脱出と不法投棄⁉︎
「そ、空が割れる!」
俺の情けない悲鳴にハスフェルが小さく笑い、俺の背後から覆いかぶさる様にしてオンハルトの爺さんと一緒に二人まとめて抱きしめる。
「良いから前を向いてろ。そんな大きな口を開けると舌を噛むぞ」
笑った声が耳元で聞こえて、こんな時に揶揄うなと文句を言おうと、頭の上にあるハスフェルを見ようとした。
しかし、その文句を言おうとした俺の舌は、凍りついた様に貼り付いて思い通りに動いてくれず、またしても情けない悲鳴を上げる羽目になった。
目に飛び込んで来たそれは、まさしくこの世の終わりの様な光景だった。
腹の底まで響く様な、ありとあらゆる雷を同時に鳴らしているかの様な鳴り響く轟音。
また何かが弾ける様な破砕音がして、思わず背後を振り返る。
遥か遠くになった、先程のあの歪な木がものすごい勢いで燃え上がっていた。
赤と黄色の炎が、まるで竜巻の様に渦を巻いて空まで届いている。そして、そこから空が左右にひび割れているのだ。
ヒビはどんどん大きくなり、裂け目から真っ暗な何かが見え始めた。
「なあ、ハスフェル、あれって……」
「いいから前を向いてろ。どうせ見たところでどうにもならん」
腕で視界を遮られてしまい、とにかく前を向く。
全力疾走する金色のティラノサウルスになったギイの背中に乗った俺達には、確かにどうすることも出来ない。
必死になってしがみつき、ギイが逃げ切ってくれる事だけを考え続けた。
いきなりティラノサウルスのギイが予備動作も無しに物凄いジャンプを見せた。
一瞬無重力状態になり、また悲鳴を上げて舌を噛みそうになって慌てて顎を引く。
そのまま見事に着地して、また走り出す。
「い、今の何? 今の何?」
首を伸ばして後ろを振り返りまた悲鳴を上げる。
背後の地面から、根っこがまるで蔓草の様に蠢きながら追いかけて来ているのだ。
時折、あちこちでボコンボコンと根っこが飛び出しているのが確認出来る。
「もしかして、さっきの大ジャンプはあれを飛び越えたのかよ」
「あれだけ気配を消さずに襲って来れば、目を閉じていても判るさ!」
吠える様にギイが叫び、また物凄い大ジャンプで襲ってくる根っこを飛び越える。
「見えたぞ。石の境界線だ!」
オンハルトの爺さんの叫ぶ声に慌てて前を向くと、地平線に灰色の線が見える。
ようやく、森から出た時に広がっていた、あの広い河原の様な場所まで辿り着いたのだ。
「このまま越えるぞ!」
ギイの叫ぶ声に、すぐ後ろを走るマックスとシリウスが、二匹同意する様に大きな声で吠える。
巨大化した他の従魔達やベリーとフランマも遅れずについて来ている。
最後に草原を抜けて石の河原に飛び込んだ直後、ベリーとフランマが背後に向かってまた魔法の一撃を放つ。
物凄い轟音と地響き。
そして爆風に押し出される様にしてギイが森の中に突っ込んで行く。
確か、幅が50メートルくらいはあった筈だが、さすがにこの速さで走ると越えるのは一瞬だった。
「伏せろ!」
ハスフェルが俺の頭を押さえ付けてそう叫び、全員慌てて前屈みになる。
森に突っ込んだ勢いで、木々をなぎ倒してしばらく走ってようやくギイが止まる。
「全員いるか?」
まだ、ティラノサウルスの姿のままで、背後を振り返る。
「マ、マックス!」
俺の呼びかけに、マックスが元気よく吠える。
「ニニ! ファルコ! セルパン……」
俺達は、必死になって全員の点呼を続けた。
「良かったぁ……全員いるよ。なんとか逃げ切れたな」
ハスフェル達と、顔を見合わせて手を叩き合った。
その直後、なんとかここまで一緒に走り切ったオンハルトの爺さんの乗ってた馬が、いきなり泡を吹いてぶっ倒れたのだ。
「うわあ、アクアゴールド、万能薬を頼む!」
俺が叫ぶのと、倒れて痙攣していた馬にアクアゴールドが万能薬をぶっかけるのはほぼ同時だった。
