最強の武器?
「うわあ、またしてもやらかしたかも、俺……」
そう呟いたきり、双方動かず沈黙したまま黙って見つめ合う。
『おい、何があった?』
静かなハスフェルの念話が届き、パニックになりかけていた俺は、何とか小さく深呼吸をして答えた。
『テントのすぐ横に、めちゃデカいオオトカゲがいるんだよ。多分獰猛なやつ。しかも完全に目があっちゃったんだけど、これ……どうしたら良い?』
本気で泣きそうなんだけど、どうやらハスフェル達はかなり遠くにいるみたいだ。
『もう、そっちへ向かってる。あと少しだけ頑張れ!』
笑みを含んだ声で簡単にそう言われても、全然気が楽にならないって。
要するに、ハスフェル達が駆けつけて来てくれるまでは、俺だけで戦えってことだよな!
目を逸らさずに、何とかここから逃れる方法がないか考える。
スライム達は、机の上に集まってるし、ラパンとコニーはテントの外で草を食ってたはずだ。モモンガのアヴィは、俺の左腕で固まってる。
今残ってるスライム以外の子達はどれも草食だから、こいつと戦わせるのは絶対ダメ!
となると俺が頑張るしかない。
覚悟を決めた俺に向かって、のそりのそりと少しずつオオトカゲが近づいてくる。
右手にお箸、左手にフライパンを持った俺は、オオトカゲから逃げるようにゆっくりと後ろに下がる。出来る限り動きを小さくして半歩ずつくらいでちょこちょこと下がる。
机の横を通って下がる時、そこに置いてあるものに気付いて俺は慌てた。
そこにはさっき、最後に作ってお皿に盛った山盛りのグラスランドブラウンボアの照り焼きが置いてあったのだ。
そう、まさに焼き終わってサクラに渡そうとしていたところだったんだよ。
多分、辺り一面にめちゃめちゃ良い照り焼きの匂いをさせているはず。
もしかして、オオトカゲはこの匂いに惹かれてこっちへ来たのか? だけど肉食の奴が、こんな濃い味や匂いの物を食うかな?
ふん、ふん、ふん、ふん。
すると、オオトカゲはまるで何かを探すかのように鼻を上げて、鼻息荒く辺りの匂いを嗅ぎ始めた。
「あ、もしかしてあれか……?」
グラスランドブラウンボアの肉の塊が、机の上に一欠片出しっぱなしだ。多分5キロくらいは余裕でありそうな塊。
俺の位置からは遠くて手が届かないけど、机の上にいるスライム達なら何とかなりそうだ。
「なあアクア。お前の位置からそのグラスランドブラウンボアの肉の塊を向こうへ投げ落とせないか?」
オオトカゲから視線は離さず、小さな声で話しかける。
「これを投げれば良いの?」
細い触手が一本だけ出てきて、置いてあるグラスランドブラウンボアの肉の塊を突っつく。
「ああ、それだよ。出来ればオオトカゲの注意を引いてから目の前で遠くへ投げられたら最高なんだけど。いけるか?」
「解った。やってみるからご主人は動いちゃ駄目だよ」
アクアの声に小さく頷いた時、様子を伺っていたオオトカゲが、いきなり俺に向かって走り出した。
「うわわわわ〜! こっち来んな〜!」
咄嗟に左手に持っていたフライパンで、思いっきりオオトカゲの顔をぶっ叩く。
カポーン!
