強制イベント発生フラグ
「おいケン。お前さん、今、なんて言った……?」
「俺にはケンタウロスって聞こえたぞ」
長い沈黙の後、ヘクターとフランツが揃って尋ねる言葉に、俺は大きなため息を吐いた。
うん、これは仕方がない。今のは不可抗力だよな。
でもまあ、創造主様が言ってるんだから間違ってるって事は無かろう。
「多分、だけどね」
そう言いながら、しゃがみ込んでいた俺は、いかにも足跡を調べています、って感じに彼らに背を向けて地面を見た。
シャムエル様が、相変わらず困ったように俺を見上げている。
「なあ、一体どう言う事だよ。第一、この世界にはそんなとんでもない生き物がいるのかよ」
小さな声でそう言うと、シャムエル様も小さく頷いた。
「もちろんいるよ。ただし、普通は人間の住む場所になんて降りて来ない。第一、ここは彼らの住む地域から遥かに遠く離れてるんだ。だから有り得ないって言ったの」
「だけど……いるんだよな?」
「うん、それは間違いないよ」
何度も頷くシャムエル様を見て、俺は振り返った。
「なあ、ちょっと質問なんだが、本当にケンタウロスだったらどうなる?」
三人は困ったように顔を見合わせたきり、また固まってしまった。
「そうなら討伐の対象になるか?」
一番確認したい事をはっきり聞くと、フランツが顔色を変えて叫んだ。
「冗談言うなよ。ケンタウロスを人間ごときが討伐できる訳無かろうが。王都の精鋭部隊を全部集めても一瞬で灰にされるぞ」
おう……って事は、やっぱり強いんだ。魔法とかも使ったりするわけね。
「なあ、ケンタウロスと話って……」
シャムエル様に話しかけようとしたその時、俺は果樹園の中に妙な揺らぎがある事に気が付いた。
まるで陽炎みたいに、その向こうの樹が揺らめいて見える。
「何だあれ?」
思わず呟いて立ち上がり、そっちへ行こうとした俺を見て、いきなり慌てたようにシャムエル様が叫んだ。
「ケン! 今そっちへ行っちゃ駄目だって!」
いきなり空気に殴られた俺は、そのまま仰向けにひっくり返った。
おい! いきなり何するんだよ。止めるにしても、もうちょっとやりようがあるだろうが!
「おい、大丈夫か!」
慌てたように駆けつけて来てくれたヘクターの手を借りて、呆然と空を見上げていた俺は何とか起き上がる。
「あはは。ごめんごめん。ちょっと足が滑ったよ」
誤魔化すように笑って、体についた土を払い、俺は無言で揺らぐ影を見つめた。
どうやらシャムエル様は何か知ってるらしいが、ヘクター達がいては言えない事なのだろう。
ってか、今ので分かったよ。恐らく、あの揺らぎの正体がケンタウロスなんだろうな。
そうか……俺に見えてるのは、多分、例の鑑識眼のおかげだな。
ため息を吐いて、ヘクターを見る。
「なあ、ここは俺に任せてくれないか」
ヘクターとフランツは、無言で俺を見つめる。
「それは、樹海出身者としての意見か?」
真剣な顔でフランツにそう聞かれてしまい、何と答えようか考えていると、向こうが勝手に納得してくれた。
「要は、俺達では敵いそうも無い相手だから下がってろって事だろう?」
フランツの言葉に、ヘクターも頷いた。
「すまない。丸投げするようで申し訳ないが、それなら任せても良いか? 何か俺達に出来る事があれば、何でも手伝うが……」
「ええと、ちょっと待ってくれるか。頭の中を整理するから」
そう言って彼らに背を向けて、もう一度しゃがみ込む。
「なあ、あそこにいるんだろう? 問題の奴が」
小さな声でシャムエル様に話しかけると、驚いたように目を見開いてこっちを見たが、戸惑うように小さく頷いた。
「話って出来るのか?そいつと」
シャムエル様はしばらく考えて、それから小さく頷く。それを見た俺は、立ち上がってヘクター達を振り返った。
「じゃあ悪いけど、一旦村へ戻ってくれるか。それで村の人達にも声を掛けて、とにかく家から出ないように言ってくれ。片付いたら俺が村へ戻るから、それまで待っててくれ」
ヘクターは何か言いかけたが、俺が首を振ると黙って頷いてくれた。
「すまん」
二人は揃って俺に頭を下げると、呆気に取られたままの村長の両腕を抱えて、そのまま足早に村へ戻って行った。
彼らの姿が見えなくなるのを確認してから、マックスとニニを振り返る。
「なあ、お前らには、あそこに何がいるか分かってるよな?」
黙って頷く二匹を見て、俺はもう何度目か分からないため息を吐いた。
そして、顔を上げて果樹園を見ると、揺らぎに向かって大声で話し掛けた。
「なあ、さっきからそこで聞いてるんだろう? 出て来いよ」
しかし、揺らぎはじっとしたまま変わらない。
「言葉は通じてるんだよな?」
いつの間にか俺の肩に移動したシャムエル様に話しかけると、リスもどきの小さな手を伸ばして、シャムエル様は俺の耳に手を当てた。
