熊との戦い
轟くような咆哮と共に突然現れたのは、高さ6メートルは下らないほどの、超巨大な真っ黒なクマだった。
奴の視界を遮るように、ティグが俺の前に立ちはだかる。おかげで俺は奴のロックオンから逃れられたが、それはティグがロックオンされた事を意味していた。
どうして良いか分からずにパニックになっていると、マックスが聞いた事のないもの凄い唸り声を上げて少し下がった。隣ではニニも同じように物凄い声で唸りながらマックスの前に出る。ニニも明らかに俺を庇ってくれている。
次の瞬間、二匹の背中に乗っていた草食チームが全員すごい勢いで巨大化して地面に飛び降りた。タロンも一瞬で巨大化してニニの隣に立つ。こちらも物凄い形相で唸り声を上げている。
「ご主人、下がってください。あれは危険です!」
マックスの背の上で呆然としていると声が聞こえて、俺はいきなり両肩を巨大化したファルコの脚に掴まれてそのまま上空に連れていかれた。
「うわあ、ちょっと待てって!」
いきなりの空中浮遊に悲鳴を上げると、同じく巨大化したモモイロインコのローザが俺の足の間を通り抜けて、タイミングよくファルコが掴んでいるのを離してくれたおかげで、そのままローザの背中に跨って乗る形になった。空中ブランコも真っ青だよ。
スライム達が跳ね飛んできて、俺の両足を固定してくれる。
羽ばたく音に振り返ると、ランドルさんとバッカスさんの二人も同じようにモモイロインコのマカロンの背中に乗って上空に上がって来た。
「ケンさん! 従魔達が、あれは危険だからと言っていきなり俺達をマカロンの背に放り上げたんです。どうすればいいですか!」
地上では、ハスフェル達三人は地上に降りて抜刀している。完全に戦闘態勢だ。
草食チームは、彼らの周囲を取り囲むようにして見守っている。やる気満々なのは、マックスとニニを筆頭にした犬科アンド猫科の混合肉食チームだ。
「悔しいけど、あれを前に俺達に何か出来るとは思えない。とにかくここは彼らと従魔達に任せましょう。あ、そうだ。お二人は万能薬って持っていたりしますか?」
背中に背負っていたリュックを下ろして中を見ながら尋ねる。
オレンジヒカリゴケの追加が当分望めない状態だが、仲間が危険に晒されている状態でそんな事言ってられるか。貴重だろうが何だろうが、彼らに万一の事があれば遠慮なく使うぞ。
「ケンさんはどれくらい持っていますか。俺達が持っているのはこれだけです」
ランドルさんが収納鞄から取り出して見せてくれたのは、俺が持ってるガラス瓶よりも一回り小さな同じようなガラス瓶で、全部で六本あった。
「それなら、俺の方が多く持っていますから、万一の際には俺のを先に使いましょう。ランドルさんの分は緊急用に置いておいてください」
「分かりました。必要な時には、どうぞ遠慮なく仰ってください」
顔を見合わせて頷き合った俺達は、とにかく彼らの戦いを邪魔しないように上空から見守った。
地上では、化物相手の戦闘が始まっていた。
いきなりハスフェルが飛び上がって、あの大きな剣で斬りつけた。
しかし、熊はハスフェルの太腿よりも太い前脚を振り回して、何と巨大な爪で彼の斬撃を受け止めたのだ。
驚きに目を見張ったのは一瞬で、そのまま勢いよく振り回した腕にハスフェルが吹っ飛ばされる。
だが悲鳴を上げたのは上空にいた俺達だけで、空中でくるりと一回転して体勢を立て直したハスフェルは、そのまま足から落ちて地面を転がって軽々と起き上がった。
すげえ運動神経。さすがは闘神の化身だよ。
ギイとオンハルトの爺さんも、息を合わせて打ち掛かったが同じように弾き飛ばされて転がった。
「な、何だよあれ。あいつらの打ち込みを爪で受けたぞ」
俺の呟きに、ランドルさん達は驚きのあまり声も無い。
三人は攻めあぐねているらしく、武器を構えたまま動かない。
しかし、あれを見て思った。つくづく俺達を空へ逃がしたのは正解だと思う。