そうとしか表現出来ない間抜けな音がして、見事にオオトカゲの横っ面にフライパンがヒットする。うん、ホームラン級の当たりだぞ。
今持っているそれは、シルヴァ達が全員いた時に買った、俺が使っている中でも一番大きなサイズのフライパンだ。
ハンプールでの例のセレブ買いの時に、金物屋の在庫を探してもらって買った40センチサイズ。はっきり言って中華鍋と大差ない深型フライパンだ。なので当然底面も広い。
多分、まともに殴られたオオトカゲにして見れば、ものすごい衝撃だったと思う。
その衝撃を物語るかのように、オオトカゲはヒットした衝撃で1メートルくらい横に吹っ飛び、その場所で固まって動かなくなってしまった。
身動きはしないが頭が微妙に揺れてるのを見るに、どうやら殴られた衝撃で脳震盪を起こしてるみたいだ。
「い、今なら逃げられるかも!」
背中を見せるのは怖かったので、オオトカゲの方を向いたまま急いで後ろに下がる。
上手く逃げおおせてテントから出たところで、茂みからマックスとニニが飛び出して来た。
「無事ですか! ご主人!」
マックスの叫ぶ声と、半瞬遅れて飛び込んできた巨大化したタロンと猫族軍団。それが全員同時に動けないオオトカゲに飛びかかる。
「よおし、よくやった!」
笑いながら、シリウスに乗ったハスフェルが飛び出して来て、俺の前に立ちはだかる。彼の手には抜身の大剣がある。
しかし、もうその時には呆気なく勝負はついていて、オオトカゲは大きなジェムになって転がっていた。
ちなみに落ちた素材は何とオオトカゲの革でした。
鞣した綺麗な蜥蜴の形になった革の状態で落ちるって、考えてみたらめっちゃシュールかも。いったい誰が、その皮を鞣したんだよってな!
「あはは、今になって腰が抜けたよ。ありがとうな」
安心して腰が抜けた俺は、その場にへたり込んだまま駆けつけてくれた皆に何とか礼を言う。
「よくやったな。しかし見事な一撃だったぞ。お前さん、次からそれで戦った方が強いんじゃないか?」
笑いながら手を引いて立たせてくれたオンハルトの爺さんにそう言われて、俺は堪える間も無く吹き出す。
「知らなかったのか? 料理人ケンの時の武器は、このフライパンなんだぜ」
右手に持ち替えたフライパンを突き出すようにして持ち、ポーズをとってドヤ顔でそう言ってやると、それを見た三人は揃って堪える間も無く吹き出して大爆笑になった。
「いやあ、本当に見事な一撃だったね。実はミスリルの剣よりフライパンの方が威力がありそうだね」
右肩に現れたシャムエル様にまでそんな事を言われて、もう俺達はその場に座り込んで涙を流して大笑いしていたのだった。
「はあ、笑い過ぎで腹が痛いって」
笑い過ぎて出た涙を拭いながらそう言って立ち上がり、すっかり冷めてしまったグラスランドブラウンボアの照り焼きを見る。
「なあ、そっちはどう言う状況だったんだ? 腹は減ってないのか?」
「ああ、ちょうどオオトカゲが出終って、次が出るのを待っていたところさ。そうしたら、何かが警戒の糸に引っかかったもんで、急いでお前を呼んだんだよ」
「警戒の糸?」
頷いたギイが指差したそこには、何やらキラキラと光るごく細い糸が張り巡らされているのが見えた。
「あ、成る程。あれに何かが引っかかればそっちに知らせが行く仕組みか。へえ、気づかなかった。あれは罠みたいなものだな」
納得した俺がそう言うと、ギイは笑って頷き糸を巻き取り始めた。
どう言う仕組みかは知らないけど、引っかかる事なくスルスルと手繰り寄せられたその糸は、ギイが持つ糸巻きに綺麗に巻き取られた。
「これは、カメレオンスパイダーの糸だよ。今お前さんが言ったように、術を使って共鳴させると罠に使ったりする事も出来る。糸に何かが触れれば、罠を張った術者に音が聞こえて知らせる仕組みさ。糸自体はごく細いが、ある道具を使わない限り決して切れない。上手くすれば、対象を絡めとって動けなくする事も可能だ。まあ今回は対象が地面に近すぎてそっちの罠は発動しなかったんだがな」
残念そうなギイの言葉に、納得した俺はもう一度お礼を言った。
「それじゃあ今から戻っても、最後の一回に間に合うかどうかだな。じゃあもう今日は終わりにして何か食って休むか」
「そうだな。それならこれを温め直すから、照り焼き丼か照り焼きサンドで良いか?」
山盛りのグラスランドブラウンボアの照り焼きを見せると、三人は揃って拍手をしてくれた。
歪んだ机の位置を戻して、念のためフライパンは跳ね飛んできたアルファに綺麗にしてもらう。
大喜びで、取り出したパンを焼き始める彼らを見てコンロに火をつけながら、しみじみと仲間の有り難さを噛み締めた俺だった。