巨大バッタの群れとの戦い
真っ黒な塊の中に飛び込んだ俺の視界は、一気に真っ暗になる。
だが、悲鳴をあげただけの俺とは違い、シャムエル様は冷静だった。
『広げろ!』
俺の口から、俺ではない叫び声が聞こえ、次の瞬間、俺の周囲の半径50メートルぐらいに唐突に空間が広がる。シャムエル様が放った風が、バッタ達を押し出したのだ。
見通しが良くなったと喜んだのは一瞬だった。
広がった空間のあちこちに、血まみれになった野生動物達が、何匹も何匹も転がっている。皆、死んでいるようだ。
その身体に、逃げ損なった何匹もの巨大なバッタが噛り付いているのを見て、俺の全身に鳥肌が立つ。
何だよあれ。あいつら、肉も食うのかよ!
……怖すぎるだろう。
しかし、空間が空いていたのは一瞬だった。
押し出された巨大バッタ達は、数の勢いでまた押し寄せて来て、真っ黒な塊が目の前に迫ってくる。
真っ黒な塊に飲み込まれたと思った瞬間、シャムエル様がまた叫ぶ。
『切り裂け!』
再び目の前に空間が開く。
いや、違う。
今度は、俺の体を中心にして、直径5メートルほどのドーム状に風が渦を巻いているのだ。
その風に当たったデカいバッタが、次々に風に切り刻まれていく。切り刻まれた巨大バッタ達は、ジェムになって足元にゴロゴロと転がるのが見えた。
「うわあ、これはかなりシュールな光景だぞ」
思わず叫んだ俺に、シャムエル様が小さく笑う気配がした。
『まだまだ。この程度では数減らしにもならないよ』
シャムエル様の言葉が聞こえた直後、俺の体は一気に増えた巨大バッタ達に更に取り囲まれた。ドームの外は、もう完全にバッタで埋め尽くされている。
「ギ、ギ、ギ、ギ、ギ、ギ」
黒板を爪で引っ掻いた時みたいな、嫌悪感しか無いような鳴き声で、俺の体よりデカいようなバッタが体当たりをしてくるのが見えた。
ドームごと弾かれるような衝撃があり、俺は弾き飛ばされて膝をついた。
『亜種がここまで強くなってるなんて……』
驚いたようなシャムエル様の声が聞こえた直後、周りが炎に包まれた。
『焼き尽くせ!』
右手を頭上に掲げて大声で叫ぶ。
あちこちで爆発するかのような音がして、攻勢に出ていた巨大バッタ達が、明らかに怯むのが分かった。
「すげえ、何したんだよ!」
『隕石を召喚してやったんだよ。荒療治だけど、とにかくまずは数を減らさないとね』
おお、RPGでは究極魔法レベルだよ。メテオ!
上を見ると、時折閃光が閃き、直後に轟音が響いている。マジで隕石だよ、こりゃあ。
「なんだよ。こんな凄え究極魔法の技が使えるんなら、バッタごとき簡単に焼き尽くせるだろうに」
軽く笑って言ってやったが、シャムエル様は笑わなかった。
『だって、これは文字通り諸刃の剣なんだよ。落ちた大地は高温で焼き尽くされて完全に死に絶える事になるんだ。こうなると、再生するまで長い時間がかかる事になるんだよ』
「だけど、こいつらを人の街へ近付ける訳にはいかないだろう」
シャムエル様が無言で頷くのが分かった。
肉も食う雑食の巨大バッタ。そんなの絶対無理だって。人間なんか、ちょろい獲物だよ。
マックスやニニ達が慌てて止めた意味がよく分かった。普通なら、俺でも絶対近寄りたく無いレベルだ。
ってか、よくそんなの狩りに行こうって気楽に言ったな。シャムエル様。
『それに、これは放てる数が限られてるんだ』
苦々しげに言ったその言葉に、俺は固まる。
「それって……マズくね?」
思わず、いつもの習慣で右肩にいるシャムエル様を見ようとして思い留まった。うん、そうだった。今は俺がシャムエル様だったよ。
外を見ると、明らかに巨大バッタの数は先程よりは減ってはいるが、まだまだ駆逐出来たと言えるほどじゃ無い。
『ごめんね、ケン。装備が傷んだら新しいのをあげるからね』
そう叫んだシャムエル様は、腰の剣を抜いた。
おお、剣が火を吹いてるぞ!
