モンスターの出現
「うわあ、あれは何だよ!」
谷底に広がっていたそいつらは、俺達の悲鳴に反応するかのように、いきなり寄り集まってモゾモゾと蠢き始めた。
そのまま地面を覆い尽くすほどの塊に固まった状態で、その場で伸び上がるようにして金属をこすり合わせたような奇妙な声で鳴き始めた。
スライムみたいに形が一定じゃ無いけど、どうやらスライムっぽい生き物で、しかも上空の俺達に向かって威嚇しているみたいに見える。
「なあ、あれ何? あれ何?」
パニックになってる俺の質問に、大鷲の背中から地面を見たハスフェルが、困ったように唸り声をあげた。
「おい、あんなに大きな苔食いは初めて見たぞ。どうする?」
「ふむ、このまま降りるのはさすがに危険だな」
「そうだな。しかも俺たちに気付いて生意気にも威嚇してるぞ」
ハスフェルの呟きに、同じく困ったようなオンハルトの爺さんとギイの言葉が重なる。
「ええ、なんだかよくわからない塊みたいに見えるけど、危険な奴なのか?」
そう言いながら、もっとよく見ようと俺も改めて下を覗く。
今の俺達は、谷底から多分20メートルくらい上の辺りを旋回してる状態だ。
なので、地面からはかなり遠いからよくわからないが、明らかに一塊になったそいつはゆっくりと地面を移動している。
「なあ、なあなあ! あれってもしかして、オレンジヒカリゴケを食ってないか?」
俺は思いっきり焦ってそう叫んだ。
だって、あの変な塊が移動した後は、地面に生えていたオレンジヒカリゴケが根こそぎ無くなっていたのだ。
「あれは苔食い。名前の通り、オレンジヒカリゴケを食べるモンスターさ」
「いやいや、のんびり見てる場合かよ。あんなデカいのに掛かったら、あっという間に食い尽くされちまうぞ!」
焦る俺と違って、ハスフェル達は明らかに困っているみたいに見える。
とにかく深呼吸をして、何とか息を整える。落ち着け、俺。
しかし、さっきのハスフェルの言葉に妙な引っ掛かりを感じて考える。
「なあ、あれって、初めて見るけど、ジェムモンスターなのか?」
さっきハスフェルはあれの事を、モンスター、と言った。
魔獣でもジェムモンスターでもなく、モンスター。
すると、俺の予想通り、ハスフェル達は揃って顔をしかめた。
「あれは言葉の通り、本物のモンスターだよ。一匹一匹は親指の爪くらいしか無い。しかし、見ての通り危険を感じると集まりあって合体して巨大な個体になる、しかも、こいつは相当デカい。俺達でも殲滅させるのは至難の業だぞ」
「ええと、どのあたりが危険なのか聞いても良い?」
正直言って、俺の目にはただの焦げ茶色のなんだかよくわからない塊に見える。確かにあの鳴き声は気持ち悪いが、危険があるようには見えない。
「あいつらは、言ってみればスライムと同じで全身が口なんだよ。しかも、オレンジヒカリゴケを好んで食うが、はっきり言って元々雑食だ」
その言葉の意味を考えて、絶句する。
「火が唯一の弱点なんだが、ここで火を放てば、肝心のオレンジヒカリゴケまで全焼してしまう。ふむ、これはどうするべきだ」
「なあ、どうしてそんなやばいのを作ったんだよ!」
右肩にいるシャムエル様に文句を言ったが、いつの間にか、いなくなってて驚いた。
「あれ? シャムエル様がいないぞ?」
慌てて周りを見回したが、俺達の隙間には落っこちてる様子も無い。
「あ、あんなところにいる!」
まさかと下を必死で見回すと、壁面の断崖絶壁の小さな段差部分にシャムエル様の姿が見えて、俺は慌てた。
「なあ、あんなところにいるけど、大丈夫なのか?」
あんなちっこい体、雑食のモンスターに飲み込まれたら、一瞬だと思うけど……。
ハラハラしながらそう叫ぶと、三人から呆れたような目で見られた。
「お前は、あいつが何者かすぐに忘れるらしいな。大丈夫だから、とにかく見ていろ」
ハスフェルにそう言われて、固唾を飲んで下を見る。
ちっこい姿のままのシャムエル様は、一瞬で地面に降り立つと、まるでからかうみたいにあの塊のすぐ近くまで行き、一瞬で後ろに下がる事を繰り返している。
