出来上がったケーキと収めの手
「後は何を作るの?」
差し出してやった俺の食べかけのおにぎりを横から齧りながら、シャムエル様は興味津々で綺麗になったボウルを見ている。
「後もう一種類作るよ。これも焼きっぱなしで大丈夫なやつ」
「何々? どんなの?」
また興奮した尻尾が巨大化している。それ、ちょっともふらせて頂けませんかねえ。
「ブラウニーって言って、チョコレートとくるみが入ってるお菓子だよ。ココアも見つけたから、これも出来ると思ってさ」
「ううん、楽しみ、楽しみ」
まあ、今なら甘いもの好きなランドルさんがいてくれるからきっとたくさん作っても食べてくれるだろうし、残るようなら最後はクーヘンのところに置いて行っても良いものな。
って事で、気になるレシピはチェック済みだ。
「食べ終わったらブラウニーを焼いて、その後は何を作るかなあ」
冷えた麦茶を飲みながらそんな事を考えていて、俺はいきなり誰かに後頭部の髪の毛を引っ張られて飛び上がった。
「うわあ、誰だよ!」
従魔達は揃って寝てるし、ハスフェル達が帰ってきた様子も無いのに、背後に誰がいるって言うんだ。
咄嗟に後頭部を押さえて慌てて振り返ったが、当然だけど背後には誰もいない。
「あれ? 俺の気のせいか? だけど今さっき確かに……?」
俺がはてなマークを連発していると、蕎麦ちょこに入れてやった麦茶を飲み干したシャムエル様が不思議そうに俺を見上げた。
「何、どうしたの?」
「いや、どうしたって言うか、今、誰かに髪を引っ張られた気がしたんだけど誰もいないんだよな?」
「髪を?」
蕎麦ちょこを机の上に置いたシャムエル様が、一瞬で俺の右肩に移動する。
「別に何にもないけど……ああ!」
不思議そうに辺りを見回した後、いきなりの耳元での大声に俺は耳を押さえてまた飛び上がる。
「おい! いきなり耳元で大声は勘弁してくれって」
しかし、俺の抗議に返事をせずに、いきなりシャムエル様は笑い出した。
「あはは、我慢出来なかった訳か。そりゃあそうだよね。あれを見せられてそのままお預けなんて、絶対我慢出来ないよね」
意味が分からなくて、シャムエル様を見てからその視線を追って振り返る。
すると、金型から取り出して冷ましていたパウンドケーキの上で、収めの手がパウンドケーキを指差して必死に自己主張をして暴れているのが目に飛び込んできた。
それを見た瞬間、俺は堪える間も無く吹き出したよ。
「あはは、待ちきれなかったか。了解」
マイカップを置いて立ち上がった俺は、サクラにいつもの簡易祭壇にしている小さい方の机を取り出してもらい手早く組み立てた。
いつもの敷布を敷いてから、大きなお皿に三本のパウンドケーキを並べて置き、冷蔵庫からレアチーズケーキもちょっと考えて二個とも取り出す。
「ちょっと待ってくれよな。金型から外すからさ」
さすがに神様に供えるのに、このままはあんまりだろう。
待ち構えている収めの手にそう言ってから、一旦レアチーズケーキを置いて、片手鍋にお湯を沸かす。
「ええと、金型から取り出すときは、お湯で濡らした布を金型の枠の部分に当てて少し温めてからカップの上に置くと底が外れて簡単に取り出せます。おお、なるほど。どうやって取り出すのかと思ったらそう言う事か」
師匠の説明を読み、手拭いみたいな布を軽く沸かしたお湯に浸す。温度はお風呂のお湯よりちょっと熱いくらいだ。
軽く絞ってから、金型の周り部分に押し当ててみる。
それから、やや深めのお椀を出してそこにそっと乗せてみる。
「おお、底が抜けた!」
思わずそう叫んだ通りに綺麗に枠が外れて下に落ち、レアチーズケーキが姿を現した。
「で、ここにナイフを入れて底板からケーキを外してお皿に乗せる……簡単に書いてあるけど、これはちょっと高等技術な気がするぞ」
お椀の上にあるレアチーズケーキは、まだ金型の底板がくっついた状態だ。