あんな化物相手に、ただの人でしかない俺やランドルさんやバッカスさんは、はっきり言って守る手間がかかるだけの邪魔な存在でしかないのだろう。
悔しいが、自分の腕は自分が一番よく知っている。
明らかに悔しそうにしつつも、降ろせと言わないランドルさん達も恐らく同じだろう。立ち向かえる相手がどうかを見抜けなければ、今まで上位冒険者でいられなかったはずだ。
『ええ、貴方達はそこにいてください。彼らが万一怪我でもすれば、私が癒しの術で対応します』
頭に響いたベリーの声に、俺は縋るように言わずにいられなかった。
『お願いします! だけどなあ、もしかして……あれってベリーでもやっつけられなかったのか?』
一番最初に聞こえた木が倒れた時の熊の咆哮は、間違いなくベリーと熊が鉢合わせした時だろう。
木が倒れたのはベリーの術のせいだと思っていたが、もしかしてあの熊が一撃で倒したとかだったらマジでビビるぞ。
『倒せない相手ではないんですが、あれを倒すほどの術を使うと、正直言って周りに被害が及びかねないので、攻めあぐねているのは確かです』
嫌そうな口調に、俺はちょっと意外に思った。
確か以前、攻撃範囲を限定した最強の術も使えるようになったから、どんな相手が来ても大丈夫だと言っていたはずだ。それなのに、あくまでもジェムモンスターであるあの熊に、ベリーの術が効かないなんて事があるのだろうか?
俺の疑問が聞こえたかのように、ベリーの声が届く。
『どうやらあの熊は、何らかの突然変異のようで術に対する耐性が異様に高いんです。なので、私の術もかなり散らされてしまって本体に殆ど当たらないんですよ。こんな事は初めてです。こんな状況で無ければ、研究材料として是非とも確保したいくらいです』
苦笑いするベリーの言葉に、俺は気が遠くなった。
さすがは知識の精霊。どんな状況であっても知らない事には貪欲だってか。
だが、地上の戦いはそんな呑気な状況では全くなかった。
ティグとクグロフの二匹が左右から襲い掛かったが、何とこれも前足の一撃で二匹とも吹っ飛ばされている。しかし、その直後にマックスとシリウスが前と後ろから襲い掛かり、首筋と前脚の付け根に噛みつく。その直後にフォール達も続けて襲い掛かる。こちらも爪全開で飛びかかって所構わず噛みつきにいく。
しかし、熊が大きく身震いすると猫属軍団達は吹っ飛ばされ、時間差でマックスとシリウスまでもが吹っ飛ばされて転がった。
「おい! 大丈夫か!」
思わず身を乗り出すようにして叫んだ。だって、マックスとニニの体には、べったりと血が付いていたのだ。
揺らぎがマックスとニニに駆け寄るのが見えて、俺は万能薬の蓋を開けそうになったのを止めた。
どうやらベリーが癒しの術を使ってくれたらしく、二匹は嬉しそうに吠えて、また熊に向かって飛びかかっていった。
「シリウス俺を乗せろ!」
叫んだハスフェルがシリウスの背中に文字通り飛び乗り、そのまま勢いよく熊に向かって突っ込んでいく。
交差した瞬間、ハスフェルは何と剣を突き刺すように構えてクマの背中に飛び乗ったのだ。
「とりゃあ〜!」
ハスフェルの叫ぶ声と共に、熊の太い首に剣が突き刺さる。
しかし、嫌がるように熊が大きく首を振ったせいで背中に乗っていたハスフェルが吹っ飛ばされる。
彼の剣は、熊の首に三分の一くらいが突き刺さったままだ。
「おいおい、首に突き刺さっても死なねえのかよ」
呆れたようなギイの呟きが聞こえる。
転がって距離を取ったハスフェルの手には、いつもとは違うまた別の剣が握られている。
首にハスフェルの剣が突き刺さったまま、熊は平然とまた立ち上がった。
そして、上空に向かって大きく吠えたのだ。
先ほどよりも更に大きい、まさに空気が震えるような咆哮だった。
しかし、それを聞いた俺は耳を疑った。
だって、その叫び声は俺にはこう聞こえたのだ。
「お前達だけ、ずるい」と。