見学会の開始
「ふおお、これは最高だよ。ねえ、お願いだからこれも買い置きしておいてください!」
惣菜パンを食べ終えて残りのコーヒーをのんびり飲んでいると、ようやく全部乗せ巻きを完食したシャムエル様が、クリームでベトベトになった顔を綺麗にしながらそんな事を言い始めた。
「何、そんなに気に入ったのかよ。了解。じゃあちょっと買ってくるよ」
しかし聞いてみると、残念ながら全部乗せ巻きは後三つ分くらいしか作れないらしい。まあ一番高い値段だったし、元々それほど売れないって事だよな。
相談の結果、とりあえずその三つは今貰い、明日の昼くらいに取りに来るので、それまでに作れるだけ作ってもらうって事でお願いした。
一応十本分は確実に作れるらしいので、その分は前金で払っておいた。
「お待たせ。それじゃ行きましょうか」
店へ戻るクーヘンを見送り、俺達はようやく当初の目的の購入予定の家の見学に向かったのだった。
クーヘンの店に待たせていた小柄な馬のノワールに乗ったマーサさんの先導で、俺達もそれぞれの従魔に乗って目的地へ向かった。
まあ、マックスに乗っていると当然のように街中から大歓迎されてしまい、またしても俺のメンタルがゴリゴリと削られる音が聞こえた気がしたよ。いや、本当にマジで俺には村人Aくらいのモブ役がいいです。
そのまま大歓声に見送られて新市街の南側に広がる高級住宅地へ向かう。
意外な事に、ハンプールに来てすぐの頃に一度尋ねた事のあるマーサさんの自宅があったのも、その高級住宅地だったんだよ。
何でも、彼女の家のある辺りは、庶民でも頑張れば手が出る値段の家もあるらしく、この辺りに家が持てれば成功者と呼ばれるんだって。
その奥に広がるいわゆる貴族の別荘地の辺りは、まあ当然だけど滅多に売りに出るような物件は無く、売りに出たところで金額はそこらの家とは桁が違う。はっきり言って庶民には到底手の届かない高嶺の花なんだって。
その上祭り期間中なんかは、安全の為に通行証の無い一般市民の立ち入りも、ある程度は制限されているらしい。貴族ってすげえ。
一気に人通りが無くなった別荘地の広い道を、マーサさんの案内でさらに奥へ進む。
時折大きな屋敷の窓から子供が身を乗り出して、俺達の名前を呼びながら手を振ってくれたりするので、声が聞こえたら俺達も笑顔で手を振り返してやった。何やら大喜びしている子供の歓声が聞こえてきて笑えたよ。
この辺りのミーハーさ加減は、貴族も庶民も関係ないみたいだね。
「ようやくの到着だね。ここが目的の屋敷の入り口の門だよ。今は施錠してあるから開けるね」
マーサさんの言葉に、俺はマックスの背の上でもう馬鹿みたいに口を開けて見上げる事しか出来なかった。
少し前から前方に小高い丘みたいなのが見えていて、もしやとは思ってたんだけど、まさかこれほどとは。
だって、その丘の上に見える建物って、はっきり言って大邸宅だよ。白亜の宮殿だよ。
小山を全部敷地にしていると言ってたけど、山というよりはゴウル川を望める丘陵地帯の端っこ全部って感じだ。しかも、あちこちに大きな石が剥き出しになった段差があって、はっきり言ってうちの運動神経抜群の従魔達には、遊び場としては最高の天国だろうって感じだ。
しかもマーサさん曰く、ここから川まで全部が敷地内らしい。
「おいおい。予想以上だなあ、これは」
笑ったギイの言葉に、ハスフェルとオンハルトの爺さんも笑いながら頷いてる。
「じゃあ、まずは屋敷へ行こうか」
一体幾らするんだろう、なんて呑気に考えつつ、俺は半ば呆然とマックスを進ませて敷地の中に入って行った。
「ご主人、じゃあ私達は敷地内の庭を調べてきますね」
猫族軍団とセーブル、お空部隊に狼コンビ、それからうさぎコンビにベリーとフランマまでがそう言ってあっと言う間に駆け出して行った。もちろん、ハスフェル達の連れてる従魔達も、俺の従魔達と一緒に行ってしまったよ。
結局、残ったのはそれぞれの主人を乗せた従魔達とスライム達だけ。
「大丈夫か、あれ。勝手に敷地の外に出て行ったりしませんかね?」
「一応敷地内は柵と石塀で囲ってあるから、大丈夫だとは思うけどねえ」
マーサさんも若干心配そうにしている。
『大丈夫ですよ。敷地内に結界を張っておきます。そうすれば、彼らには敷地の境界線が分かりますのでご心配無く』
楽しそうなベリーの声が届き、俺はもう笑うしかなかった。
「行きましょう、マーサさん。大丈夫ですよ。あいつらなら心配いりませんって」
「まあ、ケンさんがそう言うのなら信用しますよ」
苦笑いしたマーサさんは頷いて、そのまま屋敷へ続く坂道を登って行った。
「おお、近くで見ると更にデカいなあ」
屋敷に到着したんだけど、正直言ってもうその言葉しか出て来ないよ。
ここを俺が買う? マジっすか?
まるで他人事のように考えながら、とにかくマックスから降りる。
「じゃあ中を案内するからね」
正面玄関の巨大な扉にこれまた大きな鍵を差し込むマーサさんを見ていて気がついた。
マックス達が全員揃って建物の上の階を見ている。
「ん? どうかしたか?」
マックスの首を叩いてそう聞いてやると、こっちを向いたマックスだけでなく、残った従魔達が全員揃って困ったように俺を振り返った。
「ご主人、非常に言いにくいんですが、あの家の中に……明らかに人では無い何かがいますよ」
「はあ、あの家に人では無い何かがいるって、一体何がいるって言うんだよ!」
マックスの言葉に驚いて叫んだ俺を、ハスフェル達とマーサさんが揃って振り返る。
「おい待て。今なんて言った?」
真顔のハスフェルに、俺はマックスの首を叩きながら目の前の屋敷を指差した。
「ええと、従魔達によると、あの建物の中に何かいるそうです。明らかに人では無い何かが。ちなみに何がいるかは……」
そう言ってマックスを見たが、マックスだけじゃ無く従魔達が揃って首を振る。
要するにここからじゃあいるのは分かるけど、何がいるのかまでは判断がつかないって事だよな。
狩りの得意なこいつらに気配しか掴ませないって、一体、あの建物の中に何がいるって言うんだよ。
一気に緊張の高まった俺達は、無言で目の前に聳え立つ巨大な建物を見上げていたのだった。
マジでどうするんだよ、これ。
もうこの時点で既に帰りたくなってるんだけど……俺は悪く無いよな?