「第二の耳、識別の第一階を解放する。その耳を以って真実を正しく聞き分けよ」
そして、俺の頬を引っ張る。ちっこい手で掴まれると痛いんだって。
横を向いてやると、笑って俺の口にも小さな手を当てた。
「第二の口、言語の第一段階を解放する。その口を以って真実を正しき言葉で語れ」
以前、ブランハードロックを叩きまくった時にも聞いたような事を言う。
「これで会話出来るはずだよ。もう一度、普通に話しかけてみて」
頷いた俺は、改めて動かない揺らぎに向かって話し掛けた。
「なあ、聞いてるんだろう。別に危害を加えるつもりはないから、とにかく出て来てくれ」
すると、先程まで全く動かなかった揺らぎが、明らかに動揺したように後ずさった。
「どうして……どうして、ただの人間如きが私を見つけられるんだよ!」
聞こえる引きつったようなその声は、妙に幼い子供の声だった。
俺が一歩近寄った途端、揺らぎが崩れてケンタウロスがその姿を現す。
上半身は人の姿、下半身……と言うか、あれは馬の首から下だな。細いが意外にしっかりしている四本の脚。
だけどあれってよく考えたら、手が二本付いてるのに足が四本あるんだよな。へえ、面白い。
全体でもポニーくらいの大きさしかないから、もしかしたら本当に子供なのかもしれない。
「なあ、お前、どうしてこんな所にいるんだよ。お前の故郷は遥か遠くだって聞いたぞ」
目線は、ケンタウロスの方が俺より低いぐらいだ。少し屈んで覗き込むようにして話し掛ける。
よく見ると、上半身は、やや丸みのある身体とふっくらした頬。くりくりの大きな眼。
うん、これは間違い無く子供だな。
いきなり魔法で攻撃とかされたら困るな。くらいに呑気に考えていたら、固まっていたケンタウロスが、唐突に泣き出したのだ。
それはもう、大声あげて完全に子供の泣き方だよ。
「あぁあ、泣かせた!」
呆れたようなシャムエル様の声に、俺は力一杯振り返った。
「何で! 俺は聞いただけだぞ! 何でこんな所にいるんだって!」
「う、う……帰りたいよ……父上……母上……何処にいるの……」
目の前で、子供にこの世の終わりみたいに号泣されて、だんだん可哀想になってきた。
「なあ、とりあえず泣き止んでくれよ。あ、そうだ。何か食べるか? お前、腹減ってないか?」
子供なら甘い物だろう。多分。
ええと、食料在庫に何かあったかな?
頭の中で、在庫を思い出して必死で考える。
確か屋台で買った、蜜のかかったパイみたいなのと、甘い団子みたいなのもあったはずだ。
しかし、取り出したどちらも、見るなり悲しそうな顔で首を振った。
「ええ、駄目か。じゃあ、何なら食べられる?」
ダメ元で聞いてみると、小さな声で、果物、と答えた。
なんだ、それならいっぱいあるぞ。
安心した俺は、サクラに頼んでイチゴとリンゴを籠ごと山盛り出してやった。
目を輝かせたケンタウロスの子供は、しかし果物には手を出さずに、怯えたように俺を見ているだけだ。
「どうした? 食って良いぞ」
「でも……」
「洗ってあるから、このまま食べられるぞ」
目の前でイチゴを一つ摘んで、自分の口に入れる。
うん、このイチゴは本当に甘くて美味しい。
二つ目に手を伸ばそうとしたら、慌てたように手を伸ばしてきて、取り出した籠ごと抱えるようにして食べ始めた。
よほど腹が減ってたんだろう。
半泣きで、必死になって貪るように食べている姿を見て、俺はもう何度目か数える気も失せた大きなため息を吐いた。
駄目だこれ。完全に情が移っちまったよ。
ようやく食べ終わったケンタウロスの子供は、空になった籠を俺に向かって申し訳無さそうに差し出した。
「あの、ありがとうございました。私は、ケイローン一族の末子、ベリー・ヘンネルと申します。どうぞ、ベリーとお呼びください」
案外しっかりした声でそう言って、少し笑った。
おお、笑うと可愛いじゃん。
「なあ、何とか確保したけど、これ……どうすれば良いんだ?」
肩に座ったシャムエル様に、俺は小さな声でそう尋ねた。
「あのさあ、お願いなんだけど、この子を故郷まで連れて行ってやってくれない?」
恐る恐るそう言ったシャムエル様の言葉に、俺は空を振り仰いだ。
やっぱり、そうなるよな!
これって、RPGだったら強制イベント発生フラグだもんな! 宿屋の宿泊がそろそろ終わるこのタイミングで、強制移動イベント発生ってパターンだよな!
本気で気が遠くなった俺は、側にいたニニに抱きついて現実逃避した。
ああ、このもふもふ……。
やっぱり癒されるよなあ……。
肩に座ったシャムエル様が冷たい目で見ていたけど、気にしない、気にしない。
ついでに、目の前のケンタウロスが、ものすごく羨ましそうな顔をしていたのも見ない振りをしておこう。