無事で良かったね
ぺしぺしぺし……。
うん、待って起きるから……。
ぺしぺしぺしぺし……。
だから待って、起きるって……あれ?
泡が弾けるみたいに、不意に意識が鮮明になる。
そうだ。シャムエル様に身体を貸して、巨大バッタの群れと戦ったんだよ。
あれからどうなったんだっけ?
ああ、そうだ。最後にメテオで焼き尽くして一面焼け野原になってたんだ。
で、それからどうしたっけ?
ってか、いつの間に寝たんだ? 俺。宿に帰ったんだっけ?
状況が分からず、慌ててとにかく起き上がろうとした。だけど、まず目が開かない。そして、身体も全く言う事を聞いてくれなかった。
「う……」
どこの令嬢の声だよ。ってくらいに、か細くて消えそうな弱々しい声が漏れる。
ええ? 今の、俺の声か?
『シャムエル様! ご主人が目を覚ましました!』
『ご主人、しっかりして!』
『ご主人、お願いですから目を覚ましてください!』
『ご主人!』
『ご主人!』
『ねえ、しっかりしてよ!』
『ご主人! 目を開けてー!』
『ご主人! 死なないでー!』
俺の耳元で大騒ぎしているのは、マックス達らしい。
ええと、いつの間にこいつらと合流してたんだ? それも記憶に無いぞ?
俺は、どうにも困ってしまった。
意識はもう完全に戻ってる。
これだけ鮮明にあいつらの声が聞こえてるんだし、どうやら、ニニとマックスに挟まって寝ている状態らしいことも分かった。
だけど、全くと言っていい程に、身体が動かない。
さっき、一瞬だけ出た声も、もう全く出ない。
「ほら、これを飲ませてあげて」
シャムエル様の声が聞こえて、俺は誰かに背中を優しく押されて、ゆっくりと上半身を少しだけ起こされた。力の抜けた頭の後ろに何かが添えられて、しっかりと支えて起こしてくれる。
それから、口元にコップが添えられて無理矢理口を開かされる。
何だよこれ、完全に介護状態じゃん。
そんな状態だったが、口に入ってきた水は冷たくてとても甘く感じた。飲み込もうと意識しなくても、勝手に喉が動いてあっという間に飲み込んでしまった。
もっとくれ。この水、超美味い!
俺の言いたい事が分かったのか、また水が差し出されて口に注がれる。
とにかく必死になって口に入れてくれる水を飲み続けた。
まるで、萎れていた身体に水が一気に届いていくように、指先の軽い痺れとともに、全身に水が沁み渡るみたいだった。
「どう、動けるようになった?」
心配そうなシャムエル様の声が耳元で聞こえる。
「うん……だい、じょ……ぶ……」
『ごしゅじーーーーーん!』
全員が声を揃えて叫び、俺はマックスに舐められまくった。
「ま……て、す、てい、だ……」
俺の言葉が分かったみたいで、慌ててマックスが離れるのが分かった。
少しだけど体の感覚が戻ってきて、俺は必死になって目を開いた。
眩しい!