抜き放った剣は、いつのまにか炎の剣と化していた。
『怖かったら目を閉じていて!』
叫んだシャムエル様は、ドームの外に向かって頭上に構えた剣を一気に振り下ろした。
太刀筋に併せて炎が走り、周りのバッタが無数に斬り裂かれる。
今度は水平に、下から上へ、次々と繰り出される剣から吹き出す炎が、黒い塊を何度も何度も切り裂いていく。
だが、焼け石に水って言葉はこの為にあるかのように、目の前の巨大バッタは、切っても切ってもあふれ返り一向に減る様子が無い。
戦いは、もう消耗戦の様相を呈していた。
それに伴い、次第に息が上がり動きが鈍くなる俺の体。
そうなんだよ、自分で言うのもなんだけど……持久力、あんまり無いんだよ。
それでも、必死になって剣を振り回し、迫り来る巨大バッタを斬り続ける。
だが、最悪な事に、またしても巨大な亜種が現れて体当たりをかまして来た。風の盾がなんとか防いでくれたが、俺は勢い余って後ろに転がる。ドームが一気に小さくなるのが見えた。これはマズイって!
必死になって起き上がろうとした時、目の前に巨大なバッタの顔が迫って、俺は悲鳴を上げた。
血飛沫が飛び散る。
顔を守るようにかざした、籠手を嵌めた左腕に噛みついたその頭を、炎の剣が切り落とした。
『守れ!』
シャムエル様が叫んで、またドームが広がって元に戻る。
『ケン、ごめん。君の身体に傷を付けてしまった』
意外に冷静なその声に、パニックになり掛けていた俺は、なんとか冷静を保つ事が出来た。
左腕は籠手が破れて怪我した部分は皮膚が裂けて真っ赤に染まっている。
『癒せ』
剣を持ったままの右手を左手の上に持ってくると、指先から雫が数滴落ちるのが見えた。
一瞬光った後にはもう、俺の腕に傷は無かった。
「これって、あの万能薬?」
『まあ、そんな所。よし、時間稼ぎはここまでで良いよ。もう一度隕石を召喚するよ』
炎の剣を鞘に戻し、今度は両手を頭上に上げた。
『来たれ! 究極の隕石!』
そう叫んだ直後、頭を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。視界が地面だけになる。
次の瞬間、物凄い轟音が響き渡り、次から次へと地響きがして地面が何度も揺れて、下から立て続けに突き上げるような衝撃が来る。
俺はしゃがみ込んだ体勢のままで、無意識のうちに悲鳴を上げて続けていた。
しばらくして、唐突に音が止んだ。
「ええと、どうなったんだ?」
しばらくじっとしていたが、静かになった事を確認して、顔を上げて立ち上がった俺は、目の前に広がる景色に絶句した。
俺のいる直径5メートル程の場所以外の地面は、完全に真っ黒に焼け焦げ、見渡す限りの焼け野原が広がっていた。
「身体が元に戻ってる……」
右手を何度か握り、空を見て、自分の身体が完全に自分に戻っている事を確認した。
そして、俺の右肩に、シャムエル様はいない。
「シャムエル様。なあ、いるんだろう? 出て来てくれよ」
とりあえずそう言ってみたが、全く反応が無い。
「また派手にやったな。だけどまあ、あの勢いなら、これぐらいやらないと駆逐出来なかったって事かよ」
大きなため息を吐いた俺は、もう一度空に向かって大声で呼びかけた。
「なあ、いるんだろう? 頼むから出て来てくれよ。こんな所に俺だけ放り出されても、本気で困るんだけど」
しかし、やっぱり全く反応が無い。
正直言って、今ここでぶっ倒れそうなくらいに疲れ切っているのが分かる。
もう一度大きなため息を吐いた俺は、酷いめまいを感じてその場に座り込んだ。
膝を立てて座り込み、もう一度大きくため息を吐く。目に入った怪我をして癒してもらった左腕の籠手は、完全に割れてもう使い物にならないだろう。傷は無いのに血塗れの左腕を見て、もう笑うしかなかった。
それから、酷く喉が乾いているのが分かったが、残念な事に水筒の一つも持って来ていない。
「サクラだけでも、一緒に来て貰えば良かったかな?」
そう呟いた俺は、諦めて何とかマックス達のところへ帰ろうと思い、立ち上がろうとした。
しかし、一度座ってしまえばもう、この疲労困憊の身体では立ち上がることは不可能だった。
「駄目だ、眠い……」
不意に襲って来た強烈な眠気に抗えず、俺はその場に倒れるように横になって、そのまま意識を手放してしまった。
既に、太陽は地平線のすぐ近くまで落ちてるのに……。