲み干して、出していた食器を順番にサクラに片付けてもらった。
手早く装備を脱いで楽な格好になると、既に床で丸くなっているマックスとニニの側へ行く。
「じゃあ、ベッドはリュートが使ってくれよな」
しかし振り返ってそう言うと、驚いた事に、そのリュートは上着を脱いで、俺のすぐ後ろにくっついて来た。
「あの……一緒に……ても……良いですか?」
消えそうな声でそう言われて、俺はニニのいつもの腹毛を見た。
成る程、このもふもふを見たら、そりゃあ潜り込みたくもなるだろうさ。
「ああ、もちろん良いぞ」
ニニとマックスの間は、二人ぐらい寝ても十分広い。
俺がそう返事をして横になると、何故だか真っ赤な顔をしたリュートが俺のすぐ横に潜り込んできた。俺の背中側には巨大化したラパンが、そしてリュートの足元に、タロンがくっついて来た。
それを見たハスフェルは、また何か言いたげだったが、黙って灯りを落としてくれた。完全には真っ暗にせず、薄明かりが灯った状態にしている。寝る時であっても部屋の中でも真っ暗にはしないみたいだ。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
俺の声に、振り返ったハスフェルがそう答えてベッドに潜り込んだ。
薄暗がりの中、すぐ近くにぼんやりと見えるリュートは丸くなっていて、もう眠っているみたいだった。
俺も目を閉じてニニの腹毛に顔を埋める。
しばらくしてウトウトし出した頃、寝返りを打ってこっちを向いたリュートが、俺にしがみついて来た。
「可愛い。弟がいれば、こんな感じなのかな?」
兄弟のいなかった俺は、雑魚寝ってものをしたことが無い。
嬉しくなった俺は、しがみついてくるリュートを抱き返してやり、そのまま気持ちよく眠りの国へ旅立っていった。
いつのまにか目を開けたリュートが、暗闇の中でも解るぐらいに真っ赤になっていた事なんて、その時の俺は知る由もなかった。