急斜面にて
「大丈夫か、おい!」
大鷲に掴まれたまま宙ぶらりん状態のハスフェルに、ようやく我に返って声をかける。
「お、おう……何とか生きてるよ。オンハルト、ありがとうな」
恐らくハスフェルも驚いて放心していたんだろう。いつもよりもかなり低い声で答えが聞こえる。
「ふむ、しかしこれは困った。降りられないとなると……さてどうするかのう」
オンハルトの爺さんの声に、ギイも唸っている。
「とりあえず、このままではどうしようもありません。斜面に降りますのでご主人はそのままいてください」
ファルコの声がして、ゆっくりと羽ばたいたファルコは、泥が山積みになっている谷底から少し上がった斜面に舞い降りた。
他の大鷲達もファルコに続いて舞い降りてくる。
巨大な爪で斜面のわずかな段差に留まったファルコと大鷲達は、揃って斜面を見下ろした。
上空よりもはるかに近くで改めて見ると、坂に積もっていた土がオレンジヒカリゴケの根っこ丸ごとずり落ちているのがよく分かる。
要するに、木のように深く根を張るものがこの斜面には無かったために、一部だけでなく、絨毯がめくれるみたいにそのまま全部丸ごと道連れになったわけだ。
「なあ、あれってベリーの術では何とかならないか?」
斜面に平然と降りているベリーにそう聞いたが、彼は困ったように腕を組んで考えている。
「私も先ほどから考えているのですが、オレンジヒカリゴケの葉の部分だけを取り出すのはかなり無理がありますね。全部刻んでしまうのなら簡単なんですが」
「いや、それはやめてください」
思わず真顔で突っ込み、ふと思いついた。
「なあ、ここからスライム達に下に降りてもらって、とにかく全員で収穫してもらうのが、現状の最善策じゃないか?」
ファルコの事は信頼してるけど、この位置はさすがに怖い。しかもかなりの急斜面なので、見下ろしたらほぼ垂直に感じる。できれば早くここから離れたい。
「そうだな。とにかく収穫するのを優先しよう」
ギイの言葉に、俺の足と従魔達を押さえてくれていたスライム達が一斉に元に戻る。
「じゃあ行ってくるね。以前ご主人がやってたみたいに、葉っぱの部分を集めたら良いんだね」
「そうそう、もう根っこは気にしなくて良いから、ありったけ集めてきてね。よろしく」
右肩のシャムエル様の言葉に元気に返事をして、スライム達は一斉に斜面を転がり落ちていった。
他の大鷲達からも、スライムが転がり落ちるのを見ていて気が付いた。
オンハルトの爺さんの従魔のエルクって、大鷲が脚で掴んで運んでたよな。あれってどうなったんだ?
周りを見回してさらに驚く。
エラフィが、何事もなかったかのようにベリーと同じく斜面に立っているのだ。
足元を見ても、当然だがスライムはいない。って事は、あれって自力で立ってるのか?