苔食いは、一向に捕まらないシャムエル様に苛立ち、後ろに下がるシャムエル様を意地になって追いかけ始めた。苔食いの塊が、だんだんとオレンジヒカリゴケの生えていない場所に誘導され始めている。
「成る程。考えたな」
俺にもシャムエル様の考えが分かった。
何とか苔食い達を、オレンジヒカリゴケの群生地から誘い出して、引き離そうとしているみたいだ。
「ケン、お前は氷の術が使えたな」
突然のギイの言葉に、振り返って頷く。
「ああ、出来るよ。それがどうしたんだ?」
「シャムエルが、苔食いをオレンジヒカリゴケの群生地から完全に引き離したら、氷で大きな壁を作って戻れないようにしてくれるか。俺は土の術が使えるんだが、それだと土ごと動かすから、オレンジヒカリゴケの根を傷めちまう」
「良いのか? 氷も植物には影響ありそうだけど?」
「大丈夫だ。この辺りは冬には完全に凍り付いて、雪と氷の世界になるが、オレンジヒカリゴケは凍っても組織は破壊されない。氷が溶けたら、またそのまま何事もなく成長してくれる」
「へえ、そうなんだ。了解。じゃあ準備しておく」
深呼吸をして、大きな氷の壁を頭の中にイメージする。
透明の氷を作る時に気が付いたんだけど、明確なイメージがあると、再現しやすいんだよ。
なので、渓谷の谷間を塞ぐダムみたいな大きな氷の壁をイメージして、それをどんどん細かい所まで考えて行く。岩の小さな隙間にも水を流し込んで一瞬で凍らせるイメージを、繰り返し頭の中で考え続けた。
「一人ではちょっと荷が重そうですね。手伝ってきます」
俺の後ろで座ってスライム達に固定されていたベリーが、いきなりそう言って立ち上がったのだ。
ベリーを押さえていたスライムのゼータが戸惑うように伸びたり縮んだりしている。
「びっくりした。大丈夫?」
心配そうな、ゼータの声が聞こえる。
どうやらゼータが押さえているのを、力尽くで抜け出したらしい。
「大丈夫ですから、ご心配なく」
そう言うと、軽々とファルコの背から飛び降りていった。
「おい! ここって高いんだぞ!」
慌てて下を見ると、まるで羽が生えているかのように軽々と降下していくベリーが見えて、俺は脱力した。
「そうだよな。賢者の精霊だもん、空くらい飛べるってか」
ため息を吐いて、とにかく見守る。
地面に降り立ったベリーは、まるで羊を追い立てる牧羊犬よろしく、後ろから煽って苔食いが逃げるのを追い立てている。
「あれ、何をしてるんだ?」
「手から熱風を吹き出して、嫌がる苔食いを誘導して追い立てているんだよ。さすがだな。あそこまで繊細な風は、俺にも操れない」
感心したようなギイの言葉にハスフェルとオンハルトの爺さんも頷いている。
しばらくして、ベリーの声がいきなり俺の頭の中に届いた。
『もう良いですよ。この辺りに氷の壁をお願いします!』
飛び上がった俺が下を見ると、どうやったのか分からないけど、ベリーが地面に黒い線を引いてくれている。
苔食いは、確かにその線の右側に完全に移動している。地面にオレンジヒカリゴケは無い。
「了解。アイスウォール! 出ろ!」
俺の叫ぶ声と同時に、頭の中で考えてた通りに完全に谷底を埋め尽くす形で、厚さ3メートル強、高さ10メートル近い氷の壁が出来上がった。
一気に体から力が抜けるのを感じ、急に襲ってきた目眩に、慌てて隣にいたマックスにしがみついた。ちょっと俺の魔力では無理があったみたいだ。これ、RPGなら完全にMPゼロだね。
手の空いていたゼータが跳ね飛んできて、倒れそうな俺を支えてくれる。
「よし、よくやった! お前はそこで休んでろ!」
ハスフェルの声が聞こえ、ギイとオンハルトの爺さんの声も聞こえたが、俺は酷い目眩と貧血でそれどころじゃ無い。
ファルコが羽ばたく音がして、ふわりと体が浮き上がる感覚に、悲鳴を上げる。
下から聞こえてきた物凄い爆発音と、何かが切れる大きな金属音が続き、更には下から衝撃波のような風が襲って来て、危険を感じたファルコが更に上昇する。
急激な貧血に加えていきなりの無重力体験。
マックスにしがみついた俺は、悲鳴をあげたっきり、そのまま意識を失ってしまったのだった。