一瞬、大きく痙攣した後もがく様に暴れた馬が、あれ? って感じで動きを止めた後に普通に立ち上がる。
何度か身震いしてから足踏みをして固まってしまった。
どうやら、自分の身に何が起こったか理解出来なかったらしい。
「おお、感謝するよ。ここまで逃げ切ったのに心臓が止まるところだったな。いや、良かった、よく走り切ってくれたよ」
ギイから飛び降りたオンハルトの爺さんは、馬に駆け寄って、大事そうにその頭を抱きしめて額にキスを贈った。
嬉しそうに嘶く馬を見て、俺達も安堵のため息を吐いた。
シャムエル様も俺の右肩で嬉しそうに頷いてるから、やっぱり馬に何かしたんだろう。多分、よくわからないけど、祝福とか加護とかみたいなやつ。
「で、あの場所ってどうなったんだ?」
今は絡み合う木々に隠されていて、あの場所を見る事は出来ない。
「あの場所……シャムエルはどう思う?」
いつもよりもやや低いハスフェルの声に、俺の右肩に座っていたシャムエル様は大きなため息を吐いた。
「あれって、昔に樹海が出来た時に近いんだよね。高濃度のマナと強い地脈、それらの影響で歪な空間が形成されて行ったんだ。だけど樹海との違いは、そこの核になるものが明らかに人に対して殺意を持った攻撃性を示している事。さすがにこれは看過出来ない。あの空間は、後で消去しておくよ」
……空間を消去。
簡単に言うけどそんなのは普通じゃ無い。だけどまあ、相手はこの世界の創造主様だもんな。
密かに納得しかけて、先程の言葉に引っ掛かりを覚える。
「あれ? シャムエル様は、以前この世界には手出し出来ないって言ってなかったけ?」
確か、早駆け祭りの時に、そんな話を聞いたぞ。
「ああ、この世界に住んでいる人や事象そのものへの干渉は出来ないんだ。だけど、ほら以前ブラウングラスホッパーを退治した時に、焼け野原を草原に置き換えた事があったでしょう? あんな感じで、ひとまず普通の飛び地を再設定して、除去した方は、完全に分解するんだ。ちょっと後始末は面倒だけど、世界そのものを攻撃する様な存在は、この世界には置いてはおけないよ。ここの地脈の強さやマナの濃度も、しばらく確認する様にするよ」
ほう、なるほど。うん、さっぱり分からん。
って事で、いつもの如く明後日の方向にまとめてぶん投げておく事にした。
「じゃあ。戻るか……」
言いかけて思わず叫んだ。
「ああ! テントも机も椅子も置きっぱなしじゃんか」
気に入ってた椅子も机も、テントも全部そのままだぞ。
俺の悲鳴に、ハスフェルとオンハルトの爺さんは無言で顔を見合わせて黙って首を振る。
「まあ仕方あるまい。命の代金だと思えば安いもんだ。諦めろ」
「だよな。机が無いと料理するのが不自由だから、とりあえず街へ戻るまで作り置きで食いつなぐよ」
大きなため息と一緒にそう言って空を見上げる。もう、笑うしかなかった。
うん、生きて帰って来れたんだから全部良い事にするよ。
「あ、不法投棄だと思われたみたいだね。返してくれたみたいだよ」
その時、右肩のシャムエル様がそう言って俯く俺の頬を叩いた。
だから、そのちっこい手で叩かれると痛いんだって。
「ねえ、ちょっと石の境界線まで戻ってくれる。大丈夫だよ、もう害は無いからさ」
平然とそう言うシャムエル様の言葉に、従魔達が無言で背後を振り返って今来た踏み荒らした即席通路を戻っていく。
それを見た金色ティラノサウルスのギイが、俺達を乗せたまま向きを変えてまた森を抜け出してくれた。
「ああ。本当だ!」
見えてきた石の境界線の向こう側ギリギリの所に、何やら瓦礫の山が放り出されている。
それは、見るも無残な姿になった俺達のテントと、それから机と椅子の成れの果てだった。
「ああ、地下迷宮に続いて二度目だよ。しかも、今回はテントまで!」
膝から崩れ落ちた俺を見たゴールドスライム達が、揃って大張りきりで瓦礫の山を次々に飲み込んで、再生し始めてくれたのだった。