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郷愁と現実

 ふみふみふみ……。

 なんだか妙に懐かしい感触に、寝ぼけていた俺は不意に思った。

 ああ、ニニが起こしてくれてる。もう起きないと……。

 でも目覚まし時計が鳴っていないから、まだもうちょっと寝られるぞ。


 ええと、今日は何の予定があったけ?

 そうそう、確か休み明けは取引先との商談があるんだよ。あれ、後はなんだっけ……。


 目を開いた俺は、ボロマンションのワンルームの天井とは違う、木製の広くて遠い天井を見て頭の中が真っ白になった。

 あれ? 何処だ、ここ?


「あ、起きたね。おはようございます。ねえ、お腹空いたよ」

 俺の枕元に座って、真剣に俺の頬を前足で揉んでいたのは、真っ白な猫みたいなケット・シーのタロンだった。


 ああ、そうだよ。ここは異世界だった……。

 久し振りに見た元の世界の記憶が不意に懐かしくなった俺は、堪らなくなって顔を覆ってニニのふかふかな腹毛の海に潜り込んだ。


 確かにここは楽しいよ。


 ニニやマックスだっていてくれる。

 新しく仲間になった奴らだって、皆、気の良いやつだ。


 楽しくぎゃーぎゃー騒いで狩りをして、大金貰って買い物して、気楽な異世界ライフを過ごしてるんだよ。

 それなのに、それなのになんで、嫌な事や悲しい事、大変な事だらけだった元いたあの世界を、こんなに懐かしく思うんだろう。

 毎日死ぬような目にあっていた、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車でさえもが堪らないくらいに懐かしいよ。


 俺は、学生時代に両親を事故で亡くして、それまで顔も知らなかった親戚のおじさんの家に、高校卒業まで世話になった。

 まあ、良くしてくれたんだろうとは思う。思うけど、正直言って……あそこに俺の場所は無かった。

 大学はそれなりの所に入れたので、親が遺してくれたお金でおじさんの家を出て学生寮に入り、無事に大学卒業して就職したんだ。

 学費に関しては心配しなくて済んだから、これは本当に親に感謝したよな。


 ああ、駄目だ。

 思い出したら涙が滲んできた。

 今顔を上げたら、みっともなく声を上げて泣いてしまいそうで、俺は黙ってニニの毛に顔を埋めて、気持ちが落ち着くまでひたすらじっとしていた。


「……ケン、大丈夫?」


 耳元で、シャムエル様の心配そうな声が聞こえる。

「うん、大丈夫だから、ちょっとだけ待ってくれ」

 顔を覆ったまま、とにかくそれだけを答える。

 ぎゅっと目を閉じて俯いたまま大きな深呼吸を何度かしてから、ゆっくりと顔を上げた。

 見ると、シャムエル様だけでなく、マックスやニニ、ファルコ、セルパンやラパン、スライム達やタロン、ベリーまで全員が揃って心配そうに俺を見つめていた。


「ごめん、ちょっと寝ぼけてたよ。顔洗ってくる」

 誤魔化すように笑って、寝ていたニニの腹から起き上がってベッドから降りた。

 台所の水場へ行って水面を覗き込んだ。静かな水面には、情けない顔をした、くたびれた男がこっちを見ていた。

「俺は、俺はここで気楽に楽しく過ごすんだよ!」

 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、思いっきり水を跳ねながら、気分を切り替えるように勢いよく顔を洗った。

 服が濡れたけど構うもんか。ここにはサクラって優秀なスライムがいて、一瞬で全部綺麗にしてくれるんだよ!


 顔を振ってびしょ濡れの目を開けると、足元にサクラが来ていた。

「ご主人、綺麗にするね!」

 いつものようにそう言うと、ニュルンと伸びて来て俺を覆い、一瞬でびしょ濡れだった俺の顔も服も、汗ばんでいた身体も、全部まとめて綺麗にしてくれた。

「有難うな。綺麗になったぞ」

 笑った俺は、サクラを抱き上げて水を見せてやる。

「入るか?」

 それを聞いたサクラは、一瞬跳ねるみたいに長く伸びて元に戻った。

「入る!入る!」

 嬉しそうなその声に笑って放り込んでやり、振り返ってアクアも手招きして呼んでやると、こちらも嬉しそうに跳ね飛んで来たアクアを空中キャッチして、そのまま水に放り込んでやった。

 水槽の底を、肉球マークが右に左に、行ったり来たりしている。うん、中々シュールな光景だね。


 水から出て来たプルンプルンになったサクラに、鶏肉とタロン用のお皿を出してもらい、肉をナイフで軽く切ってタロンに出してやる。

 嬉しそうに食べるタロンを残して、他の皆は順番に下の段で水を飲んでいる。

 食べ終わったタロンの皿を片付けて大きく伸びをした俺は、外していた防具を身に着けていった。

「これも、コスプレの趣味でも無ければ元の世界では考えられないよな。まあ、こっちでも、防具を着けてるのは一部の冒険者だけだけどな。あ、兵隊さんならこんな装備を持ってるか。そう言えば、あの人達ってどこから来てるんだろうな。軍の駐屯地とかが有るのかな?」