「エラフィ、そんなところに立ってて足元は大丈夫なのか?」
思わず話しかけると、エラフィは小さく笑って頷いた。
「ええ、この程度の斜面なら私にとっては普段と変わりませんよ」
そう言って平然と斜面を歩いているのを見て、思わずマックス達を見てまた驚く。
マックス達も、いつの間にか翼をたたんだファルコの背から降りていて、それぞれ斜面のわずかな出っ張りに引っかかるように収まっていたのだ。
要するに、ファルコに跨ってるのは俺一人だけになってました。
そのファルコは、斜面に横向きに止まってくれているので、俺から見て左側は斜面上側、右が谷底側だ。どう考えても、この場で一番転がり落ちる危険が高そうなのは俺なので、ファルコに断って、掴む羽根の量を増やさせてもらった。
「大丈夫ですよ。もしもご主人が落っこちたら、下に落ちるまでに拾ってあげますから」
ファルコにからかうようにそう言われてしまい、苦笑いした俺は、もふもふの頭に改めて抱きつかせてもらったよ。
「おお、この大きさになるとファルコのもふもふも凄いな。これは良い」
ふっかふっかの首回りの羽根に、抱きついた俺の腕が埋れて見えなくなる。
「最近は、お役に立てる事が多くて嬉しいです」
ファルコが嬉しそうにそう言って、俺の手を甘噛みする。
「いつもありがとうな。おかげで移動時間が大幅に短縮出来てるぞ」
よしよしと抱きしめた腕で、喉から目の横の部分を軽く掻いてやる。
「ああ、ファルコばっかりずるい!」
いきなり、タロンが小さい体のまま飛び上がってきて俺の腕の中に頭を突っ込んできた。
「分かった分かった。じゃあお前もな」
左手で首元の羽根を掴んで、右手でタロンを撫でてやる。
嬉しそうに喉を鳴らすタロンを見てなごんでいると、いきなりマックスが突っ込んできた。
「ご主人、私も撫でてください!」
「待て、お前は無理だって!」
咄嗟にそう叫んだが後の祭り。
勢い余った俺は、ファルコの首から見事にずり落ちて坂を転がり落ちていった。
「うわうわうわ〜!」
これって、手足は絶対曲げて小さくなるよりも、両手両足を広げたほうが止まるよな。
頭の中で考えたのは一瞬だったが、残念ながらその一瞬で、もう泥の海は目の前だった。
「ごしゅじ〜ん!!」
あちこちから悲鳴が聞こえ、俺は泥の海に突っ込む覚悟をした。しかし次の瞬間、いきなりものすごい衝撃が来て、首がグキってなって止まる。
「げふう!」
反動で間の抜けた声が漏れたよ。
俺は、泥の海に突っ込む寸前ですっ飛んで来たニニに、襟元を子猫よろしく咥えられて救出されたのだった。
「お、おう……助かったよ、ありがとうな」
割と本気で怖かったので、助けてくれたニニにお礼を言っておく。
しかし、さっきのハスフェルと同じ状況じゃん。あれ、そういえばあいつはどうなったんだ?
見上げると、大鷲に掴まれていたはずのハスフェルは、その大鷲の足元で平然と斜面に座ってる。思わずガン見するとドヤ顔のハスフェルと目が合った。
「気を付けないと、落ちたら危ないだろうが」
笑いながらそう言われて悔しくなった俺は。ニニに咥えられた情けない格好で思いっきり顔をしかめて見せた。
「終了〜!」
情けない宙ぶらりんの状態でかなりの時間を待っていると、収穫の終わったらしいスライム達が元気にそう言って、次々と斜面を跳ね飛んで上がって来た。
「そしてご主人救出〜!」
そう言って、タイミング良く離してくれたニニから俺を受け取ったスライム達は、そのまま俺を乗せてファルコのところまで戻ってくれた。
アリに運ばれる獲物再び。
主人としての尊厳とか、そう言ったものがガラガラと音を立てて崩れた気がしたが、どう考えてもこの斜面を自力で登るのは不可能なので、全部まとめて明後日の方角にぶん投げておき、素直に諦めて運ばれるお荷物になる。
何とか助けてもらってファルコの定位置に収まり、他の従魔達も軽々と定位置に戻ってきた。ベリーも俺の後ろの定位置に収まる。それからスライム達に、いつものように足を確保してもらう。
「じゃあまずは、足場のあるところへ戻ろう。さすがにここじゃあ飯も食えないって」
もう太陽は頂点をかなり過ぎている。
苦笑いする三人に頷き、とにかくここを離れた。
「じゃあ行きますね。しっかり捕まっててください」
翼を大きく広げたファルコがそう言うと、そのまま斜面を下に向かって飛び降りるように軽く飛んだ。
「どええええ〜〜〜!」
どうやって飛ぶんだろうと考えていたら、まさかのそのまま斜面から飛び降り。落ちたのは一瞬で、翼が受け止めた上昇気流に乗って、大きく翼を広げたファルコ達は一気に上へ上がっていく。
「すごい風だな!」
顔を叩く強風に必死で顔を庇ってやり過ごし、一気に谷底を抜けて広がる視界に歓声を上げた。
そのまま渓谷を離れて近くの草原地帯に降りて行ったのだった。
よく考えたら今日の俺のした事って、ひたすらファルコに乗ってただけで、後はマックスに突き落とされて坂を転がり落ちた事くらいだね。あはは。