羽音がして、不意に目の前が暗くなる。
ゆっくりと目を開けると、巨大化して翼を広げてすぐ近くを旋回するファルコが見えた。
どうやら、翼で影を作ってくれているらしい。
「あり、がと……」
さっきよりは少しマシな声が出た。
そして、ようやく完全に開いた目で俺は自分の置かれている状態を把握した。
予想通り、ニニとマックスの間に寝かされていたようだが、巨大化したラパンが俺の背中の後ろにいて、力の抜けた身体を起こすのを助けて支えてくれている。そして、頭を支えてくれているのは、何と巨大化したセルパンだった。
スライム達は、薄く伸びて俺の体の下で敷布がわりになってくれている。
それから、これも巨大化したタロンの頭にシャムエル様が乗り、その手には、空になったカップが握られていた。
文字通り、全員揃って介抱してくれている状態だ。
「ありがとう。何とか、動ける、みたいだよ」
まだ痺れはあるが、さっきまでの様な全く体が動かない状態では無い。
何とか笑ってそう言うと、またしても全員揃って大合唱されたよ。
「ほら、もう少し飲んで。これでもう体は動くと思うから」
差し出されたカップには、いつの間にか並々と水が入っていた。
ようやく動く様になった右手を上げて、何とかそのカップを受け取る。
だけど、握力はほとんど無くて、取り落としそうになって慌てて両手で支える。
セルパンとラパンが協力して身体をもっと起こしてくれたので、何とか自力で水を飲むことが出来た。
やっぱり沁み渡る様な美味しさに、あっと言う間に飲み干してしまう。
「うまっ。何だよこの水、甘いなんてもんじゃ無いぞ」
おお、言葉はもう元に戻ったな。大きく深呼吸して顔を上げると、泣きそうな顔のシャムエル様と目が合った。
「良かった。良かった。壊れてしまっていたらどうしようかと思ったよ。本当に良かった」
誰が壊れるんだよ。怖いからやめて。ってか、毎回その不穏な独り言は本当にやめてくれって。
苦笑いした俺に、いきなりシャムエル様は飛びついて来た。
無言で、俺の胸元にしがみ付くシャムエル様を、俺は笑ってそっと抱きしめてやった。そして、出会った時からやりたくて仕方がなかった、モフモフの尻尾を堪能させて貰った。いつ脱いだのか、手袋は無くなっていた。
おお、ニニやラパンともまた違った、極上の柔らかさ……さすがは創造主様だね。モフモフの格が違うよ。
目を閉じて、尻尾を握ってうっとりしていると、いきなり頭を力一杯叩かれた。
「私の大事な部分を、何度も何度も握ったり揉んだりするんじゃありません!」
「何その、人聞きの悪い言い方は」
思わず顔を上げて抗議すると、目が合って、同時に吹き出した。
「もう大丈夫みたいだね。起きられる?」
シャムエル様にそう言われて頷いた俺は、タロンがそっと手を咥えて引っ張ってくれるのに合わせてゆっくりと用心しながら立ち上がった。
うん。少しふらふらするけど、もう大丈夫みたいだ。
ようやく落ち着いて周りを見渡して、俺は驚きの声を上げた。
寝かされていた場所は、一面の焼け野原では無く、短い草が生茂る見晴らしの良い草原だった。
太陽は、頂点から少し西に傾いたあたりだ。
「ええと、状況説明を求めても良い?」
擦り寄ってくるマックスとニニを両手で交互に撫でてやりながら、定位置の右肩に座ったシャムエル様を見た。
「うん、そうだね。まずその前にお礼を言わせて。有難う、ケン。君にこの世界が助けられたのは、二度目だね」
目を細めるシャムエル様に、俺は笑って首を振った。
「今回も、俺自身が何かしたわけじゃ無いよ。強いて言えば、戦況を見て悲鳴をあげるのが一番の仕事だったかな?」
敢えて簡単な事のように言ってやると、それを聞いたシャムエル様も態とらしく声を上げて笑った。
「確かにうるさかったね。誰かさんのもの凄い悲鳴は」
「何しろ、小心者の怖がりなもんで、申し訳ありませんねえ」
顔を見合わせて、もう一度笑い合った。
「で、今いるここって、あの場所からいつの間に離れたんだ?」
「場所は動いていないよ。あの場所は一旦封印した。さすがに、知らずに誰かが立ち入ると危険だからね。痛んだ大地の力が回復するまで、ここを使う事にしたんだ」
嬉しそうに説明してくれるが、全くわからんよ。
「ええと、つまりあの焼け野原になった場所の代わりに、この草原を置いたって事か?」
