樹海の村にて
「はあ、全くもう。大事な毛皮に何してくれるんだよ」
シャムエル様が、俺の目の前で尻尾を丁寧に撫でて綺麗にしている。良いじゃんか、ちょっとぐらいもふもふさせてもらっても。別に減るもんじゃ無し。
それから、俺の名誉のために言っておくけど、断じて鼻水は拭いてないぞ!
ようやく笑いの収まった俺達は、お互いの顔を見て、やっぱりもう一度笑いながら思い切り舌を出し合った。
「いい歳して、二人揃って何をしているんだ」
呆れたようなハスフェルの声に、我に返って二人揃ってもう一度声を上げて笑った。
なんかもう、色んな事がどうでもよくなったよ。何を言ったって今更だ。
うん、もうこの話は終わりだ!
気分を切り替えるように大きく深呼吸して振り返った俺は、呆気にとられてこっちを見ている、いつの間にか増えた獣人達に気が付いた。
「あ、お騒がせして申し訳ありません」
すっかり忘れてたけど、ここは樹海の中にある獣人の集落だった。代表者らしき方と挨拶したっきりだったね。
リューティスと名乗った犬耳の男性は、村のまとめ役のような存在らしく、外部からの来訪者には彼が対応を一手に引き受けているらしい。
そしてそのリューティスも、当然世界の危機を知る人物で、ハスフェルの事は、詳しくは知らないがただの冒険者じゃないって事は分かっているらしく、時折訪ねてくる彼とは、飲み友達なんだそうだ。
「お話は終わりましたか。それではどうぞこちらへ」
最初に挨拶した、犬耳の白髪の男性が、にっこり笑って俺達を集落の奥にある大きなログハウスに案内してくれた。
「ご滞在中は、どうぞこちらの建物をお使いください」
そう言われて、そのログハウスの前でマックスから降りる。
「従魔も中にご一緒にどうぞ。樹海では、夜に建物の外で寝るのは危険ですから」
マックス達も中に入って良いとの許可をもらったので、結局いつものように全員揃ってログハウスの中に入った。
広い真ん中の部屋には、木製の大きな机と椅子のセットが置かれ、奥の窓際には木製のベンチも見える。
その隣にはこれも木製の綺麗な衝立があり、その衝立の向こうには、大きなベッドが置いてあった。
床には明らかに手織りと思われるラグが敷かれ。大きなベッドにも、いかにも手織りの綺麗な幾何学模様の入った大きな布が被せられていた。
「へえ、見事だけど、これってもしかして作ってるんですか?」
ベッドカバーは、手触りも柔らかくとても気持ちが良い。
「もちろんです。これだけの幅の布を織る事が出来るのは、村でも数名のみでございます」
自慢気な、リューティスの言葉に、納得して改めて布を手に取った。
織り機があるって事は、それなりの構造の機械を作れるって事で、やっぱり最初に思っていた以上に、この世界の文化水準は高いようだ。
感心して布を眺めていると、さっきの猫耳の子供がすぐ近くまで寄って来た。
「あの、貴方があの魔獣を全部テイムなさったんですか?」
目をキラキラに輝かせながらそんな事を聞かれてしまい、俺は苦笑いをして首を振った。
「俺がテイムしたのはジェムモンスターだけだよ。ハスフェルが乗っているグレイハウンドは、彼と二人でテイムしたんだよ。こいつら二匹は、シャムエル様からの贈り物だ」
「シャムエル様? 凄いですね。創造主様が授けて下さったんですか?」
不思議そうに聞かれて、俺は焦った。
あれ? もしかしてこれって、さっきのリューティスとシャムエル様の話とか、俺とシャムエル様の話とか、全然わかってない顔だよ。
「えっと、ここの人達にはシャムエル様って見えてないのか?」
右肩に座っているシャムエル様を横目で見て、小さな声でそう尋ねると当たり前のように頷かれた。
「言ったでしょう、この世界で私の姿が見えるのは、ベリーみたいなごく一部の賢者達だけで、普通は見えないし声も聞こえないんだよ」
その言葉に、我に返った俺はちょっと遠い目になった。
「えっと……じゃあ、もしかしてさっきの俺って、独り言言ってる変な奴だったりした?」
思いっきりシャムエル様と普通に会話してたよ。
そうだよな。リューティスも、ハスフェルと話をして俺が異世界人だって聞いたんだったよ。
「ああ、今の私は、他の人達にはリスみたいな可愛い従魔だと思われてるよ。この姿は見せているけど、声は届けていないからね」
それを聞いて、さっきのは、従魔と戯れていたという事にしておく。
「凄いです。ケン様も賢者であるハスフェル様のお友達ですから、やっぱり賢者様なんですね」
俺がこっそりシャムエル様と内緒話をしている間に、子供は勝手に納得したらしく、俺の事まで賢者だとか言い出したよ。
「違うよ。俺はただの魔獣使いだよ。ケンって呼んでくれ、様は無し」
「分かりました、僕はリュートです。よろしく、ケン」
目を輝かせる猫耳少年のリュートと握手を交わし、話をしている二人を振り返った。
「ベッドは一つしかないみたいだから、ハスフェルが使ってくれよ。俺はこいつらと一緒に寝るからさ」
「お前こそベッドで寝ろよ。俺は野宿に慣れているから、屋根のある所で寝られるだけでも十分有難いぞ」
しかし、俺は笑って首を振った。
「だって、俺はこいつらと一緒に寝るからさ。ベッドなんて要らないんだよ」
ニニの首に抱きついて鼻先にキスを贈ってやる。
嬉しそうに目を細めて喉を鳴らすニニを、リュートがまたしても目を輝かせて見ていた。
「良いぞ。触ってごらん。ふかふかだぞ」
そう言ってやると、最初は遠慮しがちだったが途中からはもう、抱きつかんばかりの勢いでニニと遊び出した。やっぱり子供は馴染むのが早いね。
「そろそろ日が暮れますので、村を閉じます。夜が明けて私がご挨拶に来るまで、絶対にこの家から出ないでください。万一勝手にお出になられた場合、命の保証は致しませんのでそのおつもりで」
一礼したリューティスが、何やら物騒な事を言って足早に家を出て行った。
ニニと遊んでいたリュートが、我に返って慌てたように立ち上がり、閉まってしまった扉を見る。
「ああ、閉まっちゃった。どうしよう。帰れないよ……」
そう呟いて肩を落とす。耳が垂れて、スコティッシュホールドみたいになった。
「ケン、泊めてもらっても良いですか。部屋の隅でお邪魔しないように寝るので、どうか追い出さないでください」
縋るような目で見られて、俺は困ってしまった。
ええ、どういう事?
同じ村の中なのに、扉が閉まっただけで帰れないって、どうして?
全く意味が分からない俺を置いて、ハスフェルは当たり前のように頷いている。
「ああ、もちろん構わないぞ。それならお前がベッドで寝ると良い。俺はそこのベンチを使わせてもらうからさ」
「駄目です。それなら体の大きさから言っても、僕がベンチで寝ます!」
二人がベッドを譲り合っているのを見て、俺は小さく吹き出した。
「なあ、とりあえずその前に飯にしないか。俺は腹が減ったよ」
「とんでもありません! 帰れなくて泊めて頂く上に食事まで頂くなんて!」
慌てたように首を振るリュートに、俺は笑いかけた。
「気にするな。食材は山ほど用意してるからさ。簡単なものだけど一緒に食おうぜ」
またしても目を輝かせるリュートの後ろでは、ハスフェルが何か言いたげに俺を見ていたが、夕食の準備を始めていた俺は、その視線に気付くことはなかった。