バイゼン製の手押し車と儀式の始まり
スタッフさんの案内で部屋を出て、小さくなった従魔達の入った手押し車を押しながら広い廊下を歩いていくと、突き当たりにあったのは当然だが下へ降りる階段。
俺達が泊まっている部屋は、ホテルの最上階の五階にあるので当然といえば当然なのだが、上り下りは階段一択。まあこの世界にエレベーターやエスカレーターは無いんだから当然といえば当然だよな。
しかし、今は一番大きなセーブルでも中型犬サイズにまで小さくなってくれているとは言え、従魔達が全員入っている手押し車はそれなりの大きさがある。ちょっとした高級ベビーカーなんかよりもはるかに大きい。
最悪、従魔達に階段だけは自力で移動してもらうにしても、この手押し車を人力で持って降りるのは至難の業だろう。
どうするのか困って階段の前で止まると、一礼した二人のスタッフさんが何故か手押し車の左右で屈み込んで何やらゴソゴソを作業を始めた。
突然従魔達が乗っている箱の部分が一段大きく高くなった。
どうなっているのかと見てみると、箱の真ん中部分辺りで横から取り付けた伸び縮みする柱が従魔達が乗っている箱を支えている。ううん、これは高くする事に何の意味があるんだ?
そして、ジャッキの様なもので手押し車を軽々と上げたスタッフさん達が車輪の横にもう一枚不思議な形の車輪を装着した。めっちゃ手慣れてて作業はあっという間に終わった。
「これで階段を降りていただけます。向きを変えて先に降りてそのまま車を引いていただけますか」
不思議に思いつつ、言われた通りに俺が先に階段を降りて、振り返ってそのまま手押し車を引こうとして驚いた。
従魔達が乗っている箱の部分が一段大きく高くなっていた意味が分かった。
箱の横面の真ん中部分に取り付けられた柱は、その部分を支点にして箱を振り子の様にして支えている。
なので階段で土台が斜めになっても乗っている箱の部分が水平を保っているのだ。
しかも、先ほど装着した変わった形の車輪は、何と階段の高さに合わせて直角の切り込みが入った形になっていたのだ。
なので、言われた通りにそのまま手押し車を引いて階段を下りると、車輪の切り込みがそのまま階段にピタリと嵌って回るため、一段ずつ楽に階段を降りられる様になっていたのだ。
「へえ、この従魔用の手押し車、階段も上り下り出来る仕様になってるんだ。すげえ」
足元に気を付けつつゆっくりと降りながら、回る階段型の車輪を見て感心してそう呟く。
「これもバイゼン製だな。階段のサイズに合わせて車輪を特注するから、どこででも使える訳じゃないがな。ここの様にホテルや倉庫などではよく使われているぞ。難点は、一々車輪の出し入れと箱の上下をするのが面倒って事だな。しかも面倒だからと階段型の車輪で普通の廊下を歩くとこれがまた大変な事になるからのう」
隣を降りているオンハルトの爺さんの説明に、感心して頷いてから首を傾げた。
ん? どうして階段型の車輪だと廊下は進めないんだ?
不思議に思って改めて階段型の車輪を見てみる。
要するに、横から見たら普通の円盤に階段の大きさの直角の切り込みを円の縁に沿って切ってあるだけ。
だが、逆に言えば丸かった車輪が多角形の形になっている訳で、そのまま進もうとすれば当然多角形の車輪で進む事になる訳だ。
子供の頃に遊園地の体験型アトラクションで、車輪が四角や三角などの形になった自転車に乗った事があるんだが、とにかく三角や四角の車輪が回るたびにガタガタと乗っている部分が上下して酷い乗り心地で、尻は痛いし首は痛いしで乗りながら大笑いした覚えがある。
そうだよな。車輪は丸いから常に車軸の位置から一定の距離をまわるけど、多角形の場合は凹んだ部分と出た部分で中心からの長さが違うからそのまま回るとガタガタと上下する事になる訳だ。
納得して階段を降りながら、次の目的地に想いを馳せた。
これはますますバイゼンへ行く楽しみが出来たな。資金には余裕があるんだから、マジで何か面白そうな道具とかあったら買ってみよう。
そんな話をしつつ、神殿の分所がある地下一階まで降りて来た。
確かに踊り場部分はガタガタと車が揺れて、乗っていた従魔達が慌てて踏ん張る様子に皆でその度に大笑いしたよ。
無事に地下一階まで降りたところでスタッフさん達がまた手押し車の箱を下ろし、車輪も元に戻してくれた。
お礼を言ってそのまま廊下を進む。
そこでもう一つ気が付いた。
俺とランドルさんは、自分の従魔達の乗った手押し車を押しているので二人共普通に歩くよりも若干進むのが遅い。それも当然で、廊下は全て毛足が長い絨毯が敷いてあるので車輪が埋まって少し押しにくいのだ。
それに、この従魔用の手押し車、絶対最近は使われていなかったのを慌てて出してきたって感じで、若干車輪の動きが悪い。
「機械油を差して欲しいなあ。でも、この世界に機械油とかってあるのかな?」
小さくそんな事を呟きつつ、ようやく目的の神殿の分所に到着した。
従魔達が嬉々として箱から飛び降りて、いつもの大きさに戻る。
猫族軍団は全員普通の猫サイズのままだし、草食チームも普段の小さいサイズのままだ。
だけど、狼達とヤミーは全員いつものサイズに戻った。
つまり、小型犬サイズになっていた狼達はいつもの大型犬サイズに。そしてセーブルはいつもの普通の熊サイズだ。
それを見て目を見開いたのは、祭壇の前で待ち構えていたちょっと立派な服を着た神官らしき人で、最後にランドルさんの横にいる猫サイズとは言え巨大な牙を持つサーベルタイガーのクグロフと、いつもの大きさになったために頭がはるか上になった、ダチョウのビスケットを見て呆然と口を開けたまま固まってしまった。
「あの、紋章の登録に参りました!」
ランドルさんが大きな声で神官に話しかける。
「あ、ああ。失礼いたしました。多くの従魔を連れた方だとは聞いていましたが、まさかこれほどだったとは。いやあ、どの子も見事ですね。これは素晴らしい」
我に返った神官は目を輝かせてそういうと、大きな竜の御神体の飾られた祭壇に置いてあったトレーを手にした。
そこには見覚えのある、あの白くて細長い10センチ程の棒状の塊が置かれている。昨日申し込んで作ってもらったランドルさんの紋章の入ったハンコだ。
「では、そちらの皆様は立ち合いという事でよろしいでしょうか?」
後ろに下がって並んでいたベンチに座った俺達を見て、神官がそう尋ねる。
「はい、そうです」
揃って返事をすると笑顔で頷かれた。
「では、そちらでお待ちください」
神妙な顔で深呼吸をしたランドルさんを見て、俺達は顔を見合わせて笑い合った。
さあ、いよいよ例の儀式が始まるぞ。ランドルさんはどんな反応を示すんだろうな。