 苦笑いしてそう呟いた俺に、ベリーが教えてくれた。

「この辺りは辺境地域で、軍の駐屯地はありますが、小さいですよ。冒険者のギルドがある事で治安の維持に役立っていますね。ですが、もう少し中央へ行くと、駐屯地も大きくなって兵士が多くなりますよ。ここでも、城門の管理や街道の最低限の整備は軍の仕事ですから、門番をしている兵士達は、軍に雇われた地元の人達なんですよ」

「確かに、門番はいつも軍服みたいなのを着てたな。そっか、そう言うことか」

 納得して頷いた俺は肩を回して、大きく伸びをした。それから、揃ってこっちを見ているマックス達を振り返った。

「俺はいつもの屋台へ朝飯に行くけど、お前らはどうする?」

 いつものようにそう言って笑うと、当然のように皆が付いて来て大所帯でいつもの屋台のある広場へ向かった。

 少し離れてベリーまでついて来てるよ。なんだか心配させたみたいで、少し申し訳なくなった。

 ごめん、ちょっとした寝ぼけた事による気の迷いだから、気にしないでくれよな。


 いつものコーヒー屋でマイカップにコーヒーをー杯入れてもらい、タマゴサンドとハムとたっぷりの野菜を挟んだサンドイッチを買って、端に寄ってゆっくりと食べる。

「なあ、今日は狩りに行かなくても構わないか?」

 俺の言葉に、マックスとニニは顔を見合わせて二匹揃って頷いた。

「構いませんよ。またお買い物ですか?」

 マックスがそう言うので、俺は最後のコーヒーを飲んでから首を振った。

「いや、また買い込んだ食材が色々増えてるからさ。長旅に備えて下拵えや揚げ物なんかの調理を、今日と明日でやっておこうかと思ってね」

「なんだ、じゃあ今日は出掛けないの?」

 唐突に、肩に現れたシャムエル様にそう言われて、俺は小さく吹き出した。

「狩りに行くなら、午後から出かけようかと思っていたんだけどね」

「じゃあ、今日は午後から狩りに行って、明日、料理の仕込みをすれば?」

「まあ、それでも良いぞ。ってか、ずいぶんと積極的だな。また何か、新しいジェムモンスターが出たか?」

「いっぱいいるよ、どれが良い?」

 当然のように聞かれて、俺は小さく吹き出した。

 まあ確かに、朝から妙な気分になった事だし、憂さ晴らしを兼ねて出掛けて暴れるのも悪くないな。それで、明日は一日、仕込みと料理をすれば、明後日は朝から出発出来るな。

 頭の中で予定を立てた俺は、マックス達を振り返った。

「じゃあ、今日は午前中は料理の仕込みをするから、午後から出掛けよう。新しいジェムモンスターがいるらしいから資金稼ぎだと思って頑張るよ。その間にお前達は、また交代で狩りに行って来てくれよな。で、明日は一日、宿泊所で料理や仕込み、それから荷物整理をするよ。そうすれば次の日は、朝からいよいよ旅に出発だ。とりあえず、街道沿いに西に進んで、隣のチェスターって街へ行くぞ」

 出掛けると聞いて嬉しそうなマックスの首を叩いて、いつもとは違う道で曲がってみた。

 あ、小麦粉が売ってる。もうちょっと買っておくか。

 小麦粉を追加でいくつか買い込み、サクラの入った四次元鞄に突っ込む。


 その時、目についた店の前で俺は思わず立ち止まった。

「あれ、あれってオリーブだよな?」

 店先に置いた大きな植木鉢に植えられていたのは、どうみてもオリーブの木だ。

 しかも、店の看板にはオリーブの実が描かれている。もしかしたら、オリーブオイルがあるかもしれない!

 マックス達に、店の横で待っててもらって、俺だけ店の中に入る。

 予想通り、棚一面にはオリーブオイルの瓶が並んでいた。

 まだ若い青年が店番をしているので聞いてみると、最近、父親から店を任されたばかりだと言って、照れたように笑っている。良いね、頑張れ。

 いくつか味見させてもらったが、まさしく俺が求めていたオリーブオイルだったよ。

 って事で、果肉のみを絞ったのだと言う、いわゆるエクストラバージンオリーブオイルと、精製したと言う、いわゆるピュアオリーブオイル、これも大量にお買い上げ。うん、これでたっぷりの油で揚げ物も出来るぞ。

 2リットルぐらい入りそうな大瓶をまとめて買って、宿泊所へ配達を頼んだ。

 前金の金貨一枚を払い、あとは配達した時に払えば良いんだって。

 お願いして店を出ようとして、目についたオリーブの実の瓶漬けも買っておく。これも料理に使えるだろうし、そのまま摘んでも美味いもんな。

 その後も少し目についたものを買い足して、ひとまず宿泊所へ戻ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 今の所展開的には無さそうだけど、 いつか旅の伴侶になり得るような女性と出会って欲しいな。 従魔達の皆も勿論素敵だけど、孤独な生い立ちのケンくんには異世界で人との触れ合いによる癒しもあっ…
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