「そうそう。良いアイデアでしょう?」
得意げな表情のシャムエル様を見て、俺は若干遠い目になった。
うん、これは深く追及してはいけない事案だな。まあ、とりあえず危険が無くなったんならそれで良い事にしよう。
考える事を放棄して、改めて周りを見渡した。
「で、あれからどれくらい時間が経ってるんだ? 確か、戦いが終わった時は、もう夕方近かったと思うんだけど、今の太陽って上にあるよな?」
俺の質問に、シャムエル様は困ったように口元に手を当てた。
あ。それ可愛い。
「ごめんね、あれから実は丸一日半経ってます。色々後始末があってね、意識の無い君は、結界の中に置いておく方が安全かと思ってさ」
また、理解出来ない話になりそうだったので、とにかく頷いた。
うん、これも深く考えてはいけないだろう。
意識の無い間、守っててもらったって思っておけば良いな。
「じゃあ、とにかく一度街へ帰ろう。ギルドにベリーを預けたままだよ。宿は延泊しちまってるけど、戻れば何とかなるだろう。幸い荷物は全部持って来てるから、鍵を返せば終わりだろう。多分」
マックスの背に乗ろうとしたら、慌てたシャムエル様に止められた。
「ああ、待ってケン。新しい着替えを渡すからそれに着替えてよ。そのまま帰ったらきっと騒ぎになるよ」
そう言って、サクラに合図をする。
跳ね飛んで来たサクラが、俺の目の前で、得意げに新しい着替え一式と新しい剣と防具一式を出してくれた。
「剣までくれるのかよ」
手に取ってみると、今まで使っていたものよりも少し長くて大きい。
胸当ても、金属のパーツや鋲が革の外側に打ち込まれていて、全体にランクが上がったって感じだ。
そして、改めて自分の姿を見て吹き出した。確かにこのまま帰ったら騒ぎになるだろう。
ズボンはあちこち破れて血塗れだし、左腕の籠手は割れていてここも血塗れだ。そして、胸当てもあちこち焦げて抉れて割れかけて酷い事になっている。顔を擦ってみると、煤で真っ黒だ。
笑った俺は、遠慮なくその場で全部脱いだ。サクラが伸び上がって綺麗にしてくれる。
ガサガサしていた顔も髪も、おかげでサラサラになったよ。
「有難うな、サクラ」
笑って紋章の部分を撫でてやり、貰った新しい服に着替えていく。
脛当てと籠手も前回のものよりも良い。こちらも、全体に鋲が打ってあり、革の部分には細やかな彫りが入っていてとても綺麗だ。
そして、ファルコの止まり木はそのまま新しい胸当てに移動していた。
胸当てを装着して、新しい剣帯を身に着ける。新しい剣を装着してそっと抜いてみた。
真っ直ぐなその剣は、薄緑色の不思議な煌めきを放っていた。
「まあ、悪く無い剣だから、ヘラクレスオオカブトの剣を作るまで好きに使ってよね」
ドヤ顔のシャムエル様に、俺は笑って礼を言った。
「あ、あともう一つ!」
慌てたようなシャムエル様の声に、マックスに飛び乗った俺は、驚いて右肩を見る。降りた方がいいのか?
「そのままで構わないよ、報告だけ聞いてね」
またしてもドヤ顔のシャムエル様を見て、俺は小さく笑って頷いた。
「うん、聞くよ、何があるんだ?」
「あのね、回収出来た分だけでも、回収して来たよ。適当にアクアとサクラに分けて預けてあるから、あとで確認しておいてね」
「ええと、今の話の、目的語は何?」
意味不明の説明に、俺は首を傾げて質問した。
「何って、ブラウングラスホッパーのジェムに決まってるでしょう? いくつかは消滅しちゃったみたいだったけど。ほとんどは再生出来たから回収して来たんだ。凄いよ。亜種も山程あったし、好きなだけ売ってくれて良いからね!」
あの真っ黒な雲みたいな塊を思い出した俺は、壊れたオモチャみたいなって、ギクシャクと首を回してニニの背中に乗ってこっちを見ているアクアとサクラを見た。
「い、幾つ貰ったか聞いても良い?」
すると、二匹は先を争うようにとんでもない事を簡単に言ってくれた。
「アクアがもらったのは、49,997,685個だよ!」
「サクラがもらったのは、56,994,729個だよ! あ、勝った!」
「負けちゃったよ〜」
勝った負けたと気楽に言い合っている二匹を見て、俺は気が遠くなった。
四千九百万超えと、五千六百万超えって、足したら一億個超えてるじゃんか!
「待て、おかしいだろう、その数字!」
叫んだ俺は、間違ってないよな?