バッカスさんの店と翌朝の事
結局その夜は、紋章の申請から戻ってきたランドルさんとバッカスさんも一緒になって遅くまで飲んで過ごした。
早駆け祭りが終わったら、バッカスさんはマーサさんの不動産屋を通じてマーサさんお勧めの職人通りに近い場所にある店舗兼住宅を正式に買い取る契約をするつもりらしい。それが終われば、そのまま店の開店準備を始めるのだと聞き、俺達は揃って拍手したよ。
「せっかくだから、俺達に何かお手伝い出来る事ってありますか?」
「ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ。あるとしても掃除くらいです。それに鍛冶屋と言っても、武器だけじゃなく研ぎや修理、それに料理用の包丁や鉈、ナイフや鋏など、一般の家庭向けの品も用意するつもりです。さすがにこれを全部一から一人で作るわけにはいきませんからね。その辺りは、ドワーフギルドを通じて仕入れもするつもりです」
「成る程。それは良い考えだ。冒険者向けの武器なんて、そう毎日何本も売れるもんでも無いだろうからな。日銭を稼ぐ方法はあるのは良い事だ」
オンハルトの爺さんの言葉に、バッカスさんも嬉しそうに笑っている。
「武器職人の中には、包丁や鋏などの家庭向けのちょっとした道具を作るのを嫌がる奴もいますが、俺はそうは思いません。市井の人々の日々の暮らしの中にこそ、職人の作った良い道具が必要なんですよ」
「素晴らしい考えだな」
オンハルトの爺さんが嬉しそうに笑ってそう言うと、バッカスさんに手を伸ばした。
「其方が持っておるその武器は、もしや自分で打ったものか?」
バッカスさんが普段装備しているのは、シミターと呼ばれる湾曲した切れ味鋭い業物だ。
「ええ、これは親父と最後に打ったもので、俺にとっても大切な一振りです」
バッカスさんが笑ってそう言うと、腰から鞘ごと剣を外してオンハルトの爺さんに渡した。
「拝見させていただこう」
両手で受け取ったそれを、オンハルトの爺さんは右手で柄の部分を握りゆっくりと抜いた。
見ていると背筋が寒くなる様な、鋭利な刃が現れてギラリと光る。
「これは見事だ。バランスも良い。ふむ、久々に良いものを見せてもろうたわい」
手にしたシミターを軽く一振りしたオンハルトの爺さんは、感心した様にそう言うとシミターをそっと鞘に戻した。
「其方の進む道に幸いあれ。家を購入した暁には、新たに火を入れる炉に祝福を贈らせてもらおう」
それを聞いたバッカスさんは何故か目を輝かせる。
「あの、もしや……加護をお持ちなので?」
笑ったオンハルトの爺さんが黙って頷くと、目を輝かせたバッカスさんは返してもらったシミターを腰に戻して、差し出されたオンハルトの爺さんの手を両手で握りしめた。
「新たに火入れを行う際に加護持ちの方に祝福を頂けると、その炉は安定した火を起こせる様になるのだと聞きます。ありがとうございます。是非お願いします」
そう言って、楽しそうに二人で顔を寄せて、何やら専門的な話を始めてしまった。
その、いっそはしゃいでいると言っても良いくらいに喜ぶバッカスさんを見て、俺は不思議に思って、机の上で座ってショットグラスに入れたウイスキーを飲んでいるシャムエル様を振り返った。
「なあ、加護持ちって何?」
「今の話なら、鍛冶の神であるオンハルトの祝福を受けた者って意味だね。夢を通じて祝福を贈るんだ。まあ珍しい事だけど、無いわけじゃいよ。なんでも、炉の火を扱う際に安定する様になるんだってさ」
おお、神様の加護や祝福って何だかRPGっぽいぞ。
それを聞いて一緒になってテンションの上がった俺は、我に返って小さく吹き出した。
「いやいや、オンハルトの爺さんって、鍛冶の神様ご本人じゃんか。それなら最強の祝福をくれそうだな」
小さく笑ってそう呟くと、持っていたグラスでシャムエル様の飲んでいたショットグラスと合わせて乾杯した。
「素晴らしき仲間達に乾杯」
その後解散となり、ランドルさん達は用意された別の部屋へ、俺達は適当に分かれてそれぞれ好きなベッドルームで休む事にした。
その夜、ニニとマックスが外の厩舎にいて部屋にいないので、俺は久し振りに一人でベッドで寝たよ。
広いベッドで寝られると思っていたら、当然の様に他の従魔達が小さいまま全員俺の周りに集まってきて、俺はいつぞやの船旅の時みたいにベッドに磔になったまま寝る羽目になったよ。
当然、翌朝には身体中カチカチになっていて、起きた瞬間にそれに気付いて悶絶したよ。
やっぱり俺の安眠はニニとマックスが守ってくれているって実感したね。
ランドルさん達も呼んで一緒に部屋で朝食のルームサービスを頼んだ俺達は、美味しく頂いて少し休んでから、ホテルの中にある神殿の分所へ向かった。
ルームサービスを持ってきてくれたスタッフさんから、紋章を授ける準備が整っているとの連絡を受けたからだ。
「そういえばランドルさんって、魔獣使いの紋章を授ける時に、どうするか知ってますか?」
大きなベビーカーの様な手押し車を押しながら、俺はランドルさんを振り返りがらそう尋ねた。
ランドルさんも俺と同じ様な大きな手押し車を押している。その中には、それぞれの小さくなった従魔達が入っているのだ。お空部隊は縁の部分に留まって仲良く並んでくっついている。
なんでも部屋の中は構わないが、ホテル内を移動する際は出来るだけこの手押し車の中に従魔達を入れる様に言われたからだ。
まあこれは他のお客さんへの配慮って事だろう。
だけど、よく考えたら昨夜、従魔達は小さくなってあの部屋までそのまま廊下を歩かせていたけど、よかったのかね?
「いえ、神聖な儀式である事くらいで、どの様な手順でするのかなど全く知りません。どんな風にするんですか?」
興味津々の様子のランドルさんに俺は思わず笑ったよ。
「まあ、詳しい事は言いませんよ。楽しみにしていてください。ああ、これだけは言っておきます」
何事かと足を止めたランドルさんをもう一度振り返って俺はにんまりと笑った。
「多分、一生忘れない儀式になりますよ。でも、何があっても絶対に安全ですからそれだけはご安心を」
俺の言葉に目を瞬くランドルさんを見て、俺はとうとう堪えきれずに吹き出した。
「大丈夫ですよ。安全ですから」
もう一度そう言ってやると、首を傾げつつもランドルさんも笑顔になるのだった。
「さて、あの驚異の儀式再び! なんだけど……どうなるんだろうな。果たして、あの儀式を見たランドルさんの反応や如何に?ってな」
小さくそう呟いた俺は、笑って深呼吸をしてから素知らぬ振りで手押し車を押して歩いたのだった。