平たいお皿を用意した俺は、深呼吸をしてからナイフをケーキと底板の隙間に差し込んだ。
「あ、意外に簡単に剥がれるな。じゃあこれをそのまま横にずらせば……うわあ、割れた!」
一つ目のレアチーズケーキをお皿に移動させようとしたその時、どうやら角度が悪かったらしく真ん中あたりでケーキの底に敷いているクラッカーの部分がバキッと割れてしまったのだ。
「うああ、割れちゃったよ」
当然、その上のクリームチーズの部分にも地割れのようなヒビが入ってしまい、無理矢理お皿に乗せる事は出来たが、せっかくのケーキが何とも情けない状態になってしまった。
「ああ、ここまで来て失敗するって駄目じゃんか!」
顔を覆って叫んだ俺は、気を取り直すように大きく深呼吸をして顔をあげた。
「大丈夫だ。レアチーズケーキは二個作ってる。もうやり方は解ったから今度は失敗しないぞ」
そう呟いて、もう一度お湯に布を浸して金型を温めるところからやる。
「で、底板を枠から外してお皿に移動させるっと」
そう呟いた俺は、さっきと同じようにナイフを使って底板をケーキから外してもう一枚のお皿の上に持っていった。
「さっきはケーキを移動させようとしたから失敗したんだ。そうじゃなくて、ケーキの位置を決めたら底板を引き抜けば良いんだよ。ほらこんな感じで!」
そう呟き、お皿の真上で少し斜めにしたケーキの端をお皿の端に合わせて置き、底板を一気に引き抜いた。
「よし、上手くいった!」
今度は割れずに綺麗にお皿の真ん中に乗せる事が出来た。
一個目の割れたレアチーズケーキも、なんとか横から押し込んで丸く戻して無理矢理きれいな形にする。
「あ、もうちょっとだけ待ってくれよな」
振り返って収めの手にそう言うと、サクラから果物の箱を取り出してもらい、やや季節外れになったがイチゴとさくらんぼを取り出して軽く洗ってからサクラに水を切ってもらう。
イチゴは1センチ角くらいに刻んで、レアチーズケーキの真ん中部分にこんもりと盛り付ける。
それからさくらんぼはケーキの縁に沿って等間隔にぐるっと丸く並べた。こうすればショートケーキみたいに一切れ切った時にさくらんぼが一つ乗る計算だ。
「おお、なんだか豪華になったぞ」
嬉しくなった俺は、果物付きのとそのままのレアチーズケーキの乗ったお皿を、さっきのパウンドケーキの横に並べた。
「お待たせしました。パウンドケーキとレアチーズケーキです。パウンドケーキは右からナッツとドライフルーツ入り、ナッツとチョコレート入り、それからリンゴとぶどうのジャム入りです。レアチーズケーキは、普通のと、割れちゃったから果物を乗せてみました。気に入ってくれますように」
そう言って手を合わせて目を閉じる。
めっちゃ頭を撫でられる感触があって思わず笑って目を開くと、もうこれ以上無いくらいに嬉しそうな収めの手が、レアチーズケーキを撫で回しているところだった。
しかもいつもは片手なのに左右両手が現れて、今にもケーキを持って行きそうな感じだ。
笑って見ていると、本当に両手でケーキを一つずつ持つ仕草をした。当然実際には触れないんだから空振りなんだけど、一瞬俺の目にはケーキが浮き上がったみたいに見えた。
「なあ、あれってもしかして……丸ごと持っていった?」
右肩に座ったままのシャムエル様にそう尋ねると、シャムエル様は笑って何度も頷いている。
「あはは、大喜びしてるよ。良かったね喜んでもらえて」
「そっか、それならよかったよ。じゃあ次も焼けたらあんまりお待たせせずに順番に捧げるようにしよう」
俺がそう言うと、ごく軽い拍手の音がした。
驚いて振り返って見ると、ケーキの上にいた収めの両手が拍手をした後、揃ってOKマークを作ってから消えていった。
呆然とそれを見送った俺とシャムエル様は、顔を見合わせた後、揃って大笑いになったのだった。